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1-01 プロローグ

 とある金曜の放課後。埼玉県北部の山間部の街、松林市。そこにある私立松林(しょうりん)高校、1年1組の教室。その出入り口で、廊下に顔を半分だけ出して周囲をうかがうような動きをしている男子生徒がいた。

「おい、たかし? 何をやってるんだ、お前は? 端から見たら、すげぇ不審人物だぞ?」

 それを見咎めた別の男子生徒が、不審人物と化している男子生徒――孝に訊ねる。

「ん? ああ、勇太ゆうたか。オレがこんなことをしている理由は、お前ならわかるだろ? アイツがいないかどうか、確かめてるんだ」

 孝は、訊ねてきた男子生徒――勇太の声に振り返ると、ふう、と一息ついて理由を話した。

「ああ、アイツね……それなら仕方ないか。でも、お前も大変だよな。入学式早々にアレじゃあなぁ……」

 勇太は孝の示す“アイツ”が誰を指しているのかを即座に理解し、同情するような言葉と視線を投げかけた。


     ☆     ☆     ☆


 ことの起こりはおよそ2ヶ月前、入学式の日に遡る。


「新入生代表挨拶。新入生代表、1年1組、八坂孝やさか・たかし

「はい」

 入学式などではおなじみの校長の長い挨拶を経て、新入生代表の挨拶として、入学試験でトップの成績を取った孝が選ばれた。

 教諭の指導を受けながらまとめた、当たり障りの無い文面で挨拶を終えると、おおよその生徒の視線が孝に向けられていたのだが、中でもクラスごとに固まって座っている新入生の席の中ほど――3組か4組のあたりから発せられていると思われる強烈な視線に、孝はなぜか背筋が寒くなるのを感じていた。


 その後、滞りなく入学式は終了し、教室で最初のホームルーム。入試トップ=秀才=近寄りがたい、みたいな感じになりがちだが、孝は自己紹介でそれをあっという間に払拭して見せた。と言っても、自己紹介の文言が面白かった、とかではない。自己紹介の際に、それぞれ教壇に立って行うことになっていたのだが、孝は自分の番が来て、教壇へ向かう最中、その教壇に蹴躓いて派手にズッコケたのだ。もちろん、顔面を教壇に強打したため、かなり痛い。しかし、孝はそれを何事も無かったかのように振る舞い、強かに打った鼻が赤いまま、平然と自己紹介をして、大ウケしたのだ。これにより、「入試トップの秀才でも、意外と普通なんだな」という風にクラスメートの認識を上書きすることに成功したのだ。無論、孝はそれを狙って行ったわけではないが。まさにケガの功名とはこのことか。


 ホームルームも終わり、帰り始める生徒たち。孝もカバンを手に、教室を出て行こうとすると、後ろから誰かが肩を叩いた。

「おう、八坂。出身が羽村西はねむらにし中ってことは、最寄り駅は北羽村きたはねむら駅か?」

 肩を叩かれた孝が振り返ると、名簿順で自己紹介をしていた際に男子の一番最後だった孝の少し前に自己紹介をしていた深溝勇太ふかみぞ・ゆうたが立っていた。なお、北羽村駅とは、彼らの通う松林高校の最寄り駅である松林市しょうりんし駅から1駅しか離れていない隣町の駅のことだ。

「ああ、そうだ。えーと、深溝……だったか?」

「お、覚えてくれたか。まあ、変わった苗字だから覚えやすいのは間違いないか。で、俺は羽村東はねむらひがし中の出身でな。同じ北羽村なんだよ。どうだ、一緒に帰らないか?」

「ああ、いいぜ」

 出身中学が違えば、お互い知らなくても無理は無いが、こうして出会った孝と勇太は意気投合した。


 彼らが通う松林高校の最寄り駅である松林市や、自宅の最寄り駅である北羽村といった駅を結ぶのは、彩北鉄道さいほくてつどうという私鉄で、久万谷くまがや駅を起点に、久万谷を含めて15の駅を結んでいる。それぞれの駅はきちんと上下線のホームが分かれているが、駅間は全線に渡って線路が1本しかない単線の鉄道だ。しかし、沿線には高校や大学がいくつかあり、また終点の四方山よもやまなどからは山登りを楽しめるため、観光客のためにも1時間あたり上下4本ずつと、単線の鉄道にしては電車の本数は多いほうと言えるだろう。ただし、沿線の景色を楽しんでもらうために、という理由から、停車駅が限定される急行や特急などは運行していない。全て各駅停車だ。

