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1-02 ドタバタの予感

(遅かったか……)

 廊下に「アイツ」こと明日実の姿が無いのを確認すると、孝は周囲を警戒しながらも、早足で昇降口を目指したのだが、昇降口が見えたところで、全ては手遅れだったことを知った。

「ここで待っていれば、必ず孝くんは現れる。教室まで行って追いかけっこになるより、このほうが確実よね。こんな簡単なことになんで今まで気づかなかったんだろう……」

 すでに昇降口には明日実がおり、孝が来るのを今か今かと待ち構えていた。

(さて、どうしたもんかね。めんどくさいから捕まりたくないし、どうにか逃げ切るための作戦を考えないと……)

 昇降口は目と鼻の先だが、孝の下足箱の前に明日実が陣取っているため、このままでは間違いなく明日実に捕獲され、“ラブラブ光線”を浴びせられることになるだろう。普通に走って逃げようにも、孝には駅までのおよそ1キロの道程を走りきるスタミナは無いし、それ以前に入学式の帰り道で見せ付けられている明日実の脚力とスタミナを考えれば、彼女を出し抜かない限り、逃げ切れる道理は無い。

(おっ、いなくなった!? 今がチャンス!)

 と、孝が考え事をしている間に、いつの間にか明日実が孝の下足箱の前から姿を消していた。この絶好の機会を逃すべからず、と喜び勇んで飛び出そうとした孝の肩を、誰かが「ガシッ」と掴んで引き止めた。

「ん?」

「うふふ、どこへ行こうと言うのかな? ね、孝くん?」

「……ッ!?」

 孝が振り返ると、そこにいたのは明日実だった。かなりアレンジされているが、その言葉は某大佐の名台詞が元ネタだろう。しかし、孝はそんな小ネタに反応している余裕は無かった。いつの間にか背後を取られていたことに驚き、全身に鳥肌が立っていたのだから。もっとも、実際は考え事をしている孝を明日実が発見し、孝が考え事にふけっている間に背後に回り込んだ、ただそれだけのことなのだが。

「やぁっと捕まえた♪ ねえ、どうせ駅までは同じ道なんだから、一緒に帰ろうよ」

 背後を取られた孝が驚き戸惑っている間に、明日実はがっちりと孝の腕を捕まえていた。

「待って、古川さん。キミはなんでそこまでしてオレにこだわるの?」

 背後からがっちり掴まれていても、高校生にもなれば男女で腕力にだいぶ差が出てくる。孝は至近距離から漂う女の子特有の甘い香りにやや苦労しながらも明日実の腕を振りほどくと、向き合って彼女に訊ねる。傍目には壁ドンでもしそうな雰囲気だが、あいにく孝にその気は無い。むしろ明日実の方から壁ドンを仕掛けそうなくらいだ。

「えっ? わたしは婚約者の孝くんと一緒に帰りたいだけよ? でも、孝くんが逃げるんだもの。追いかけて捕まえないと一緒に帰れないじゃない。それとね、孝くん。古川さん、だなんてそんな他人行儀な呼び方しないで、わたしのことは明日実、って呼んでほしいな」

 明日実は“婚約者”の部分を強調して答える。

「はぁ……いったいいつオレとキミが婚約したことになってるんだか。普通、婚約って互いの合意があって初めて成立するものだろうに。あんまり適当なことばかり言ってると、保留にしている告白の返事、今すぐに“ノー”を突きつけてもいいんだぜ?」

 孝は大きくため息をつくと、自分に都合よく外堀を埋めようとしている明日実に対して警告を発した。

「ううっ、そんなぁ……わたしは孝くんのことが好きなだけなのに……」

 いきなりの警告に、さすがの明日実もたじろぐ。

「小学生じゃないんだから、好きな相手には何をしてもいい、というものじゃないだろう? 特にオレたちはもう高校生なんだ。そこのところ、よく考えたほうがいいと思うぞ。な、古川さん(・・・・)?」

 そんな明日実に対し、孝は呆れたような冷たい視線を投げかけ、トドメとして先ほど「明日実、って呼んでほしい」と言われていたのをまるっと無視して「古川さん」と強調するように呼びかけて、がっくりとくず折れる明日実を尻目に足早に昇降口を出て行った。

(ちょっと、言い過ぎたかな……?)

 しかし、校門に向かって歩く孝の表情は、罪悪感からか、わずかに歪んでいた。



 電車で1駅移動し、隣町の自宅マンションに帰ってきた孝は、マンションの前に引越し屋のトラックが停まっていることに気がついた。そして、孝の、というか八坂家の暮らす部屋である408号室と同じフロアにある部屋に、頻繁に人が出入りして荷物を運び込んでいるようだった。

 引越し屋のスタッフは3人いるのだが、指揮を執っている中年の男性はともかく、後の2人がまだ経験が浅いのか、かなりバテていた。しかし無理も無い。孝の暮らすこのマンション、全部で5階建てであるため、エレベーターが設置されていないのだ。

