08
研究室に帰ってからも
大木は落ち着かなかった。
警察の宿付宛てに
一応断りの電話を入れておいた。
パソコンの画面に映る画像を。
サキの映したスマフォの映像も見る。
こちらの方はサソリが出て来てからのモノも
断続的ではあるが映っている。
何せ逃げ回りながらだ。
良く撮れたものだ。
「これだけでは何とも言えんね」
「はい。しかしまた行けば」
「またかね。
あれだけ探したんだしね。
それにあれだけサソリが暴れたんだし。
もうしばらくは」
「無理ですか。
ワゴンの中も-----警察に」
大写しにされた例の細胞片の写真を見ながら
大木も残念といった表情。
サキもどうしたらいいのか。
「先生」
そうこうする間に突然、
勢いよく隆二が飛び込んできた。
「星村君。
君、今までどこへ」
「すみません、
少し本社の方へ報告に。
スマフォで呼び出されて」
編集長の多末が警察回りの
知り合いのマスコミ関係者に当たっている。
そこから何か新しい情報でもと思ったのだが-----
目新しいモノはなかった。
「それより先生。
コレ」
隆二の手には例のサソリの細胞を収めた
金属製のケースが。
大木の表情が輝いた。
「どうしてこれを」
さっそく中を開けて確かめる。
「これだ。これだ」
空来も月川もその声を聞きつけて
部屋の奥から慌てて飛び出してきた。
「いえ。先生たちと別れてから
ワゴンの中へ。
それで失敬してきただけです。
編集長にこれを見せたら-----
しばらく帰って来るなと言われました」
「カギは」空来。
「ワゴンを運転していたのは私だよ」
「しかしお手柄。
これさえあれば。
空来君。
さっそくかかってくれ」
「それと先生。
カメラのデーター」
パソコンにセットする。
「これだけ良く撮れたね」
「はい。しかし生きた怪物は少ししか」
「いい。では早速」
写真を食い入るように。
一通り。
そして細胞片を。
空来が何やら-----。
大木は。
隆二たちも改めて覗き込んだ。
「どうしたね」大木。
「先生、これ」空来。
「少しとってくれ。
塩基配列ように。
それと顕微鏡で見てみたい。
それも頼む」
空来は困ったように。
メスを。
「どうしたね」
「先生、切れません。
さっきから何度やっても」
メスを細胞片にあてる。
しかし刃の当たったあたりが
少しへこんだ程度で、
こちらから見てもそれが分かる。
「君。そのメス大丈夫なのか。
別のを使って」
それもすでにやったようだ。
何本ものメスが転がっている。
空来は別のメスを。
大木に言われたとおりに。
しかし-----やはり切れない。
「どういう事だ。
こんなこと、あるはずが」
大木も試してみるが
やはり。
「もしかして」隆二。
「え!」
「例のサソリ。昼間の。
ピストルの弾丸を受けても死にませんでした」
「それがどうしたね」
「イエ。カメラを持っていた関係で
望遠で観察したんですが。
口の中を」
「口の中」
「はい、全く何の傷も」
「本当かね。
確かに口の中に何発かは
当たっているはずだよ。
皮膚が厚くて-----殻かね-----
中まで入らなかったのかと。
それで何ともなかったのかと
思っていたんだが」
「いえ、それが全く。
そうだ。
これをご覧ください」
隆二はパソコンを。
その時撮った写真を捜す。
「これです」
パソコン画面に写るそれは。
大木もそれを。
サソリの口が。
口の中がはっきりと。
「どういう事だ。
傷一つ付いていない。
貸してみたまえ」
大木は空来へ。
メスとガラス板を受け取ると自ら。
「ダメだ」
今度は細胞液だけを
絞り出すようにガラス板の上に。
光学顕微鏡へ。
ガラス板を動かしながら。
「あった。あった」大木は倍率を。
「見てみたまえ」
モニターに映るそれは。
「妙なところはないですねえ」
隆二も数十個の細胞の断片を。
メスで切り取られたものではない。
別のサソリに食べられた時、
ちぎり取られたものが
付着していたのだろう。
切断面が鋭利ではない。
「どう思うね」大木。
「はい。えっ!
