5.内側に斬り込む刃
大通りの喧騒から離れた小さな公園。その中のベンチの一つに並んで腰掛けながら、エリアスは曇る気配さえ見せない晴天を見上げていた。その傍らで、無理矢理渡された飴菓子を手にしたケフェウスが、どうすればいいのだろうかという顔をしている。
言葉少なな年上の青年は、実は結構顔に出る。言葉が少ない所為なのか、感情が顔に表れてしまうのだ。常日頃狸な伯父を初めとする喰わせ者を相手にしている所為か、エリアスは本人が思っているよりも他人の感情の機微に敏感だった。問題点といえば、感情の機微を感じ取りながら、従兄であるピネウスをからかい倒している事だろうか。
ケフェウスは、驚く程自分の事を語らない。無論、それはエリアスにしても同様なので、彼を責める事などできるわけがないのだが。それでも、何処かで斬り込まねば真実は解らない。勿体ないなと思いながら、彼は思考を堅め始める。
そう、勿体ないと、思ったのだ。こうやって、ただのエリアスとしてならば、ケフェウスは逃げることなく隣にいてくれる。だがしかし、エリアス・ルタ・シーリンとしてならばどうだろうか。逃げられるだろうなと、彼は思うのだ。そしてその勘は、おそらく外れる事はないだろう。
仕方ない、とエリアスは小さく呟いた。反応したように自分を見返したケフェウスの、ひどく静かな瞳を見詰める。感情を何処までも押さえ込もうとしている瞳だった。同時に、押さえ込めない程の悲しみで満ち溢れているような。
嫌いだ、と彼は思う。こういう、自分を蔑ろにする類の瞳は、嫌いだった。それなのに、ケフェウスの瞳は、ひどく気に入っていた。何処までも深く、他者を魅了せざるを得ない程に澄み切った、底の見えない深紅の双眸。
「なぁ、ケフェウス。」
「何だ?」
「……その、お前、いつ頃まで王都にいるんだ?」
「2,3日滞在して、何処かの旅商人の護衛でも探すつもりでいる。」
「そうか。」
何気ない風を装いながら、エリアスは内心驚愕していた。自分は、そんな事を問いかけようとしたわけではない。ケフェウスの正体へと斬り込む為の言葉を、喉の奥まで控えさせていたのだ。それなのに、その言葉は出てこず、当たり障りのない台詞がこぼれた。
逃げたのだ。自分は、真実を告げる事、今の時間を捨て去る事に、考えるよりも先に逃げてしまったのだ。有り得ないと、エリアスは思う。その現実は、彼の精神の内側に斬り込む程の、他のどんなモノよりも怜悧な刃となっていた。
彼は今まで、どんな任務でもこなしてきた。どれほど親しくなった人間相手でも、気にせず正体を晒し、その傷を抉るような言葉をかけてきた。それなのに、何故今、それが出来ないのか。
その理由に思い当たって、エリアスは呆然とした。彼は、怯えていたのだ。ケフェウスに拒絶される事、彼が離れていく事。そんな、今までならどうでも良いと思っていた事に、彼は自分でも不思議な程に怯えていたのだ。
「どうかしたのか、エリアス?」
「……や、何でもない。そうそう、あそこの焼き菓子が美味いんだ、食べないか?」
「そうなのか?」
「近所で評判なんだぜ。」
ニッと笑ったエリアスを見て、ケフェウスがそうかと答える。隣を歩く青年の気配を感じながら、エリアスは答えのでない自問を繰り返す。怯えている自分、任務を放棄した自分。そんな自分が、いていいわけがないと、思うのだ。
存在価値そのものが、消えていく。駄目だと、エリアスは胸中で焦ったように呟いた。彼は、何があっても、役目を果たさなければならない。異端である彼が、一族として存在している為には、与えられた役目を、全て完璧にこなさなければならないのだ。
内側に斬り込む刃。それは、自らの自らへの裏切り。呆然としながら、彼はそれを表には出さなかった。出してはいけないと、思っていたのだ。
それでも、何故か。傍らにあるケフェウスの気配を、失いたくないと思ったのだ。それが当主である伯父への裏切りでも。自分という存在の基盤を揺るがすモノであったとしても。ケフェウスに友人として認識されたいと、彼は思った。
ただ、それだけを…………。