(何の関係も無いオレがいきなり手伝いを申し出るのもおかしな話だし、ジロジロ見てるのも失礼になる。とっとと部屋に……ん? 鍵がかかってる。父さんも母さんもいないなんて珍しいな。家の鍵は……っと)

「あれっ? 孝くん?」

 自分の家の前で、同じフロア内で奮闘する引越し屋と引っ越してきた家族を見ていた孝は、ふと我に返って家の鍵を取り出そうとしたその時、背後から声をかけられた。

「ん? ……古川さん? なんでここに?」

 聞き覚えのある声に孝が振り返ると、先ほど学校で別れたはずの明日実が立っていた。

「なんでも何も、今日このマンションに引っ越すことになってたのよ。まさか、孝くんが同じマンションの、それも同じフロアに住んでるとは思わなかったけど。婚約うんぬんは置いといて、ひとまずは“ご近所さん”として、よろしくね♪」

 どうやら、すぐそこで引越し作業をしていたのは、明日実たち古川家だったようで、次の荷物を取りに行くために階段へ向かう途中、孝を発見したらしい。

「オレが学校を出た時点ではまだ昇降口にいたはずだし、追い抜かれた感じもしなかったけど、どうやって先回りしたの?」

 孝が校門を出た段階ではまだ明日実は昇降口でガックリしていたし、いくら明日実には例の爆速ダッシュがあるとはいえ、あんなムチャクチャな走り方をしていれば、追い抜かれた際にすぐそれとわかる。松林高校から松林市駅まではほぼ一本道で、わき道などは無いわけではないが、逆に遠回りになるものばかりで、駅へ向かう電車通学者はまず通らないし、電車の本数も、本数が多くなる通学時間帯でさえ15分に1本と限られていて、孝が駅に着いたジャストタイミングで電車が来ているため、それ以上の先回りは普通は不可能だ。それなのに明日実が先にこのマンションに到着しているのはどうしてなのか。

「んー? パパのお迎えだよ? 今日引っ越すから、学校が終わる時間に迎えに来る、って言われてたんだ」

「なるほどね。でもそれだと、さっき学校で言った事と矛盾するよね。どうせ駅までは帰り道一緒なんだから……って言ったけど、車で迎えに来るならオレと一緒に駅までなんて行かないじゃないか」

 事も無げにタネ明かしをした明日実に対し、孝が鋭く切り込んだ。

「うっ……だ、だって孝くんと別れるまで、このことを忘れてたんだもん……」

 明日実はそれに対し上手く切り返すことができず、口ごもってしまう。と、そこへ、

「うん? 明日実、どうしたんだい?」

 明日実の後ろから、壮年の男性が現れ、声をかけてきた。

「あ、パパ。紹介するね、わたしの彼氏の、八坂孝くん♪ ここのマンションの、同じフロアに住んでるの♪ 孝くん、わたしのパパの、あきらよ」

「どうも、古川明です。落ち着いたら、また改めてご挨拶に伺います。それよりも、彼氏って言いましたか?」

 明日実は孝に父親の明を紹介し、そして明に孝を「彼氏」と紹介したことで、両者は対面を果たしたのだが、明の顔がやや引きつっていた。

「いいえ、ふるか……お嬢さんとはただ高校が同じ、というだけの関係です。クラスも違います。お嬢さんのほうから一方的に結婚を前提とした交際を求められてはいますけど、まだ回答を保留にしていますので、“彼氏”というのは正しくありません」

 しかし、孝とてそのような事実と反する紹介をされて黙って受け入れるほどお人よしではない。明を安心させるため、というよりは自分自身のため、包み隠さず真実を明に語った。

「そ、そうか。娘はこうと決めたら一直線、なところがあるから大変かもしれないが、仲良くしてやって欲しい」

 明はこの場において実の娘より孝のことを信用すると決めたようだ。引きつった表情を和らげ、孝を労うように肩をポン、とひとつ叩いた。明日実が何か喚いているようだったが、孝は聞こえないフリをしていた。


 まだ運ぶものが残っているという古川家と別れ、家の中に入った孝は、居間のテーブルの上にある封筒とメモ書きに気づいた。

『しばらく旅行に行ってくる。生活費は置いていくから、いない間、家のことを頼む』

 そのメモ書きは父親の孝介と母親の恵子けいこが置いていったものだった。孝介は若いころに株で成功し、その利益を資金に、現在は投資家をしている。そのため、平日でも割と在宅していることが多いが、年に数回はこうして突発的に妻の恵子を連れて旅行に行ってしまう。その度に孝は留守番を任されてきたので、料理をはじめとする家事は一通りこなせる。生活費として渡されたお金でやりくりするのもすでに慣れたことであり、スーパーでは世間の主婦に交じってタイムセール品を買い漁ることも珍しくない。

「またか……父さんたちは本当に旅行が好きなんだな。ってか、たまにはオレも連れてけってんだ」

 封筒に入っている生活費の額を確認しつつ、孝はボヤいた。生活費の額は、10万円。家賃や光熱費などは孝介の口座から自動的に引き落とされるので、この10万円は食費兼孝の小遣い、と考えられる。

