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1-07 転入生現る

 本来であれば、身体を休めるためにある週末だが、孝はこの週末、ほとんど休めなかった。特に昨夜は夜遅くに椿のストーカーだった玖珂とその取り巻きとケンカしていたこともあり、月曜日である今朝、孝が目を覚ましたのは午前8時。朝のHRが始まる本鈴の時間は午前8時40分。上手く電車の時間が合えば、という条件付きではあるが、普段の通学に要する時間はおよそ35分。しかし、北羽村駅から学校がある松林市駅方面への電車が、15分に1本の間隔であるため、いつも乗っていた8時10分発の次が8時25分発。北羽村と松林市は隣同士の駅であるため、ほんの4分ほどで松林市駅に着けるのだが、駅から学校まで、歩いて14~5分かかるのだ。そして、孝の家から北羽村の駅までは徒歩で10分、普段は使わない自転車を飛ばしても5分はかかる。

「ヤバッ! 寝過ごした! い、急がないとっ!」

 火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、人間はピンチだと限界以上の能力が出せるもので、普段は着替えなどの支度に10分はかかるところを、半分の5分で支度し、自転車で飛び出した。

 しかし、それでも8時10分発の電車には間に合わず、次の8時25分発を待つことになる。松林市駅から学校までの所要時間を考えると、この時点で十中八九、遅刻が確定したことになる。

 とはいえ、駅と学校の間が14~5分かかるのは、あくまで「歩いた」場合の話で、走ればその分時間を短縮できる。だが、その距離は1キロほどあり、教科書などが入ったバッグを背負って走り続けるには少々厳しい距離だ。

 普通の生徒なら、素直に諦めて遅刻を受け入れていただろうが、孝は諦めなかった。駅を飛び出し、すでに登校する生徒もまばらになっている通学路をひた走る。しかし、まだ校門も見えないうちに本鈴5分前を示す予鈴が鳴るのがかすかに聞こえ、ぜえはあと息を荒げながら校門を通過すると同時に本鈴が鳴り響いた。本鈴が鳴り終わるまでに教室に入っていないと遅刻扱いになるため、鳴り始めた時点でまだ昇降口にも辿り着いていない孝は遅刻が確定した。

「さすがに間に合わなかったか……」

 遅刻が確定してしまった以上、焦ってHRに駆け込むこともないと、昇降口で走るのを止めた孝は、呼吸を整えながら4階にある教室へ向かう。廊下は走るな、という校内の基本ルールを遵守している、とも言えるが、たびたび明日実と校内鬼ごっこをしている孝には今さらである。ちなみに、その校内鬼ごっこについては、これまでに幾度となく注意を受けており、そろそろ教師の雷が落とされそうな感じになりつつある。

(なんだ? HR中にしては妙に騒がしい気がするな。何かあったのか?)

 奇跡的に担任がまだ来ていなかったりしないだろうかと益体もないことを考えつつ、孝はそっと教室の後ろの扉を開けた。だが、教室の扉というものはどんなに静かに開けようとしても音を立ててしまうもので、瞬時に教室内の視線が孝に集中した。

「お、おはようございます……」

「おはよう。珍しいな、八坂が遅刻するなんて。まあいい、席に着きなさい。今は転入生の紹介中だ」

 集中した視線が恥ずかしく、やや顔を赤らめながら孝が挨拶すると、担任の後藤ごとうが挨拶を返してきたが、騒がしい理由は転入生のようだ。

「転入生? って、ええええっ!? な、なんで椿がここにっ!?」

 転入生として教壇に立っていたのは、なんと椿だった。これには孝も驚きを隠せない。

「なんだ? 八坂、知り合いなのか?」

 異常な反応を示した孝に後藤が訊ねると、

「はい、中学の同級生ですが……」

 孝はありのままを答えた。

「そうか、それなら席は八坂の隣でいいな。八坂の隣にいる今泉いまいずみは済まんが深溝の隣に移動して、誰か桐生の机とイスを空き教室から持ってきてやってくれ」

 後藤が決めた席に、男子生徒の大半がブーイングを飛ばすも、判定は覆らず、大騒ぎのうちにHRは終了した。


「なあ、椿って確か羽村女子はねむらじょし高校に通ってるんだったよな? それがなんでこっちにいるの?」

 HR終了後、それと1限終了後の休み時間までは、椿を取り囲んで質問責めにするクラスメートに邪魔されて、孝が聞きたいことは聞けなかったが、2限目が終わった後の休み時間でようやくそのチャンスが訪れた。

