3.狸な伯父君と狐な甥御
ケフェウスと接触を取ったその足で、エリアスは城門の裏手をよじ登って本宅へと向かった。裏門を通れば一瞬なのだが、精霊の力を借りて壁を登る、という行為を物凄く楽しんでいるので、仕方ない。幸い公務(王太子の警護)中のピネウスに見つかる可能性は低く、咎められる事もなく彼は王城内の一角に降り立った。
「うーん、流石俺。なんて見事な着地体勢。」
「…………毎度の事ながら、いい加減に止めて貰えませんか?」
「おや、いたのか。お仕事ご苦労様、騎士殿。」
「まったくもう……。おまけにピネウス様には内緒なんでしょう?もしもばれたら俺まで殺されるじゃないですか……。」
「安心しろよ。あれで俺の従兄殿は優しいんだ。常に眉間に皺が寄っていたりするのは、心配性だからさ。」
ヒラヒラと手を振ってエリアスは立ち去っていく。そんな彼の呑気な姿を見送って、騎士は溜め息をついた。相変わらず無茶苦茶なヒトだ。そんな感想を抱きつつ、不思議とエリアスを疎めない騎士であった。それは別に彼だけではなく、殆どの者がそうであるが。エリアスは、何故か他人に敵意を抱かせる事がないし、嫌われる事が随分と少ない。
それは、彼の処世術なのかも知れない。それなりに親しい人間は、多々いる。けれどエリアスには、他の誰よりも親しい人間がいない。しいて上げるならば、従兄であるピネウスだろうか。誰にも平等に親しく振る舞う彼の本音を知る者は、実は意外に少なかった。
両腰のポケットに掌を突っ込んだままで、エリアスは中庭を走り抜けてシーリン家の本宅に向かう。おそらく伯父はまだ仕事中だろうと踏んでいるので、客間を借りて昼寝でもするつもりなのである。先程飲んだワインが今頃結構効いてきて、随分と睡魔が襲ってきているのであった。
「とりあえず寝溜めして、夜は伯父貴と話をして、叫くだろうピネウスをからかって、んでもって……。」
一部限りなく間違った予定を呟くエリアス。だがしかし、それを咎める者はいなかった。ただいまと中に入ってくるエリアスを、シーリン家に仕える使用人達は笑顔で迎える。既に、彼はこの家の家族のようなものであった。自宅よりも本宅に顔を出す回数の方が多いので。
そして彼は、ゴロリと客間の寝台の上に転がり、しばらくの安眠を甘受したのであった…………。
そして、夜。
「起きんか馬鹿者ーーっ!!!」
「……んぁ?」
「報告があると伝言を残した割に、一人のうのうと寝転けるな!」
「よぉ、おはようピネウス。仕事終わったのか?伯父貴は?」
「…………。既に私室でお待ちだ。」
「了解。ふぁーあ、良く寝たぁ……。」
呑気な従弟の発言に、ピネウスは疲れたように肩を落とした。ついてこないのかと振り返るエリアスに、私は寝ると宣言する。そうか、残念だ。何がどう残念なのかピネウスには解らなかったが、それは悪かったなと告げて彼は踵を返す。その背中に、エリアスの言葉がぶつかった。
「せっかくお前をからかって遊ぼうと思ったのに。」
「貴様という奴はーーーっ!!!」
「夜なのにそう叫ぶなよ、従兄殿。」
「叫ばせているのは貴様だ、馬鹿者ーーっ!!」
絶叫するピネウスに、お休みと微笑むエリアス。毒気を抜かれたようにお休みと呟いたピネウスを残して、エリアスは伯父の待つ部屋へと足を向けた。しばし呆然としていたピネウスは、エリアスの姿が廊下の角に消えたのを確認してから、我に返った。即ち、またしても、体良くあしらわれたのだ、と。
ノックをした後に扉を開けて、エリアスは中に入る。ラフェドは既にくつろいでいたのか、机の上に置かれたグラスにはワインがつがれていた。まぁ座れ、と促されて、エリアスは彼の向かいの椅子に座る。
