1-06 週末(4) 対峙、そして退治。
「なんか雨でも降り出しそうな感じだな……椿、寒くないか?」
6月なので、極端に気温が低いわけではないが、それでも椿の服装は少し薄着に過ぎると感じた孝が椿に訊ねる。
「あ、うん……大丈夫だよ。服装としては少し寒いんだけど、でも孝くんが隣にいるだけでなんか心はホッとして温かいから……」
はにかみながら言った椿の言葉に、孝は一瞬でゆでだこのように顔が赤くなった。
「椿、そういうのはカップルの特権であって、今のオレたちにはまだ早い……とりあえず、これでも羽織っておいてよ」
顔を真っ赤にしながら孝は呟き、自分の上着を椿に羽織らせてあげる。
「あ、ありがとう……うん、暖かい」
さすがにこれには椿も顔を赤くし、孝に礼を言う。だが、孝はすでに真剣な表情に戻り、前方を見据えている。
「そこにいるのは誰だ? 隠れてないで出て来い!」
そう叫ぶと、およそ50mほど先にある電柱、そして自動販売機の陰から合計で3人の男たちが出てきた。1人は椿とそう変わらない、男としては低い身長に、醜く、とまでは行かないが太り気味の体格。おそらくコイツがリーダー格なのだろう。あとの2人は、チビデブの後ろに控えるように立っており、1人は孝をも上回る高身長と、それに見合った筋肉質の身体。そしてもう1人は、孝より少し低いくらいの、男としては平均的な身長と体格。しかし足だけが妙に長い。孝が現れた3人の様子を観察していると、真ん中のチビデブが1歩前に進み出た。
「昨日も見た顔だが、一応確認してやる。お前が八坂孝だな? ボクらのマドンナ、桐生タンを誑かす悪党は、このボクが成敗してくれる!」
チビデブは挨拶も何もなく、いきなり孝に指を突きつけると、宣戦布告とも取れる言葉を発した。
「は? 何言ってんだコイツは?」
いきなりの宣戦布告に戸惑う孝をよそに、
「玖珂くん……やっぱりつけてきてたのね。悪いけど、あなたたちは大きな勘違いをしているわ。孝くんが私を誑かしたんじゃなくて、もう2年も前から私は孝くんのことが好きだったんだからっ!」
椿が怒りを滲ませた声音で3人の男たちに叫ぶ。
「椿、こいつらが例のストーカーなのか?」
孝が相手から目を離さないようにしながら椿に訊ねると、
「ええ、そうよ。でも、ストーカー行為をしているのは玖珂くんだけね。あとの2人は玖珂くんの手下っていうか取り巻きで、ケンカ慣れしているみたいだから、気をつけてね」
椿は頷くと、孝の後ろに隠れた。
「全く、送りに行って大正解だったな。まさか、相談を受けたその日のうちに元凶と遭遇するとはな。ふん、やるならとっとと始めようぜ。オレを成敗するんだろう? なあ、玖珂とやら?」
孝は先ほどの宣戦布告のお返しとばかりに玖珂を挑発する。
「ボ、ボクをバカにしたな!? おい、お前ら、やってしまえ!」
すると玖珂は瞬時に顔を紅潮させ、怒りを顕わに突撃……することはなく、後ろの2人に命令を下した。すると、後ろにいた2人が同時に前へ出てきた。
「おいおい、ケンカって言ったらタイマンが基本だろう。しかも玖珂、お前自身は戦おうとしていないのに、オレのことを軟弱そうだとかのたまったらしいな。そんな“軟弱そうな”オレに対して、取り巻きを2人もつけて2対1でケンカを売るとか、恥ずかしいと思わんのか? よし、じゃあこうしよう。この戦いに負けたほうは、潔く椿から身を引く。それでどうよ? まさか、拒否はしねえだろう? 2対1、お前自身を含めれば3対1で戦うことを容認している以上、断然そっちが有利なんだからなぁ?」
孝は前に出てきた玖珂の取り巻きの2人を目で牽制しながら玖珂に条件を提示してさらに挑発する。
「ふん、その条件でいいだろう。小金井、根来、行けっ!」
しかし、そこまで言っても玖珂自身に戦う意思は無いようで、取り巻きの2人に命じるのみだった。
「ふん、俺たち2人を相手にするのに、あんな条件を大将に出すとはな。ずいぶんな自信じゃないか。だが、手加減なんてしねえぞ。根来、やるぞ」
孝よりも背の高いほうの男――小金井は孝のことを愚かだと鼻で笑い、相棒の根来を促した。
「おう」
対する根来はただ一言応じると、小金井と根来、2人同時に孝に襲い掛かった。
「ちっ、あそこまで言ってもタイマンに応じる気は無いか。おい、なんでお前らはあんなどうしようもない大将に従ってるんだ?」
孝は2人が連携して繰り出す拳や蹴りをステップだけで回避しながら、2人に訊ねる。
「それはもちろんボクが素晴らしい人物だからに決まっているだろう!」
だが答えたのは小金井でも根来でもなく、玖珂であった。