「うん、確かに私は羽女ハネジョに通ってたよ。でも、あそこってこのあたりどころか、県内全体で見てもトップクラスの偏差値じゃない? 無理して勉強して合格はしたけど、私にはレベルが高すぎたみたいで、試験で50点以下は即赤点扱いになるの。私も中間試験で早々に赤点連発しちゃって、このままじゃついていけない、って向こうの先生に相談して転校先を探していたの。そうしたら、今年の入試で定員割れしていたらしいここが受け入れてくれるみたいだったから、編入試験を受けて、晴れて編入してきたの。本当は先週中には決まってたんだけど、孝くんと再会したのは偶然だったし、驚かせたかったから何も言わなかったんだ」

 椿はこれまでの経緯を説明した。周囲で聞き耳を立てているクラスメートが「椿!? 孝くん!? 仲良しアピールかっ!」などと騒いでいるが、椿はともかく、孝は聞こえないフリをした。

「そうだったんだ。まあ、何はともあれ、またよろしくな、椿」

 椿の話に頷いた孝は、笑顔で椿と握手を交わすと、拓也の席へ向かった。

「おっす、例の記事はできたのか?」

 孝が拓也に訊ねると、

「八坂、お前はあの子、桐生さんが転入してくることを知っていたのか?」

 拓也は質問には答えず、逆に質問を投げかけてきた。

「まさか。知ってたら、教室に入ったときにあんなに驚くはずがないだろうが」

 それに対し、孝が即答で全面否定すると、

「それもそうか。変なことを聞いたな。で、原稿の件だったな。結局、桐生さんの名前は調べられたが、通ってる高校が調べ切れなくて中断していた状態だ。今日中に原稿を仕上げて、明日提出予定だ。その前に見せればいいんだろ?」

 拓也はきちんと原稿を仕上げるため、調べ切れなかった部分で手を止めていたようだ。だが、椿が転入してきたことでその部分も解決するため、仕上げて見せると請け負った。

「まあ、オレとしては間に合わなくてお蔵入りになったとしても一向に構わないんだけどな。おっと、そろそろチャイムが鳴るか。じゃ、頑張れよ」

 孝は別に拓也の原稿が間に合わなくて掲載権を失ったところで、痛くもかゆくもないため、形だけの応援をしておいた。記事を掲載できなくとも、報酬のカツサンドは1個、保障されている。実際に記事が新聞として校内に出回れば、カツサンドは2個になるが、孝の本音としては記事が出ることなく、報酬のカツサンドも1個あればいい、と考えていた。


 午前の授業終了を告げるチャイムが鳴り、孝が軽く背伸びをした直後。

「たっかしくーん♪ お昼一緒に……」

 教室後部のドアが勢い良く開き、明日実が入ってきたのだが、踏み込んで一歩でその足が止まった。

「な、なんで桐生さんがここに……? まさか、1組に来た転入生って……!?」

 明日実が孝の隣の席にいる椿に気づいて驚いている。

「その通りよ、古川さん。私がその転入生。よろしくね?」

 椿は平然とした顔で頷いてみせる。

「よ、よろしく……じゃなくて! 席が孝くんの隣とか、なんてうらやましい状況なの!? 隣同士ならいろんなことがやりたい放題……」

 さらに改めて席の位置関係を見てショックを受ける明日実。

「少し落ち着け、明日実。席は先生が決めたことだし、授業中、椿は特に何もしなかった。教科書がまだ無いから、オレのを見せてあげてたくらいだ」

 孝がそう言って明日実をなだめようとしたが、

「でも、桐生さんがその席になったのって、孝が中学の同級生だったから、って理由だよな」

 横から誰かが口を挟んできた。

「おい、勇太。お前、一昨日、いきなり逃げ出した上に余計なことを……」

「やかましい。古川さんに想いを寄せられておきながらのらりくらりと逃げ続けて、そんな折にやってきた美少女転入生とは同中おなちゅーで顔見知りなのを理由に隣の席をゲット。お前はこのクラスの男子全員を敵に回したってことを自覚すべきだ」