 ちなみに、他の鉄道路線、とりわけJR線に乗り換えようと思うならば、久万谷まで行かないとならない。久万谷でJR線に乗り換えれば、東京や大宮といった大きな街へ出ることができる。もっとも、孝たちのように高校生になったばかりではあまりそのような機会は無いのだが。

 また、一応、松林市駅から見て、久万谷方面にある北羽村とは逆方向、四方山方面に1駅行った南父分みなみちちぶからも、直接乗り換えられるわけではなく少し歩く必要があるものの、すぐ近くに別の私鉄が走っている。とはいえそちらも単線の鉄道で本数は多くないため、都会へ出るなら久万谷でJR線乗り換えが便利なのだ。


「え? 羽村東中ハネトーから松林高リンコーに来たのって、勇太含めて5人しかいねえの? そっちもか。ウチの羽村西中ハネニシも、オレを含めて6人だったかな。隣町の駅で、近いのになんでだろうな」

「さあな。羽村東ウチは結構いろんなところに分散したらしいからな。孝のところは?」

 駅までの道すがら、早速“孝”、“勇太”と下の名前で呼び合う仲になった2人がお互いの出身中学の話をしながら歩いていた。

羽村西ウチも似たり寄ったりだな。けど確か、1人だけ羽村女子高校ハネジョに行った子がいて、梅森北高校ウメキタが30人くらいで一番多かった、ようなことを言ってた気がするな」

「ああ、梅森北か。まあ、あっちも俺らの北羽村から1駅の南梅森駅だしな。それに、確か梅森北は女子の制服が可愛い、らしい。男子は何の変哲もない学ランだがな」

 そんな、他愛も無い話をしながら歩き、もう少しで駅に到着しようかという頃、孝は先ほど入学式の最中にあったものと同じ類の悪寒を再び感じ、何気なく振り返った。すると、今自分たちが歩いてきた駅前通りを、ナニカが全力疾走で接近してきていた。気づいたときにはもうかなり近づいてきており、孝の目にもそれが松林高校の制服を着た女子生徒だとはっきり認識できた。

「なんだ、ありゃ……え?」

 謎の女子生徒が走っているのはアスファルト舗装の歩道なので特に何かがあるわけではないが、これが土のグラウンドとかであれば、確実に派手な土煙が舞い上がっていたことだろう。そのくらいの勢いで爆走する女子生徒に、巻き込まれてはたまらないと勇太とともに歩道の端へ下がって避ける孝だったが、なぜか爆走していた女子生徒は孝に近づくにつれてずざざ、と履いているローファーが傷みそうなほどに急減速をすると、孝の前で止まった。

「ふう、間に合った……あ、驚かせてゴメンね。八坂孝くん。あなたとお話がしたくて教室に行ったんだけど、もう帰ったって言われたから、急いで追いかけてきたの」

 学校から駅までは、およそ1キロほどある。その距離を、あまりダッシュするのには向かないであろうローファーを履きながらあれほどの勢いで駆けてきたにも関わらず、さほど息切れした様子もなく、軽くタオルで汗を拭うだけで話しかけてきた女子生徒に、孝も勇太も驚いていた。

「オレと話がしたいって、キミは誰だ? どこかで会ったことあったか?」

 しかし走っている姿はともかく、こうして目の前に立っていても、孝には女子生徒の姿に見覚えがなく、戸惑いを隠しきれない声音で訊ねた。

「わたしは1年3組の古川明日実ふるかわ・あすみ羽村三はねむらさん小の2年生の秋に転入してきて、3年生の終わり頃にあなたに助けられたことがあったんだけど、覚えてないかな?」

