人肉パティシエ、フレッシュ・ブラッディ・メアリーを作る。
誰もいなくなった倉庫で僕はがたがた震えていたけど、いつまでもここにいるわけにはいかない。万が一誰かに見られたら、僕が犯人だと思われてしまうじゃないか。
そっとタイヤの陰から覗くが、ケビンもジョーンズももちろん動かない。
恐る恐るケビンの顔を見る。
「うげっ」
大学一もてるいい男だったケビンの顔は無惨にも潰れていた。
顔中に釘のような物が刺さっている。
目も鼻も口も原型をとどめていない。
これはもう人間じゃない。
顔のない人形。
顔の部分に隙間がないほどに釘が打ち込まれている。
恐ろしい。悪魔だ。ミサトは悪魔だ。
僕はこみ上げてくる胃液を吐きながら、倉庫から逃げた。
外は雨が降っている。珍しいほどの豪雨。
この雨ではミサトは誰にも見咎められずに、ホテルまで帰るだろう。
神はケビンとジョーンズを見放して、ミサトを助けたのか。
店まで帰って飛び込むと、ボブは思い切り嫌な顔をして僕を見た。
「トミー! 一体どこへ行ってたんだ? 今日のバイト代は…」
僕はボブの腕にしがみついて、
「ひ、ひどいよ。ミ、ミサトは悪魔だ」
と言った。がたん音がして、トードーが僕の胸ぐらを掴んだ。
「どういう意味だ」
僕の身体は宙づりになった。
「リズ…ケビンもジョーンズも死んじゃったよ…ミサトは悪魔だったんだ…」
僕は泣きながら、椅子に座ったままのリズを見た。
「どういう…事よ」
「ミ、ミサトが…ケビンとジョーンズを…」
僕の胸を掴んでいたトードーが手を離したので、僕の身体は油で汚れた床にどさっと落ちた。その拍子に胃液がどっとこみ上げてきて、僕は床に盛大に吐いた。
すぐにまた大きな手が僕の頭を掴んで引き起こした。
「説明しろ! ミサトはどうなったんだ! どこにいる!」
トードーの大きな声が響いた。僕は首を振りながら、
「ミサトは無傷だよ。彼女はケビンとジョーンズを殺して…どこかへ行ってしまったよ。場所は…三番街の倉庫さ。今は使われてない…あの倉庫だよ」
「ボブ! 場所が分かるか?」
トードーが僕の頭を離してボブに怒鳴った。
「トードー、ワシとジョンで行ってくる。あんたはここで待っててくれ。三番街には日本人は入り込まないからあんたは目立つ。ジョン! トラックを出せ! トミー、誰かに見られたり気づかれたりしてないな?」
僕は泣きながらうんうんとうなずいた。
黒い雨合羽を着てボブとジョンが裏口から出て行った。メアリーは厨房の中で顔を覆ったままだった。リズは椅子に座ったまま固まっている。
トードーがメアリーに電話を借りてホテルへ電話したようだが、「くそっ」と言ってから受話器を置いた。
「どうなの? トードー」
と言うメアリーにトードーは首を振った。
「部屋の電話を鳴らしても誰もでない。いないのか、いても出ないのかは分からない。ミサトは英語が話せないから電話がなっても出ないかもしれない」
それからまた僕の方へ向き直って、
「トミーとかいったな。殺された二人はミサトを襲ったんだな?」
とトードーが低い声で言った。声が震えているのは相当怒っているのだろう。
「う、うん」
と僕が言うと、
「お前の友達らしいが、お前の役割は何だったんだ?」
とトードーが言いながらリズを見た。
「ぼ、僕はミサトの写真を撮る役だ」
僕がそう言うとリズが舌打ちをしてから僕を睨んだ。
そのリズを見てトードーは、
「ミサトを襲うように命令したのはリズか?」
と言った。奥でメアリーが小さく悲鳴を上げた。
僕は床に蹲ったまま、うなずいた。
恐ろしいほどの沈黙と静寂だった。
雨が地面をたたきつける音が窓の隙間から聞こえる。
割ってしまいそうなほどの勢いで雨がガラス窓を叩いている。
外は真っ暗だ。
「リズ、どうしてそんな事を…」
とメアリーが恐る恐るリズに声をかけた。
