02
奏畑の背中が船内へ消えていくのを見送った後、無駄だと解りつつも鈍い色に揺れる海へ目を凝らす。
案の定、お守りも、写真も何処にも浮かんでおらず、既に海の藻屑と消えてしまったのを絶望感満載でぼんやり眺める事しか出来なかった。
俺の、最後の希望が、こんな目に遭っても生きていられた拠り所が、消失してしまった事実に、もう耐えられそうもない。
このまま飛び降りてしまおうか、という気になった時に、背後から声を掛けられた。
「大丈夫かい?」
選りすぐりの荒くれ者ばかりをぶっこんだ船員たちの乱雑で横暴な口調とは大違いの、穏やかでスカした印象の台詞に、俺は振り返らずともその人物がやって来たのだという事を察した。
海洋学者の椹木。ほぼ毎晩の宴会にも参加せずに、静かに海ばかり観察しているこの男は何かと俺に親切にしてくれて、食べ物を奪われて日々やせ細る俺にチョコレートを恵んでくれたりする。
「いや、もう…全然。」
俺は力を無くしてそう答えた。
「何か、盗られたようだね。」
椹木は、恐らく一連の流れを見ていたのだろう。
けど、奏畑を止めることはしなかった、いや、出来るはずがない。
この船に"ストレス発散の殴られ要員"として送り込まれたこの俺を、庇う人間なんて何処にもいないのだ。
「あ、はあ…大事なお守りを、捨てられて。」
俺はこれだけ言うのが精一杯だった。
おまけに、頬を殴られているので口も満足に開けられない。
「そうか…」
椹木はそれだけ呟くと、俺と同じように荒れ始めた海を探るように見詰めた。
「事情はよく知らないけど、君も難儀な境遇に陥ったものだね。」
椹木が視線を寄越すことなく静かに呟いた。
俺は返す言葉を見つけられずに黙り込む。
「まるで……うん、良い言い方が見つからないから率直に言わせてもらうけど、こんな扱いを受けて、可可哀想だな、と思っているよ。」
椹木はこの船へ乗船した当初、同じ研究所の助手だとかいう男を一人引き連れていた。
しかし、そいつは激しい船酔い、食欲減退、やがて何かの病気に掛かり中国の港で降ろされていた。
同じく、体力のない者、リタイアした人間は足手纏いになる故にそこで下船される事を余儀なくされ、本来なら俺もそうなるハズだろうと思っていたのだが、未だにここにいるのは
――俺が、まだ必要な人間なのは、ここで殴られ続けて殺されるという事を意味している。それでも耐えてこられたのは、あの笑顔を見ることが出来たからなんだ。
じわ、と目尻の辺りが熱くなって涙が浮かんでくる。
「もう、死にたいです……っ、家族にも見放されて、俺、売られたんですよ…」
こんなこと、カウンセラーでもない魚の学者に告白したってどうしようもない事は解っていた。
でも、知ってもらいたいという欲望に栓をすることは出来ない。
「大切な人は、居ないのかな。」