 女子生徒――明日実は孝とは小学校の頃に一緒だった、と話した。

「助け、られた? キミが、オレに? ……うーん、悪いけど、人違いじゃないかな。確かにオレは羽村三小にいた時期もあったけど、4年生になるときに羽村二小の学区に引越しをしたんだ。3年生なら確かに三小にいたし、ある程度は思い出せるけど、キミの事は全く記憶に無いな。人違いの可能性が高い以上、特に話す事は無いと思うんだが……」

 しかし名前を聞いても、孝には目の前の女の子が誰なのか、わからなかった。もうひとつの手がかりになる出身小学校についても、孝が3年生だったときまでは2DKのアパートに暮らしていたが、父親の孝介こうすけが何を思ったかいきなり引越しを宣言し、少し広い3LDKのマンションへ転居したために、学区が変わって孝は転校をしているので、孝は三小時代のことをあまり覚えていないのだ。

「ううん、人違いなんかじゃないよ。だって、その時にあなたの名札を見たんだから。それで、ずっと八坂くんのことを探してたの。やっぱり6年以上ぶりだから、お互いずいぶん大きくなっちゃったけど、入学式の新入生代表挨拶で名前を聞いて、顔を見た途端確信したよ。ようやく、会えた。――八坂孝くん、小学校の頃に助けられた時に一目惚れをしました。わたしと、結婚を前提に付き合ってください」

 だが明日実は軽く首を振ると、唐突に告白した。ざわめく野次馬たちと、驚きのあまり声も出ない孝と勇太。

「孝、どうすんだよこの空気……」

 しばしの沈黙ののち、明日実が駆けてきて以降空気と化していた勇太がボソリと呟いた。それもそのはず、今彼らがいるのは、松林市駅の駅前通り。しかも、駅の南口を目の前にした、人通りの多い場所。それに加えて、某名作マンガばりに“キィーン”という擬音が似合いそうな登場をした美少女の明日実による衆人環視の中での突然の告白。このような状況では、巻き込まれただけの勇太はさぞかし居心地が悪いだろう。

「どうすんだ、って言われてもな。とりあえず、古川さん。現時点では、キミの告白に対してイエスもノーも無い。当面の間、回答を保留させて欲しい。小学校の頃にオレがキミを助けた、っていう件について、少し詳しい話を聞いてもいいか? そのことを、オレは全く記憶に無いんだ」

 孝はこの段階では告白に対する回答を保留した。明日実が一目惚れをしたきっかけになった出来事を覚えていないのも事実だが、このような衆人環視のもとで正式な返事をするほど、孝は羞恥心を捨ててはいないのだ。


「じゃあ、俺は向こうだし、はっきり言って邪魔者だろうから、さっさと消えるとするよ。またな、孝」

 興味本位でジロジロ見てくる野次馬たちを無視して3人はやや早足で駅に入り、電車に乗った。1駅なので、4分程度で北羽村に到着するのだが、到着するなり、勇太がまるで逃げるように去っていった。まあ、勇太が駅の東口側、孝は西口側で、明日実は家がこの北羽村からさらに3駅先の北梅森らしいが、孝と話をするため途中下車した。だが少なくとも孝とは家が逆方向なので、勇太が言っていることは間違っていない。


「で、オレがキミを助けた、っていうのはどういうことなのか、教えてもらえるか?」

 勇太と別れた孝たちは、西口のそばにあるコンビニで飲み物を買うと、近くの公園のベンチで腰を下ろした。カフェの類も無いわけではないのだが、高校生になったばかりの孝には敷居が高い場所なのだ。

「うん。わたしね、小学校2年生の途中で羽村三小に転校してきたんだけど、あの頃は何をやってもどんくさくて、結構イジメの標的になってたんだ」

 明日実はひとつ頷くと、当時のことを語り始めた。


 イジメと言っても、最初のうちは可愛いもので、授業中などに消しゴムのかけらを投げつけられたり、筆箱を取られたりするくらいだった。それが少しずつエスカレートしていき、上履きを隠される、逆に外履きの運動靴を片方だけ隠される、教室に行ったらイスが無かったなど。担任に被害を訴えると、それから数日は収まるものの、再開されるとよりエスカレートしていった。そして冬の終わりも近いある日、それは起こった。