月川君。
サソリの細胞の見本。
あったね。
まともな奴の」
隆二は一年後輩の月川に。
モニターを覗き込んでいた月川は、
名残惜しそうに。
黙って取りに行った。
町のペットショップで
今日仕入れて来たサソリから採って
用意しておいたものだ。
「どうしたね」大木も。
「いえ、少し-----」
現場へ出発前に見せてもらったときは。
倍率を何度も確認する。
「大きいような」
「何が」
「細胞がです」
大木はタメ息を。
「細胞が。
細胞にもいろいろな大きさが。
それに個体が大きくなろうが
細胞の数が増えるだけで
細胞自体が大きくなることは。
いや、巨大サソリか。
それは-----。
そんなこと軽々しくは言えないよ」
思い直して。
月川が戻って来た。
それと比べる。
「月川君。
どう思うね」
「大きいような気も」
数倍程度には。
「月川君。
それいくらか採って塩基配列を。
君と君は月川君に。
後はこっちに」
月川は細胞片をいくらか取り分けたようだ。
「空来君。
君は細胞液の成分を。
放射性元素の量を見てみたい。
質量分析器で。
頼むよ」
空来はあたふたと。
大木はモニターを覗き込んだまま。
「変わりはないねえ。
いくら見比べても」
隆二が撮った写真にも何度も目を遣る。
「いくらなんでも
ピストルが当たった跡くらいは。
傷くらいついていても」
甲羅の部分にしろあれだけ銃弾を。
「いったい何でできているんだ」大木。
何でできていると言っても
決まっているのだが。
「どう思う」
「-----」隆二もわからない。
その時空来が。
成分分析結果を持って。
「先生。
妙なんですが」
「何」
きまり悪そうに。
データーを差し出した。
「ピークがない」
「エッ?」隆二。
別のデーターを。
まともなサソリのモノを。
比較する。
「見てみたまえ」
「ンー」
「君。どういう方法で調べたんだね」
「はい。
先ほどと。
マトモなサソリの時と同じ方法で」
さらに二三枚のデーターを。
「何度やっても同じでしたので。
他の者にも見てもらったのですが。
同じで」
“やり方を間違えたかな”隆二。
“よくある事だ”
「まあいい」
大木はそういうと
今度は自ら細胞液を-----。
実験装置へ。
質量分析器へ。
手順を確認しながら。
データーが出て来た。
「同じだねえ」
空来のモノと比べる。
「機械の故障じゃあ」
空来が安どのため息を。
「手順に問題はないねえ」大木。
空来はこの機器の扱いには慣れているはずだ。
「空来君。
スマンがどこかほかの研究室へ行って-----
これを。
これをもって-----頼むよ。
私からだと言って」
「はい」
別の測定装置で調べ直すしかない。
空来は外へ。
「まだ買ったばかりなんだが」
器械を恨めしそうに。
「先生。チョット」隆二はデーターを。
「水はありますね。
他には」
「ンー。
しかしアミノ酸も-----何もない。
ン?
水はあるのか。
ちょっと貸して。
故障じゃないのか。
水があるという事は。
じゃあどういう事だ。
このデーター。
間違いじゃあないのか。
そんな馬鹿な事が」
よくある事-----だ?