「てめえには聞いてねえよ。自分で戦う勇気も無いクズは少し黙ってろ。小金井って言ったか。その辺どうなんだよ?」
だが孝はそれを一蹴し、改めて小金井に訊ねる。
「……お前には答える義理は無い。どうしても聞きたければ、俺たちを倒して見せるんだな」
しかし小金井は回答を拒み、さらに孝に拳を浴びせかけてくる。どうやら小金井は蹴りよりも拳による殴打を得意としているらしく、時折蹴りをフェイントで織り交ぜながら、鋭い拳の突きを繰り出してくる。
「オラオラ、回避しているだけじゃ勝てねえぞ!」
さらに、孝が小金井のパンチを回避した直後など、回避しづらいタイミングで根来が鞭のように足を振り回して蹴りを放ってくる。孝もギリギリで回避し続け、掠ることはあっても、直撃はまだもらっていない。しかし、2人の連携で孝は回避することに重点を置かざるを得ず、反撃に移れていない。
「孝くん……」
1対2という不利な戦いを強いられてしまった孝を見守ることしかできない椿は祈るような眼差しで戦いを見つめている。
「くそっ、全然当たらねえ! 根来!」
「おうよ!」
一方、攻撃がさっぱり当てられず、イライラばかりが募る小金井は、連携を取る根来の名を呼んで、何かの合図を出した。それを受けて、根来が孝の背後に回る。挟み撃ちだ。
「ふっ、挟み撃ちか。それなら、っと……」
孝は小金井たちの意図に気づくと、一旦戦闘態勢を解除して、だらりと腕を下ろして力を抜き、根来に完全に背を向けた状態で立ち、小金井と向かい合う。
「「覚悟っ!!」」
孝の正面からは小金井が得意の拳を、背後からは根来がその長い足を十全に活かし、背後からだというのに孝の急所めがけた蹴りを放ってきた。
「っ! はあっ!」
だが、孝とて挟み撃ちされてもそうやすやすと狙い通りの攻撃を食らってやるつもりはない。小金井の拳を迎撃するために2歩前へ出ることで背後からの急所狙いだった根来の蹴りを平凡な太ももへの一撃に抑えつつ、突き出された小金井の拳を左手で受け止めて力を後ろへ逸らすことで小金井の体勢を崩し、ぐらりと傾いだ小金井の鳩尾目掛けて気合一声、膝蹴りを一撃。体勢を崩していた小金井には、この一撃を耐え切ることはできず、そのまま膝から崩れ落ちた。
「よし、これで1人。けど、さすがに直撃もらうと痛えな……」
小金井を撃破した孝が蹴りの直撃をもらった左の太ももを庇ってボヤきながらも、根来に向き直る。
「こっ、降参するなら今のうちだぞっ!」
対する根来は小金井が倒されたことで動揺しているのか、先ほどまでとは打って変わって上ずった声でトンチンカンなことをのたまっている。
「何寝言抜かしてるんだ、てめえは。その言葉、そのままそっくりてめえに返してやるよ。ホレ、降参するなら今のうちだぞ?」
すでに根来の心は折れかけていると見た孝が逆に根来に降参を促す。
「へ、へっ! お前こそ、寝言を言うなら寝て言え。俺はな、大将に返しきれない恩があるんだ。大将のために、邪魔をするものは全て排除するまでだ!」
しかし、根来の心は折れていなかった。大将のために、と言いながら再び構えを取る。とはいえ、動揺は治まっていないのだろう。最初はほとんどしゃべっていなかったのに、小金井が倒されて以降は、別人かと思うほど饒舌になっている。
「悪いな、こっちもオレなんかのことを好きだと言ってくれる、大事な友達のために退くわけにはいかねえんだ。お前が玖珂に対してどんな恩義を感じてようと、オレには関係ないし、迷惑行為を行っている玖珂を認めるつもりは無い。お前もさ、恩があるからって大将を犯罪者にしてもいいわけじゃないだろ? オレは、無駄に人を傷つけたくはない。1対2じゃ話し合いどころじゃないからどちらか1人は潰さないとならなくて小金井には退場してもらったが、根来、あんただけでも退いてはくれねえか?」
しかし孝にも譲れぬものがある。後ろで見守る椿を、玖珂のような男にくれてやるわけには行かない。このケンカに勝ち、椿から玖珂を遠ざけねばならない。だが、勝ちとは何も必ず相手をノックアウトすることではない。敵わないことをその心に刻み、屈服させることもまた、勝利の形と言えるだろう。孝としては、根来個人に恨みなどはない。初対面なのだから当然だが。なので、無理にノックアウトしなくても、根来が負けを認めて退いてくれるなら、それでいいと思っていた。
「そんな簡単に退けるほど、俺の大将に対する恩義は軽くはないっ!」
しかし根来は孝の説得を拒み、顔面めがけたハイキックを放ってきた。
「そこまで言うのなら、もう知らん」