 イジメがまた酷くなってきている、と担任に訴えて助けを求めるために放課後に職員室へ行ったその直後。昇降口へ向かうために階段を下りようとした明日実は、後ろから誰かに突き飛ばされた。

 バランスを崩されながらも、必死に足を動かして階段を駆け下りる明日実だったが、12段ある階段の中ほどで足を滑らせ、踏ん張りきれずに空中に投げ出されてしまう。そのまま落ちれば、大ケガは免れない状況だったが、幸いにも明日実はこの事件ではケガをせずに済んだ。

{あぶないっ!}

 どこからか聞こえたその声と、硬いリノリウムの床とは違う、着地の感触。空中に投げ出された瞬間にぎゅっと目を閉じていた明日実は、ほとんど痛みが無いのを不思議に思いながらそっと目を開けた。すると、彼女の下には男の子がひとり、うつぶせの状態になっていた。どうやら男の子はヘッドスライディングで滑り込んだらしく、明日実は奇跡的に彼のランドセルに着地していたのだった。教科書を学校に置きっぱなしにする癖のあった彼のランドセルには中身があまり入っておらず、着地の衝撃をかなり吸収してくれたために、彼自身もケガを負うことなく済んだようだ。


「そんな感じで、階段から突き落とされたわたしをヘッドスライディングしてまでかばってくれた人が、孝くん。あなただったの。立ち上がって、『ありがとう』ってお礼を言ったら、『大丈夫そうだね。じゃ、気をつけてね』って言いながら身体のホコリを払って帰って行っちゃったんだけど、その時に服についてる名札が見えたんだ。その、“やさか たかし”って書いてあった名札の名前を頼りに、新年度でクラス替えになるときに名前を探したんだけど、見つけられなかったのよ。後で先生に聞いて、転校したことを知ったんだけど、また会えて良かった。――で、どうかな? 思い出してくれた?」

 明日実は思い出話を語り終えると、孝に問いかけた。

「ああ、なんとなくだけど思い出した。確かに、転校する直前に階段から落ちてきた女の子をヘッドスライディングで滑り込んで受け止めたことがあったな。たまたま通りかかったところに悲鳴が聞こえて、身体が動いてたんだけど、あの時の女の子が古川さんだったのか」

 話を全て聞き終えたことで、孝もおぼろげながら当時のことを思い出した。

「思い出してくれた!? じゃあ――」

「待った。確かに思い出したことは思い出した。でも、それと古川さんの告白を受け入れるかどうかは別の話だよ。だって、そうだろう? その話と、さっきの古川さんの告白を合わせて考えると、古川さんの告白の動機って、当時助けられたことで一目惚れした、って言ってただろ? それってさ、6年前のオレしか見ていない、ってことになるよね。そんな、思い出の中の存在に恋されても、今のオレの気持ちはどうなるの、っていう話にならないかな? だから、少なくとも古川さんが今のオレをちゃんと見てくれるまで、そしてオレが今の古川さんを魅力的だと思えるまでは、返答は保留にし続けるよ」

 孝が明日実を助けたエピソードを思い出したことで、勢いづく明日実だったが、その機先を制するように孝が回答を保留する、と宣言した。無論、ただの逃げではないことを示すための理由も付けて。

「そう、だよね……。わかった、孝くん。今は、婚約でいいわ」

「いや、ちょっと待った。何ひとつとして理解してないじゃないか!?」

「ちぇっ、騙されなかったか。でも、わたしは諦めないよ。孝くん、あなたの心を必ず撃ち抜いてみせるから。それじゃ、また明日ね」

 しおらしい表情で、しれっと爆弾発言をかまそうとした明日実だったが、あいにくと孝は冷静だった。きっちり釘を刺し、対する明日美は軽く舌打ちをすると、並の男なら陥落間違いなしの笑顔で指鉄砲を撃つ仕草を見せ、公園を出て行った。

お読みいただき、ありがとうございます。

次回:1-02 ドタバタの予感 7/2 06:00 更新!


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