03
自殺を阻止するための如何にも在り来たりの問いを投げられて、俺は素直に答えた。
「います、けど……」
椹木は静かに頷き、打ち明け話をする姿勢でもって声を潜める。
「君は普通の船員じゃないから教えて無かったことなんだが。
実は、この船には隠された目的がある。聞いていないだろうね?」
俺は首を振って肯定した。
裏の、どころか本来の目的もよく知っていない。
体力もスタミナも他の働き手より劣っている上に、毎日ボコられ弱っている俺は漁師としての作業に全くと言っていいほど参加しておらず、ゴミの様に扱われ、挨拶どころか会話にも参加させてもらえない存在だからそんなこと知るべくもない。
第八徳栄丸という名の付けられた割と大型のこの漁船。
マグロ漁をする為だろうと何となく当然の様に考えていたが、もしかしたらそれも勝手な想像なのだろう。
俺の呆けた馬鹿面を見て、椹木は頷いて言った。
「ヘルゲイザー、という魚を聞いたことは無いかい?」
ヘルゲイザー、脳内で記憶の引き出しを探ってみるが、カッコイイ単語である、という感想以外に何も思い浮かばない。
幼い頃から金持ちの息子として、ありとあらゆる高級食材に触れる機会は数多かったがそんな魚は口にしたことがなかった。
「クエやマハタの英語名ですか?」
俺が呟くと、椹木は意外そうに眼を見開いて答えた。
「うん、それに近い―――所謂、超高級魚の類だ。
幻の魚、食せるのは各国の王様レベルでないと難しいとされる。」
「はあ。」
「この船はそれを狙っているんだよ。」
なるほど、そうか…と俺は思う。
でもそれが俺とどういう関係が?という疑問は次の科白で吹き飛んだ。
「で、だ。それを持ち帰ることが出来たら、船員全員に口止め料を上乗せさせた多額の報酬が支払われることが確約されているんだ。」
「多額の――」
「そう。でも、船員の会議を聞いているに、彼らの中でヘルゲイザーを捕らえた経験の有る人間は一人だけ。しかも、どうしてそれが出来たのかよく解っていないらしい。」
「なんか、コツっぽいのが有るんですか?」
俺は口の痛みを忘れてこの話題に食いついていた。
よもや自分が幻の魚を釣り上げることが出来るなどとは思い上がりも甚だしい。
けど、最後までこの船にしがみ付き、生き残ることが出来れば、未来は大きく開けるかもしれない。
ドクン、と心臓が波打つ。
大金を得て、名誉も手に入れれば
眩いほどの完璧な少女、とき子に再び会えるチャンスが巡ってくるかもしれない。
「コツ、というかね、これは些かオカルトめいた話なんだけど。」
椹木は含み笑いをしながら話を続ける。
「一つは、船を飲み込むほどの大嵐の日にしかヘルゲイザーは現れない。」
俺は無意識に天を仰いだ。
心なしか……先ほどまで小雨だった空模様が勢いを増して悪くなっているように感じられた。
「二つ目は、音楽を聞かせないといけない。」
音楽?俺の頭に大量の疑問符が浮かぶ。
「ヘルゲイザーは他生物に対して危機感を抱くと、幻覚作用を引き起こす毒を発するんだ。」
椹木はさも当然の様に言うが、俺の疑わし気な表情を察して同調するように頷いて見せた。
「サレマ・ポーギーという魚を食べ、麻薬中毒の様な症状に陥ったという人が世界に数人居る。
この魚が食べている餌、一定の海藻やプランクトンが、体内でLSD等に似たバッドトリップを引き起こす化学物質になった――と考えられているんだが、ヘルゲイザーはそういった毒を自らの意志で吐き出すことが可能だと言われているんだよ。」
俺は半信半疑ながらも頷いた。
「空気中でもその毒は飛散するから、上げている最中にそれをやられると漁師たちは手を放してしまう。けれど、その攻撃は上質な音楽で阻止することが出来る、という訳なんだ。
生演奏、かつ一定の質を保った音楽でないといけない。」
「はあ。」
「そして、最後の条件。これが難しい―――幻の魚は非常にグルメでね。
人肉を食べるんだ。」