10.真実を晒す為の行動
書類を書庫に戻した後に、エリアスは慌てるように城を後にした。そんな彼を見送る兵士達は、また何かやらかしたのか、という顔をしていた。だがしかし、そこに含まれているのは友愛の情だけである。不思議な事に、常日頃ピネウスにどつき回されているからこそ、一般兵から妙な親しみを持たれているエリアスなのだ。
運良く、というのか、好都合、というのか。エリアスがケフェウスを発見したのは、人通りの少ない、寂れた印象のある小さな公園の端だった。思わず、ニヤリと唇の端が笑みの形に変わる。それに気付いて、慌ててエリアスは表情全体を笑みに変えた。
「ケフェウス。」
「……エリアス?」
「散歩か?そういえば、仕事、見つかったのか?」
「……いや、まだだ。」
静かに、淡々と答えるケフェウス。目の前の、この青年の声には、感情の起伏が乏しい。それが意図して押さえ込まれたモノなのか、いつの間にか染みついてしまったモノなのか、エリアスには解らなかった。けれど、その静かな、凪いだ海のような声が、彼は好きだと思った。
それを、崩すのか。一瞬だけ躊躇いが生まれて、けれどエリアスは自分を叱咤した。手に入れると決めた以上、ここで踏み出さなくては何も変わらない。その事実を彼はしっかりと認識していたのだ。だからこそ、袖の中に潜ませていた短剣を滑り落とし、そっと握りしめる。
風すら割く程の、素早い斬り込み。それを、ケフェウスは反射的にかわした。けれど、避けきれなかった刃の軌跡が、ケフェウスの二の腕を切り裂いた。パックリと割かれた傷口から鮮血が溢れたのは、一瞬だけ。次の瞬間傷口は、まるで何もなかったかのように塞がった。
「…………ッ!」
「やはり、そうか……。」
「……エリアス、お前は、一体……。」
「それは俺の台詞だろう?傷が瞬時に塞がるなんて、お前何者?」
「…………それは……。」
「ま、だいたい予測はついてるんだけどな。」
ニヤリ、とエリアスは笑う。質の悪い笑みだろうなと自覚しつつ、止める事は出来なかった。性格の悪さは伯父貴譲りだもんな、などと心の中でうそぶく。短剣を取り出した鞘にしまいつつ、エリアスはケフェウスを見た。
優雅に、エリアスは一礼する。テバイ宮廷式の、左足を半歩分引いて上半身を軽く折り、そのまま左腕を斜め後ろに、右腕を腹の辺りに当てるようにする、流れるような動作の礼である。それが見よう見まねでなく染みついたモノである事を、ケフェウスは見抜いただろう。あまりにもその動きは洗練されすぎていて、市井の青年であるという事を嘘だと知らしめる。
「改めて自己紹介をさせて頂こう、ケフェウス・フリーデン殿。我が名はエリアス。姓はルタ・シーリン。現シーリン家当主ラフェド・ファル・シーリンの甥にあたる。」
「…………ッ、な……。」
「と、いうわけで。お前に仕事の依頼だが、如何かな?………………巷で噂の『不死者』殿。」
「……………………。」
ケフェウスは騒がなかった。ただ、呆然と見開かれた瞳だけがそこにある。深紅の、あまりにも鮮やかであり深くもある、眩い紅の瞳が。その双眸を、エリアスは真っ直ぐと見据えていた。片時も揺らぐ事のない、真っ直ぐすぎる眼差しで。
「何故、私が『不死者』だと?」
「10年前、テバイ辺境の傭兵部隊長をしていただろう?その書類が残ってた。ウチの伯父の記憶にもな。」
「……あぁ、あの時の……。」
観念したような口調だった。仕方ないなと、半ば以上諦めにも似た声音で呟く。彼にとって、自らが『不死者』であることは、呪うべき事なのだろう。その特別すぎる在り方を、彼はただ、拒んでいる。エリアスはただ、そう思った。
すっと、ケフェウスが腰に差していた剣をぬいた。何をするつもりだと訝しむエリアスの目の前で彼は、一欠片の躊躇いも宿さないままに、自らの左腕を切り落とした。思わず、エリアスが息を呑む。けれどケフェウスは、それが苦痛ではないかのように、平然と自らの左腕を拾い上げて、切断部をくっつけた。すると、まるでそうなるべきなのだというかのように、切り落とされた腕が、元あったように繋がったのだ。
これが、『不死者』の力か。何があっても死ぬ事がない、死ねない青年。一瞬の半分だけ恐怖を感じ、次にエリアスは、哀しみを感じた。死ねない。只一人、自分だけが死ぬことなく生きていく。戦乱の中であろうと、疫病の最中であろうと。それは、あまりにも辛い事ではないだろうか。
「私は、確かに『不死者』だ。けれどこれは、私が願って手に入れた体質ではない。…………父母の犯した罪の咎を、私が被っただけの話。」
「……罪?」
「神をも恐れぬ所行の一つ、反魂の法がある事を知っているか?それを行った罪により、その反動によって、両親は死んだ。そしてその場に巻き込まれる形で立ち入っていた私は、父母と同じだけの反動を受けたにもかかわらず、その反動を受け止めてしまうだけの素質があったらしい。」
「…………結果、お前は『不死者』になった、と?」
「そういう事だ。今から既に、20年程前の話になるが。」
告げられた言葉の重さ。けれど、エリアスは、不謹慎だと解りつつも、喜びの念を隠しきる事が出来なかった。目の前にいるのは、決して死ぬ事のない青年。何があっても死なないだろう、護る必要のない存在。それが、彼には嬉しかった。
自分という存在の歪みを、エリアスは再確認する。けれど不思議な事に、彼は思っていたのだ。目の前のこの青年ならば、自分のその歪みも含めて、全てを受け入れてくれるのではないかと。滑稽な話だが、彼はそれが真実だと、悟っていたのだ。