データーを奪うように。
「とすると-----このピークがこれ。
このピークがこれか」
マトモなサソリのデーターと比べながら。
隆二もサキも他の者も
机の上に置かれたそれを食い入るように。
「レンジ間違えたかな」
「いえそれは-----」
「そうだね。
何度も確かめたしね。
やっぱり故障かな」
「そうだ。先生」
隆二がまともなサソリを。
細胞液を。
もう一度測定した。
データーが出て来る。
マトモだ。
次に巨大サソリを。
「-----」
「故障じゃないのか」隆二。
空来が帰って来た。
「先生。
やっぱり同じです。
向こうの助手にも見てもらったんですが
間違いないと」
「そのようだね。
マトモなサソリでやったらこうだ。
しかしこれでやると-----こうなる」
大木が考え込むように。
「どういう事でしょぷ」
データーをジッと睨み付ける。
「まさか!」大木ははっとしたように。
「分子量は-----。
これがブドウ糖だとすると-----」
メンデレーエフの周期表を
どこかから取ってきた
電卓片手に。
「先生。どういう事ですか」
「これが〝3”。
これが“4”。
これが“5”。
“5”か。
“5”だ。
これもあう。
これも」
何かを計算しながら。
手がブルブルと震えだした。
「空来君。
構成原子を。
何でできているかを
調べて来てくれたまえ」
「え。
はい」空来は慌てて。
「先生。どういう」
隆二の質問には答えず
大木はどっかと腰を下ろした。
顔が青ざめている。
「星村君も季崎君も
そこへ座りたまえ」
そう口を開くまで数分かかっただろうか。
隆二たちは声もかけられなかった。
そのような状況ではなかった。
「昔ね。
もう三十年にもなるかな。
ある男がいたんだ。
私の友人でね。
同級だったんだ。
君たちの先輩」
「えっ?」
隆二もサキも何の事やら。
「その男がね。
ある日面白い事を
考え付いたんだよ」
隆二たちは黙ったまま。
大木が続けるのを待っていた。
「まさかとは思うが-----。
これを見てみたまえ」
大木はどこにでもある
メンデレーエフの元素の周期表を見せながら。
「普通、生物の身体は。
細胞は炭素と酸素と窒素でできている。
水素もあるがおいておく。
そう、これだ。
今さら君たちに言うのもなんだが」
隆二たちは大木の顔をまじまじと。
“なんで今さら。
そんな事は。
どういうつもりで先生はそんな事を”
「中学生でも知っている事だが-----。
しかしだ。
その男は考えた。
見てみたまえ。
今の三つの元素は全て
メンデレーエフの周期表の
第二周期に属する」
「はい、もちろん」隆二。
何の事やら。
「それを第三周期の元素。
第四周期、第五周期の元素に
置き換えられえないかと」
隆二はキツネにつままれたよう。
いったい何の事だか。
大木は大きくため息を。
「化学的性質は同じだからねえ」
「それでは先生。
これはそうだと」サキ。
「と言いますと。
どういう」
よく呑み込めない。
「現実の世界でもケイ素でできている
生物もいるしね。
熱水鉱床のはどうなるのかね。
いや、なんでもないよ。
忘れてくれ。
そんな事。
できるはずがない」
空来が帰って来た。
大木へ。
「先生。
出来ました。
それが-----どういっていいのか。
とにかく-----見てください」恐る恐る。
「-----」大木は声もない。
隆二もサキもそれを。
「スズにアンチモンにテルルか」
「ええ。第五周期」
「いったい誰ですか。
その人物は」隆二。
やっと飲み込めたようだ。
遠くでパトカーのサイレンが。
“何かあったのかな”隆二。
“そんな事はどうでも”
「これからどうします」
「わからんよ。
しかし塩基配列が分かれば。
結論はそれからでも。
追試もしなければ」
「ですが、先生。
その話が本当だとしますと-----。
失礼ですが。