「それで、何か成果はあったのか?」
「伯父貴って、本当に狸だよな。そういうところ好きだけど。」
「どの辺りが狸だと?」
「わざわざ俺に行かせる辺りが。」
「適材適所、だろう?」
40代の後半に差し掛かっているラフェドは、空いているグラスにワインをつぐエリアスを見て笑った。そんなラフェドを見てエリアスも笑う。彼等の笑顔は、親子でないのが不思議な程に良く似ていた。少なくとも、ピネウスよりはエリアスの方が、より一層ラフェドに似ているはずである。その性格も、考え方も、色彩も、仕草も。
「成果って程じゃないけど、それっぽい人間とは接触できた。」
「ほぉ……。何処の誰だ?」
「出身は、多分南方諸島。黒髪赤眼の20代半ば頃の青年。名前はケフェウス・フリーデン。」
「……あたり、かもしれんぞ。」
「は?」
「ケフェウス・フリーデンの名は、聞いた事がある。10年程前に20代半ばだった筈だ。辺境の傭兵部隊の指揮官の名前が確かそれだ。」
「同姓同名の別人じゃないのか?」
フリーデンという姓も、ケフェウスという名も、別に珍しくはない。テバイという国は様々な民族が混在する国家であり、その為名前も多種多様。そういう事を考えれば、別に珍しくないのではないかと、エリアスはあえて伯父に対して主張した。
けれど、ラフェドは首を左右に振る。彼の聞いた話に寄れば、その青年も黒髪赤眼なのだという。符号があまりにも重なりすぎるという事実に、エリアスは眉間に皺を刻んだ。事が上手く運びすぎるのは、彼にとっては嬉しくない。
楽しい事が大好きだが、楽な事も大好きだが、どちらかというと、あまり誰かにはめられるのは好きではないのだ。それに、と彼は思う。ヒトに怯えるようであった彼を、あまり巻き込みたくなかったのだ。不思議な感情だとエリアスは思う。他人の都合など、考えた事はなかったし、誰かの為に配慮をするということもしたことがなかった。エリアスの今までの生き方は、そういうモノだった。
「……まぁ、とりあえず明日もう一度会うから。」
「エリアス。」
「あ?」
「仮にその青年が不死者だとしたら、引き入れろ。」
「……何の為に?」
「親衛隊長の候補者がいなくて困っている。そうそう殉職ばかりされては迷惑だからな。」
「伯父貴が警護している以上陛下は無事だろう?だいたい、王家の人間がそうそう簡単に死ぬわけないと思うけど?」
「それとこれは別だ。不死者ならば、面白そうだろう?」
「……素敵だぜ、伯父貴。最高。」
その性格の捻れ具合が、とは付け加えない。どうせ言わなくても解っている事だろうと思うのだ。親衛隊長に、あの青年を置く。それは結構、嬉しい事かも知れないと彼は思った。身近な所においておけるのならば、楽しそうだと。
ひょっとして、と彼は思った。そうしてケフェウスを留める事で、自分を引き留めるつもりなのだろうか、と。放浪癖のあるエリアスを国内に留める為に、彼が興味を持った青年を引き込もうとしているのではないか。そもそも、興味を持たせる為に不死者の話をしたのではないか。
この狸めいた伯父ならば有り得ると、エリアスは思った。別に、彼のそういったところが嫌いなわけではないのだが。
「とりあえず、成果をお楽しみに、伯父貴。」
「楽しみに待たせてもらおう。陛下も心待ちにしておられる。」
「親衛隊長の件は、無理かも知れないぜ。あいつ、対人恐怖症っぽいから。宮仕えなんてしなさそう。」
「それを引き入れるのが、お前の手腕だろう?」
「そこまで買って頂いて、大変恐縮です。」
ニッコリと笑ったエリアスの笑顔は、彼自身がどう思っていようと、ラフェドのそれにそっくりだった。




