2.寂しげな眼差しの青年
「ったく、伯父貴も横暴だよなぁ……。」
ブツブツと文句を言いながら、エリアスは王都の中を歩いている。元来式典などに参加しない彼の顔は、殆どの市民達に知られているわけではなく、お陰でこうやって彷徨いていても何ら不審に思われない。
これがピネウスだったのならば、すぐさま多くの人間に見咎められるだろう。その辺りの事も考えて自分を送り込んだのだろう伯父の、相も変わらず喰わせ者で抜け目のない性格に彼は溜め息をついた。別に嫌いではないのだが、時折疲れると思うのである。
ガシガシと無造作に髪をかく度に、見事な純金の髪が乱れてぼさぼさになっていく。だがしかし、20代の若者が髪に気を配るかと言えば否であり、彼の行動は何ら不自然ではない。まぁ、大貴族の子息としては、あまりにも間違っているだろうが。
情報を集めるなら、やっぱり酒場か宿屋か。そんな事を呟いて、彼は足を繁華街の方へと向ける。昼間ではそれ程人の出入りはないだろうが、それでも長期で泊まり込んでいる人間や、仕入れをしている地元の人間がいるのは確かである。地道に情報収集に励むには、やはりそういうところが向いている。
「……誰か一人ぐらい、借りてくるべきだったか……。」
例えば、まだ殆ど顔も知られていない見習い騎士とか。一人で行わねばならない労力や負担を考えて、エリアスは失敗したなと肩を竦めた。それでもまぁ、戻ろうとしない辺りは見事である。もっとも、彼の頭の中には、『見つからなかったらとっとと帰ろう』という考えが浮かんでいたのだが。
何処にでもいる一般市民の服装をしているエリアスを、警備の為に巡回している騎士達が見咎めるわけがない。ご苦労様です、などと呑気に挨拶しながら、その脇を擦り抜ける。ピネウスが見ていたら額を押さえる姿だろうが、幸か不幸か彼の青年はここにはいない。
菓子売りの少年から飴菓子を買い取り、香り立つ見事な出来映えのワインを見つけてそれを一杯分買い取る。片手に飴菓子、片手にワイン。そんな彼を見て、誰も内偵役だとは思わないだろう。或いは、それを考えてやっているのかも知れないと、ピネウスあたりなら一瞬考えるのかも知れない。
だがしかし、エリアスはこれが素である。人生は楽しんだ者が勝ち。堅苦しい事を考える前に羽を伸ばせ。失敗したらそれは運命の所為。そんな非常に前向きかつふざけた思考で生きている。とりあえずピネウスにはエリアスの頭の中は覗けないので、その件に関して彼が従兄に怒られる心配は全くなかった。
その時、不意にエリアスの感覚を何かが走り抜けた。彼は元来、相手の特性を見抜くのが得意である。感覚として、相手の何かを察知する能力に秀でている。それは、人間と異種族の違いや、特殊な呪法などに反応し、その為に彼は、変化の術や呪術などに関して敏感だった。
不自然にならない程度に、エリアスは振り返る。先程自分の感覚に触れた、その異質な存在感の持ち主を捜した。ゆっくりとした足取りで歩いていく青年の姿が見える。あいつかと、彼は目星をつけた。間違えようがない程に、エリアスの視界の中では、その青年だけが群衆の中に浮かび上がっているのだ。
水に濡れたような深みを宿した漆黒の髪は巻き毛で、その緩やかに巻いた毛先が項にかかる程度の長さにされている。身に纏う服装はごく有り触れた傭兵のそれで、腰に差されている剣も特に変わったところはない。それでも、違和感にも似た何かが、確かにそこにあった。
片手に握ったままであった飴菓子を噛み砕いて飲み込み、器の底にまだ残っていたワインを一気に煽る。そうしておいて、宿屋の中に消えようとしている青年の腕を、半ば以上強引と解りつつもエリアスは掴んだ。本能が、今ここで接触しておけと告げているのだ。そしてエリアスは、自分の勘と本能を何よりも信じていた。
「……ッ!!」
「うわ……ッ?!」
青年の腕をエリアスが掴んだその瞬間、まるで何かに怯えるかのように青年が彼の腕を力一杯振り払った。一瞬体勢を崩しかけて何とか持ちこたえたエリアスは、慌てて振り返った青年の顔を真正面から見た。その容貌、色彩、困惑した表情、全てが彼の視界に晒される。
深い、深すぎる、鮮血を封じたような深紅の双眸。動揺と困惑と怯えを等間隔で混ぜ合わせたような表情。20代の半ば頃と思しき整った顔立ちの青年で、けれどその割に、何処か影を含んだ眼差しが不思議だった。
「あ、悪い。いきなりごめんな。ちょっと話がしたかったんだ。」
「……私こそ、すまない。驚いてしまって。」
「いやいや。俺が悪かったんだって。いきなり腕掴まれたら、誰だってビックリするもんなぁ……。俺ってちょっと馬鹿なところあってさ、本当にごめんな。」
「……いや。」
ニコニコと邪気泣く笑うエリアスを見て、青年は困惑する。実年齢を疑われているのだろうかと、頭の片隅で思いつつ、それを彼は振り払った。とりあえず今成すべき事は、相手と接触を取る事だ。名前を知る事、少しでも会話をする事。そして、相手の正体を見極める事。
よくぞ自分を指名してくれた。今更ながらにエリアスは、伯父の慧眼に恐れ入る。不死者という異質異端な存在を捜すのには、エリアスが適任だ。他の者達が噂以外の手段を仕えないのに対して、彼だけは自らの感覚を頼りに捜す事ができるのだから。
「少し話できないかな?何なら、昼食奢るし。」
「……長旅で疲れているので、宿で休ませてもらいたいのだ。すまないが、貴殿と食事をする気力が無くてな……。」
「そうか……。あ、なら明日はどうだ?あんたテバイは初めてか?俺は長年この国に住んでるから、案内できるぜ。」
「…………しかし……。」
だめか、と重ねて問いかけるエリアス。元来他人の頼みを断れない気質なのか、青年は困った顔をする。けれど何度かそれを繰り返す内に、仕方なくと言いたげに承諾した。内心、勝利を確信したエリアスである。
こいつは、アタリに違いない。そうでなくとも、何かを含んでいる存在である事は確かだった。伯父の思惑にはまったのは癪に障るが、目の前の青年が不死者だとしたら、面白いと思う。
「俺の名前はエリアス。あんたは?」
「……ケフェウス・フリーデン。」
「そうか、宜しくな。それじゃ俺は、明日の今頃ここまで来るよ。」
「……あ、あぁ……。」
最初から最後まで圧倒されっぱなしだったケフェウスを見て、エリアスはニッコリと笑った。また明日な、と笑顔で告げて立ち去っていく。そんなエリアスの賑やかな姿を見送って、彼は溜め息をついた。陰りを含んだ双眸は、自嘲めいた色を称えて足下を見詰めていた。