とても塩基配列などは-----出ないのでは」
大木ははっとして立ち上がった。
顕微鏡にガラス板をセットし、
試薬を。
染色体を取り出すためのモノだ。
「ダメだ」
時間がノロノロと。
「溶けない」
「やっぱり」
「これでは大腸菌を使った
DNA分子クローニング法も」
「相手が第五周期では」
「使えないか」
「先生、大変です。
この近くに例のサソリが」
隣の研究室の学生が入って来た。
「何だって」
「はい。近くで。
共食いをはじめたようです。
今警察が」
「場所は」
「ニュースで方々に何匹も出て来たと。
そういっています」
テレビをつける。
臨時ニュースを流している。
警察では手に負えないため、
自衛隊が出ているそうだ。
「ここも危ないかも知れませんね」
すぐ近くなのだ。
「ンー。
空来君。データーとそのサンプルを持って
いつでも逃げだせるようにね。
まあ大丈夫だとは思うが」
大木の脳裏には
昼間の光景が。ありありと。
「ここを頼んだよ」
スマフォを手に。
すでに日は傾いている。
隆二もサキも。
そして月川も続いた。
手にはライト。
「この近くだよ」
建物から出た途端
そこは分かった。
走り出す。
道路は途中で封鎖されている。
人が二三十人。
その向こうにサソリが二匹。
ハサミを振りかざし
毒針のある尻尾を立てて格闘の最中。
片方はすでにハサミが一つしかない。
もう一方も動きがニブイ。
バラバラという音とともに
上空にはヘリが。
カーキー色のモノも。
「自衛隊だ」
警察は遠巻きに見ているだけ。
ピストルでは歯が立たないのを承知している。
自衛隊のヘリからはロープが。
この辺りには着地する場所がないのか。
大学構内に降りたヘリもあるようだ。
彼らは隆二たちのすぐ近くに降りて来た。
「どいて、どいて」
慌てて警官が道を開けさせる。
彼らの肩には110ミリロケット発射筒が。
突撃銃も、機関銃も。
怪物は周囲のビルをなぎ倒し
取っ組み合っている。
ハサミが片方しかない方が
大きく飛ばされた。
ビルにめり込む。
逃げるようにこちらへ。
数台のパトカーが跳ね飛ぶ。
ヤジ馬たちは悲鳴をあげながら逃げていく。
「先生、私たちも」
スマフォを手にしたままの
大木をビルの陰に。
ここも安全とは言えない。
自衛隊が発砲を始めた。
小銃だ。
ロケット発射筒はまだ使えないらしい。
このような街中では。
しかし。
ピストルよりは数段威力はあるだろうが全く。
小銃類では話にならない。
隊長らしい自衛官が無線機に向かって
ロケット発射筒の使用許可を
求めている声がはっきりと聞こえた。
大木たちはそれほど近くにいた。
許可が出たらしい。
片腕のサソリはすぐそこで
もう一方のサソリに抑え込まれている。
毒針が撃ち込まれる。
周囲はもう。
見る影もない。
ビルは通り一面、
ガレキの山。
倒壊しているものはないが
どれもこれも大きくえぐられたよう。
「よく狙え。
テッ!」
対戦車ロケット発射筒が火を噴いた。
サソリへ向け。
ハサミの片方ない方へ。
炸裂音。
しかし-----。
「馬鹿な」
何ともない。
確かに命中したはず。
「次。狙え。
テッ!」
やはりきかない。
「110ミリロケット発射筒、効果なし」
無線にかじりついたまま。
空にはテレビ局のヘリも多数。
その証拠に向かいの電気店のテレビには
この様子がありありと。
店の者は避難したのか見えない。
当然、一方が。
ハサミのそろった方のサソリが。
「昼間と同じだ」
「どうしたんだ」
もがき苦しみ、跳ね回りだした。
もう一方も動きが。
自衛官たちはなすすべもなく。
一匹の動きが完全に止まった。
もう一方はそれを見て迷ったように
立ち止まった。
そちらへ。苦しそうに。
一つしかないハサミを振りかざしながら。
しかし-----。
急に奴ももがき苦しみ始めた。
跳ね飛び、ビルを家を。
「またか」
やはり動かなくなった。