「こんだけの額を置いていくってことは、だ……1週間や2週間じゃ帰ってこないな。1ヶ月くらいは見ておいたほうがいいかもしれないか」

 孝は普段、小遣いとして月に2万円もらっている。今回の10万円の中から孝の小遣いである2万円を差し引くと、8万円。自炊を一切せず外食やコンビニに頼っても1ヶ月、全面的に自炊をして倹約すれば1ヵ月半ないしは2ヶ月分の食費にもなりうる額である。

「まあ、何にせよ親父たちがいつ戻るかわからない以上、できる限り自炊して節約していくべきだな」

 たびたびこうして両親が不在になり、自炊経験が豊富になっている孝は今回も迷わず自炊で節約する方針を固め、封筒を机の引き出しにしまった。と、その時玄関のチャイムが鳴った。

「はーい? ……古川さん? どうしたの?」

「あのね、孝くん。もう、夕飯って食べちゃった?」

 このマンションにはインターホンが付いていないため、直接玄関ドアを開けて応対すると、明日実が立っていた。用件を訊ねると、妙な質問が返ってきた。

「夕飯? いや、まだこれからだけど。なんでだ?」

 孝がそう答え、理由を訊ねると、

「もし良かったら、なんだけど、うちに食べに来ない? 引越しの荷物がまだ片付かないからお寿司の出前を頼んだんだけど、注文を間違えちゃって、わたしたち家族3人じゃ食べ切れそうにないのよ」

 詳しく話を聞いてみると、出前は父親の明が電話で注文をしたのだが、3人前でいいはずの注文をなぜか倍の6人前注文していた。しかもそれに気づいたのは実際に出前が届いた後。当然キャンセルなどできるはずもなく、代金を支払って引き取ったが、明とて2人前が限界であり、母親の由実や明日実自身に1人前以上食べろというのも無理がある。そこで、孝に声をかけてみることになったのだ。

「わかった。どうせこれから夕飯を作らないと、って思ってたところだったから、ご相伴にあずからせてもらうよ」

 これが、すでに孝が夕飯を作り始めた後だったり、あるいは両親が在宅で食事そのものを済ませた後だったならば断っていただろう。しかし、実際に孝はまだ夕飯を食べていないし、作り始めてもいなかったので、明日実の誘いを受け入れた。

「ありがとう! じゃあ、うちは403号室だから、来てね♪」

「わかった、すぐに行くよ」

 いくらなんでも、夕飯にお呼ばれしているのに、寝間着を兼ねたスウェット姿はまずいので、孝は一旦引っ込んで普通の洋服に着替え、財布をポケットに入れて家の鍵を閉め、403号室に赴いた。

「あっ、いらっしゃい孝くん。まだ片付いていないけど、どうぞ上がって♪」

 チャイムを鳴らすと、明日実が出てきて孝を引っ張り込んだ。

「こんばんは」

 明日実に連れられて居間に入った孝は、注文を失敗したことで怒られたのだろうか、小さくなっている明に挨拶をした。

「ああ、いらっしゃい。済まないね、僕のミスで。ああ、僕の隣のイスを使うといいよ」

 明は苦笑しながら孝に自らの隣のイスを勧めた。ダイニングテーブルには4脚のイスがあり、明の向かいに由実が座り、その隣、つまり孝の向かいに明日実が座る配置になっていた。テーブルの中央には、それなりのグレードがあると思われる、食べ終わった器を返却する方式の出前の寿司が6人前、どどんと積まれている。

「えっと、タダでご馳走になるのもなんだか悪いんで、食べる分をお支払いしたいと思うんですけど、おいくらですか?」

 孝はイスに座るなり、ポケットから財布を取り出して明に訊ねた。

「えっ!? とんでもない、八坂くんはそんなこと気にしなくていいんだよ。僕が注文をミスしなければこんなことにはなってなかったんだから」

「そうそう、子供はそんなところに気を遣わないでいいのよ。気にせず、食べたいだけ食べていっていいからね」

 明は驚いて手を高速で振りながら断り、それを由実がフォローする。

「え、でも……」

「孝くん、気にしなくて大丈夫よ。さ、食べましょっ♪」

 孝はそれでも渋りかけたが、明日実がそれを遮って孝の前に1人前分の器を置いた。

「……わかった。じゃあ、すみません。いただきます」

 これ以上ゴネても、お金を受け取ってはもらえないだろう、と理解した孝は改めて明と由実にお辞儀をすると、食べ始めた。

「どうぞ。八坂くん、はい、お茶よ」

「あ、ありがとうございます」

 まさに至れり尽くせり。結局、孝は2人前を平らげ、さらに明日実が食べ切れなかった分も少しもらい、食べ終わると、早々に古川家を後にした。満腹で動きが鈍っているところを狙って、明日実が妙な動きをしていたのだ。両親がいるというのに、大胆で、油断もスキもない明日実なのだった。

お読みいただき、ありがとうございます。

次回:1-03 週末(1)土曜日、再会 7/3 06:00 更新予定!

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