 口を挟んできた勇太に孝が文句をつけるが、それを遮って勇太が力説し、周りの男子生徒が「そうだそうだ」と追従する。

「お、お前らなぁ……」

「やっぱり作為の痕があるんじゃない。あーあ、隣の席とは言わなくても、せめて同じクラスだったらなぁ……」

 そうしたやりとりに、明日実が現状への不満を漏らす。

「古川さん。言っておくけど、私が孝くんのいる1組に転入したのまでは何の作為も無いわ。私は孝くんがこの学校に通っていることを思い出して、向こうの先生から示された、いくつかの転校先の候補からここを選んだけれど、何組にいるかまでは知りようがなかったんだから」

 このまま言わせておくと、自身が1組(このクラス)に編入されたことさえ何らかの作為があった、と言い出しかねないため、椿は先手を打ってそれを否定した。

「さすがにそこまで疑うことはしないけど、授業中やその合間とかに一緒にいられるんだから、昼休みくらい孝くんと一緒にいるのを譲ってくれてもいいよね?」

 すると、明日実は昼休みの間の孝の身柄を巡って椿に交渉を持ちかけた。

「明確なライバルになるとわかってて、塩を送るほど私は優しくないわ。お昼だっていつも一緒にいたいに決まってます。放課後は、2人が同じマンションに住んでるから譲らざるを得ないですけど……」

 しかし椿も譲るつもりは無いようだ。睨み合い、火花が飛び散る中、

「あのさ、張り合ってるとこ悪いんだけどさ、お昼くらいはゆっくりしたいなー……なんて」

 孝が口を挟むが、2人に同時に睨まれ、尻すぼみになっていく。それどころか、

「「孝くんはどっちを選ぶの!?」」

 2人揃って凄まじい勢いで詰め寄ってきた。

「……いや、だから、あのね……せめて昼くらいは1人で過ごさせてくれっ!」

 孝はどちらも選ばない、という結論を示すと、朝、電車待ちをしている間に駅の中に併設されているコンビニで買っておいたパンや飲み物が入った袋を手に、脱兎のごとく教室から逃げ出した。

「あっ、逃げた!? 孝くん、待ってよ!」

「行っちゃった、か……追いかけても仕方ないですし、今日のところは諦めましょう」

 逃げた孝に対する反応ははっきり分かれた。明日実は孝を追って走り出し、椿は席を立つことなく家から持ってきた弁当箱を広げて食べ始めた。なお、孝が逃げ出した時点で勇太たちクラスメートもそれぞれに昼休みを満喫し始めた。


 一方、孝は購買部の人ごみを利用して明日実を撒いた後、屋上に来ていた。屋上は施錠されていないため、自由に出入りすることができるが、潜伏先としては予測しやすく、見つかるリスクは高い。

 だが、孝はほぼ見つからない場所を知っていた。屋上には給水タンクが2基設置されているのだが、その2基の隙間がなぜかややナナメになっており、隙間に潜伏すると屋上の出入り扉からちょうどいい具合に死角になっているのだ。さらに、昼休みの時間帯はそこは日陰になっていて、雨が降らない限り、という条件付きで校内で最も見つかりにくい潜伏場所となる。今日は雲が多めだが、雨は降っていないので、万事OKなのだ。

「ふう……まさか椿が転入してくるなんてな……明日実と張り合ってるみたいだし、これからどうなるんだろうなぁ……」

 ようやく落ち着ける場所を確保した孝は、パンをかじりながらこれからの生活を思って小さくため息をつくのだった。

「孝くーん、ここにいるのー?」

 そんな折、屋上の出入り扉のほうから明日実の声が聞こえた。すでにパンは食べ終わっているが、残り少ない昼休みをのんびりするため、孝は息を潜めてやり過ごそうとする。やがて、「……いないか。んもー、どこに行ったんだろ?」と小さく呟く声とともに、ギィ、という音を立てて開いた扉がバタン、と閉じた。


