百里百花(ひゃくりももか)VS百里紫織(ひゃくりしおり)
この闘技場には世界戦を超えて人が集まる。だから例えば、相手が違う世界の自分であることもままあったりする。人選は適当に選ばれたらしく、そこらへんに対する配慮とかは一切ないと言って良い。
かくして、此度の闘技も稀なる試合と相成るわけで。
百花は起き上がってすぐ状況を説明されると飛び上がって喜んだ。目を蘭蘭と輝かせて、試合一つ一つを着実に楽しんでいく。漫画とかでよくある夢の祭典。今、自分もその只中にいるのだ。
ときは早6試合目を終えた百花が腹ごしらえにとレストランでたらふく飯を食べていた頃。大好物のハンバーグを頬張っている時だった。
「相席いいかい?」
百花が目線を上げるとひとりの女性が佇んでいた。ボサボサの髪を後ろで縛って、整った鼻梁に、気の強そうな眉。皺だらけの白いシャツに、引き締まったタイトなジーンズ。編上げのブーツは使い込まれているのを伺い知れる。全身を見たところで百花は驚きのあまり、フォークを落として目を見張った。わななく唇を抑え、「どうぞ」と席を促す。目の前の女性は少し訝しんだ様子だったが礼を述べて正面の席に座った。
「んー、しっかしここに来た人らは強いわねー。何、魔術に超能力に呪術? 訳分かんなすぎて笑いが出るわ」
愚痴をたれつつも楽しげに話している。多分、自分と同じ部類の人なんだろうと内心察した。女性は水を一口のんでこちらに笑顔を浮かべる。
「一口貰っていい?」
こくりと頷き、フォークを手渡す。止めようと努めてみるが、どうしても手が震えてしまう。器用に女性はフォークについたハンバーグをパクリをほおばった。
「うーん、おいしいわぁ。百華にも食べさせてあげたいねぇ」
体が反応する。思わず嗚咽を漏らしそうになるがこらえる。女性はその様子に慌てて、なだめようとした。それを見てか、それともただの気まぐれか。アナウンスが流れる。
「えー、これよりー、百里百花と百里紫織の試合を始めますー。苗字が同じ。あるぇー、偶然かな? ノンノンノン! それは必然という名の運営の策略です。それではいざいざ感動の舞踏会トイキマショー。舞台は華やかパーティー会場。そいじゃま、れっつらごぅ!」
アナウンスの意味深な言葉を後に二人は光に包まれた。
百花が目を開け、周りを見る。そこは広々としたパーティー会場。人っ子一人いないが、どこからかムーディーな音楽が流れてくる。上には煌々とシャンデリアがきらめく。
「ふーん、こりゃまたいい場所ね。そう思わない?」
横を見ると、さっきの女性、紫織がいた。百華は口を一文字に結び、相対する。その様子に栞は快活に笑った。笑い声がホールに木霊する。
「案外真面目だねぇ。百花ちゃんだっけ? 奇遇なこった。私の娘も百華って言うのよ
「不思議なこともあるもんですね」
百花も笑いながら答えた。震える声に、笑いはぎこちなかったが、精一杯の答えだ。
女性はすこしばかり苦笑して、愛想を消した。空気が一変したと肌で感ぜられる。、
「――よろしくお願いします」
いつになく真剣に。礼をして構える。腕はボクシングのように右手をやや広く、左は顎につける寸前まで。足は右をベタ足に、左はかかとを紙一枚分ほど上げて半歩後ろに。変則的な独特の構え。おおよそ相対する敵は訝しむか鼻で笑うか。相手の女性、紫織はニヤリと口の端を歪め、同じ構えを取った。場違いな音楽の中、静かに火蓋は落ちた。
間合いは2メートル弱。徒手を当てるにはやや広い。つま先でじりじりと詰めていく。紫織の方はどうやら動かないつもりなのか構えを崩さず、こちらを見ているだけ。