心からの説得が通じなかったことに孝は表情を歪ませながらも、腕一本で根来のハイキックを往なし、勢いに任せて軸足を思い切り払って根来を転倒させた。頭を打たないよう精一杯自己防衛をした結果、背中を痛打して動きが止まった根来の太ももを孝が蹴り飛ばし、立てなくして戦闘不能に追い込む。仮に立ち上がれたとしても、もはや蹴りの攻撃ができるような状態ではないし、そもそもしばらくは立ち上がることも難しいだろう。
「さて、玖珂。お前の取り巻きは倒した。あとはお前自身がオレと一騎打ちをするか、素直に敗北を認めて椿に付きまとうのを止めるか、どっちか選べ」
孝は敵勢力の戦闘員、というとやや大げさだが、けしかけられた小金井と根来の2人を撃破し、事実上の勝利者として玖珂に2つの選択肢を提示する。
「うう……ボ、ボクをバカにするなあ――――ッ!!」
別段、孝は玖珂をバカにした覚えは無い。強いて言えば小金井や根来とやり合う前の会話がそういう風に取れなくも無いが、それを今さら怒るのは筋違いというものだ。しかし敗れて追い詰められている玖珂にとっては、孝が勝者の余裕を漂わせていることに我慢ができず、また彼自身の語彙も少なかったがために、このような言い回しになったのだろうが、そのような考察はともかくとして、玖珂はポケットからバタフライナイフを取り出して刃を出すと、孝に襲い掛かった。
「手下を2対1でけしかけ、手下が負けたら今度は凶器で襲撃か……どこまで性根が腐ってやがるんだ……!」
「うるさいっ! お前なんか、死んじゃええええっ!!」
孝が玖珂の行動に呆れている間にも、ナイフを構えた玖珂は一直線に孝に突っ込んでくる。
「孝くんっ!?」
「椿、大丈夫だから来るなっ!」
「っ! う、うんっ!」
ナイフを構えた玖珂を見て、慌てて椿が駆け寄ろうとするが、孝はそれを振り返りもせず一言で制し、踏みとどまった椿は代わりに携帯電話で110番通報をすることにした。ただの殴り合いのケンカであるうちは警察沙汰にすることを躊躇っていたが、相手が凶器を持ち出した以上、躊躇う必要性を感じなくなったからだ。
「そんな凶器を出してきた時点で、もうてめえは負けてるんだよっ!!」
玖珂はやはり自らが戦うことに慣れていないのだろう。フェイントも入れずに一直線に突撃するしかしないのだから。これで多少でもジグザグ走行と直線突撃を織り交ぜるなどしていれば、孝を傷つける可能性もあったかもしれない。孝は右手に構えられたナイフの向きに注意しつつ、玖珂と交差する寸前でスッと身体を半身にして刺突を回避し、同時に玖珂の足を引っ掛けた。孝としても、派手に啖呵を切った割には地味な攻撃ではあるが、しかしそれが効果的でもある。
「うぐうっ!」
すてーん、と玖珂はコントと見紛うほどキレイに転倒したが、ナイフは手放さず握り締めたまま。
と、そこへサイレンこそ鳴らしていないが、パトカーが2台駆けつけた。
「「おまわりさん、コイツです」」
孝と椿が現れた警察官に対して同時に玖珂を指差し、玖珂はバタフライナイフを握ったままだったため、銃刀法違反の現行犯で逮捕、孝とのケンカに敗れてダウンしていた小金井と根来はすでに立ち上がっていたため、事情聴取を受けていた。
孝と椿もそれぞれにその場で事情聴取を受け、何もしていない椿はもちろんお咎めなしながらも、同じようなことがあれば最初から警察に相談するよう忠告され、実際にケンカをしていた孝、小金井、根来の3人のうち、小金井と根来は厳重注意とされたのだった。孝は正当防衛であることを考慮され、簡単な注意に留められた。
「たはー……すっかり遅くなっちまったな」
警察が来た時点ですでに午後10時を過ぎていたが、その後の事情聴取などもあり、孝が椿を家に送り届けたのは午後11時を過ぎていた。当然、椿の両親が心配しており、送りに来た孝に厳しい目が向けられたが、警察官も一緒におり、椿とともに事情を説明したことで逆に礼を言われた。
「じゃあ、孝くん。今日は本当にありがとう。孝くんに相談して正解だったよ」
別れ際、椿が改めて礼を言った。
「どういたしまして。まさか、相談を受けたその日のうちに解決させられるなんて、自分でも思ってなかったけどな。じゃあ、またな。おやすみ、椿」
「うん。またね、孝くん」
椿を無事に送り届けた孝は、待っていたパトカーに驚いたが、「もう遅いから家まで送っていこう」という申し出を受け、マンションまで乗せてもらった。徒歩でも10分ほどの距離、車ならほんの数分だが。
こうして、孝が高校生になって最も長く感じた週末は過ぎていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回:1-07 転入生現る 7/7 06:00 更新予定!