 昼休みが終わる5分前の予鈴が鳴る頃、孝は教室へ戻ってきたが、教室の扉の傍で明日実が待ち構えていた。

「孝くん、逃げるなんて酷くない? 今までどこに隠れてたの?」

 戻ってきた孝を早速非難する明日実に、

「あのなぁ、休み時間と授業中は椿が、放課後は明日実がずっと一緒にいるようなものなんだから、せめて昼休みくらいは1人でゆっくりさせてくれよ」

 孝は質問には答えず、要望を伝えた。

「えっ、そんなのダメダメ。昼休みこそ一緒じゃないと、“アレ”ができないじゃない」

 しかし明日実は意味深な発言をして、孝の要望を却下する。と、そこで本鈴が鳴ってしまった。

「“アレ”ってのが何なのか、なんとなく嫌な予感がして気になるけど、とりあえずは授業の時間だし、またな」

 次の授業は地理だ。孝は授業の準備をすべく、教室に入っていった。


 午後の授業を終え、HRの時間。担任の後藤が連絡事項をいくつか話している中、孝は終わったらすぐに走り出すため、足に意識を集中させていた。

「連絡事項は以上だ。日直、号令を」

「起立、礼!」

 後藤が告げる終了の声、それに合わせた日直の号令を受け、孝は走り出した。


 だが、孝のダッシュは失敗に終わった。どうやら1組よりも3組のほうが先にHRが終わったらしく、すでに明日実が昇降口で待ち構えていたのだ。

「あ、孝くん。一緒に帰ろうよ」

 先週末の失敗の件もあり、先回りされた以上逃げ切ることは無理と判断した孝はそのまま下足箱に向かい、靴を履き替えると、明日実が嬉しそうに寄ってきた。

「まあ、どうせ同じマンションに帰るわけだしな」

 孝が勝手にすれば、というニュアンスを出して答え、歩き出そうとした、その時。

「ああ、良かった、追いついた。孝くん、私と一緒に帰らない?」

 小走りで階段を下りてきた椿が追いついてきた。

「ちょっと、桐生さん。孝くんはわたしと一緒に帰るんだから、邪魔しないでよ」

 だが、横に並ぼうとした椿を、明日実が妨害して主張する。

「そのことを孝くんは了承しているの? ねえ、孝くん?」

 しかし椿も後から来た割には譲ろうとしない。

「了承するも何も……」

「「孝くんはどっちと一緒に帰るの!?」」

 何かを言いかけた孝を遮り、昼休みと同じような争いになってしまう。

「椿も含めて3人とも最寄りが北羽村で、しかも椿は駅前のマンションだろ? 途中までみんな一緒なんだから、どっちか、なんて言わずに3人で一緒に帰ればいいじゃないか。なんでこんなことでいちいちケンカしてるんだよ? ケンカする女の子なんてみっともないと思わないのか? あんまりケンカばかりするなら、オレはどっちも選ばないで1人で帰るぜ」

 孝は正論を振りかざして仲裁を試みる。

「「孝くんがそう言うのなら……」」

 惚れた弱みか、明日実と椿は渋々ながらも揃ってその主張を受け入れ、明日実と椿で孝を挟むような並びで一緒に帰っていった。その様子を見ていた男子生徒一同が嫉妬の炎を燃え上がらせていたが、孝はそんなことに気づく様子もなかった。

 帰り道では孝を挟んだ明日実と椿がお互いを牽制し合う様な形になったために何事も起こらず、北羽村の駅前で椿と別れ、孝と明日実、2人きりになっても特に何かを仕掛けようとはしなかった。いつの間にか紳士協定ならぬ淑女協定でも結んだのだろうか。

お読みいただき、ありがとうございます。

次回:1-08 Let’sバカップル!? 7/8 06:00 更新予定!

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