舐めているのかと考えつつ、一足一頭の間合いに踏み込んでいく。そこで一つの挙動を為す。左足を強く踏みしめ、右腕でジャブを放つ。強く踏みしめた振動が体を伝わり、体内で強められ相手に叩き込まれる。百回練った拳の威力、「百練」という百花が得意とする技だった。しかしこれを紫織は左足を踏みしめ、すぐさま左の甲でもって弾いた。ここまでは予想通り。ガラ空きになった顎。百花は見逃さず、前蹴りを素早く叩き込まんとした。
これを予期していたか百花の蹴りと同時に脱力。鼻先を掠めるブーツを目端に捉えながら、屈み、下段蹴りをうっていた。そのまますっ転ぶ。
「んー、技の練度はいいけど、読みが甘い」
紫織は受けた左手を振りながら答えた。口をへの字に曲げ、跳ね起きる。
「まだまだッ!」
羽起きた力を利用して回転の後ろ回し蹴り。これを一歩引かれてかわされる。続けて二連。フランスのサバットからくる二連蹴り。これらも同じくインパクトの直前を蹴りで捉えられ、威力を減じられた。焦燥感が募っていく。額から汗が滴り、よく磨かれた床に落ちる。
「クソッ!」
ならばと歩法を変える。直から円の動きへ。蛇の動きを模して、蛇行移動しつつ相手の喉元を手で刈り取らんとする。あまりに急な変化であったためか、避けるのが間に合わずそのまま首の皮を少し削られた。
母から賜った名も無き武術。百花はこれを「千客万来」と名づけていた。ネーミングセンスのかけらも感じられないとストリートでは言われたが、その威力たるやを見て相手は驚く。
母は足技が得意からか各国の足技、足を起点とした技術を取り入れていた。その中でも特に中国の武術に見受けられる「勁」、フランスのサバット、キックボクシングは技の多くを取り入れて改良している。
骨子は勁で技の威力を高め、サバットの自在な戦闘技にて相手の体を崩し、ムエタイの無慈悲な急所あてにて意識を奪うというもの。だがこれも百花によって様々な変化を加えている。
それもこの武術の千の刺客を打ち、万の技を見て体感した先に何かを得る、出会いと研鑽に重きを置いた思想から。
間合いを取ってふっと一息吐く。紫織を百花は見た。ジーンズ越しにでもわかるほどに鍛えられた足。一向にブレない体幹。目指すべき理想。超えていかねばならぬ師匠をその目に焼き付ける。
紫織はふぅ、と息を吐いた。
「内勁はよく練られているわね
「はい」
「蛇拳、いやちょい変えてるわね」
「はい」
そうか、と紫織はひとりごちた。ふと首をかしげて百花をじっと見てくる。たじろぎつつも引かず、見る返す。
数え切れぬ程の戦場を駆け、様々な経験を積んだ彼女。いつの時代から、どんな世界から来たのか知りたくて知りたくて仕方がない。思わず瞳に涙を溜めそうになるがこらえる。今は戦場であり、研鑽の時間だ。
ふっと紫織が笑った。
「あなたどこで学んだの? 違う世界の私とかかしら」
「――!」
言い返そうとするが、その顔を見ると胸が詰まった。その様子を見てかため息を一つ。
「自分で作った武術よ。手の内は知り尽くしてる。さっきのでだいたいは力量はわかったわ」
だから、この先は。
紫織は言葉を切って構え直した。
猿真似するのがこの武術ではない。万を体感し、その先に「作り得る」ことこそが目的。
百花が動く。片足立ちに。それを見て紫織もつま先をこちらにいっそ剣を思わせる鋭さで水月めがけて撃ってきた。
それをあえて喰らう。腹がえぐれるか、内蔵にダメージを負うであろう一撃を。
相手の表情がここに来て変わる。
「カッ!」
息を押し出すように吐き、瞬時に体を堅める。そしてそのまま足をダン、と踏み下ろして拳をブーツに叩き下ろした。パキリ、というこ気味いい音を鳴らして紫織は倒れ伏す。
折れた足を抱えて脂汗を垂らしながら百花を見上げた。
言葉はない。だが視線と表情が物語る。
「ありがとうございました――お母さん」
母は満足気に笑みを浮かべていた。