トードーは酷く冷たい目でリズを見下ろした。
「だって…トードーが」
とリズが小さい声でつぶやいた。ここにいる誰もが、リズがミサトを襲わせた理由を察しているが、それは馬鹿げたことだと知っていた。だけど、僕はリズの為にあえてトードーにそれを告げた。
「リズはトードーに日本へ帰って欲しくなかったんだよ。リズはトードーが好きなんだ」
「お前達二人の小さい頭の中には脳みその代わりに綿菓子でも詰まってんのか?」
とトードーが言った。
「で、でも、これでトードーも分かったはずだ! あなたのワイフは殺人鬼なんだ! 恐ろしい殺人鬼なんだよ! 悪魔だ! あなたはミサトよりもリズを選ぶべきだ! 僕は…悲しいけど二人を祝福する…」
僕は自分で立派に言えたと思った。僕の思いはここにいる皆に伝わっただろう。
それなのにトードーもリズもメアリーも何も言わなかった。
僕はミサトの犯罪を暴いた。
その驚愕の事実を知って皆が驚いて僕に感謝するはずだ。
もしかしてリズもそんなミサトを愛していたトードーに愛想をつかすかもしれない。そしてそれを暴いた僕を見直してくれるかもしれない、と少し思っていた。
ガチャッと音がして、ずぶ濡れのボブが入ってきた。雨合羽を脱ぎながら、トードーの方へ向かって、
「大丈夫だ、トードー。死体は回収してきた。この雨で誰も外にいなかったし、何の騒ぎも起こっていない」
と言った。
メアリーが「おお」と言って安堵の息をもらした。リズはふてくされたような顔で頬杖をついて窓の外を眺めている。
「見せてもらおう」
と言ってトードーが厨房の奥への扉の方へ行ってしまった。
僕は顔中釘だらけのケビンの顔を思い出して、胃がぎゅっとなった。
まだ床に座り込んでいる僕の頭をリズの足が蹴った。
顔を上げると、ものすごい顔でリズが僕を睨んでいる。
「リズ…」
リズは僕を睨んでつんと横を向いてしまった。
トードーが出てきて、厨房に立った。
フリーザーの中を覗いて何かを取り出した。
包丁でさくっと切る音がした。
それからグラスにからからと氷を入れる音がした。
缶ジュースを開ける音、液体をグラスに注ぐ音、そしてそれらをまぜる音がした。
それからトードーは厨房の中から出てきた。
手にグラスを持っている。グラスの中身は真っ赤な液体だった。縁にカットされたレモンがついている。上にミントの葉が浮いていた。
「トミー、疲れただろう? 君は…よくやった。友人の最後を見届けたその足で警察へ駆け込まなかった君の勇気は認める」
とトードーが言った。僕が見上げるとトードーは少し笑顔になっていた。
「フレッシュ・ブラッディ・メアリーだ。うまいぜ。俺のおごりだ」
と言って笑った。
僕は立ち上がって、そのグラスを手にした。喉が渇いていたのは事実だ。ずいぶんと吐いたので喉の奥が痛かったし、胃が痛かった。本当は暖かい物が欲しかったけど、せっかくのトードーの好意だと思ってグラスを受け取った。
グラスの中身を少し飲むと、とても濃厚だった。トマトジュースのようだけど、甘いような、しょっぱいような。絞られたレモンの酸味がいい。そう、それはとても美味かった。
もっともっと飲みたいと思うような味だった。
だけどアルコール度も高いみたいで、僕はすぐに胸が苦しく顔がかっと熱くなった。
途中で一度グラスを置こうとしたら、トードーの手が伸びてきて、僕の口にグラスを押しつけた。
「最後まで一気に飲め」
「え…ちょ…待って…」
グラスを傾けて液体の最後が入ると同時に何かが一緒に口の中に入った。
ゴクンと液体は喉を通過したが、その丸い物は口の中に残った。丸くて、柔らかくて、弾力性がある。だけど、あっという間に口の中でそれは潰れてぐにゅぐにゅと萎んでしまった。
その瞬間に生臭い感触が口の中に広がった。すぐに飲み込んだけど、皮のような物が口の中に残った。
「な、これ、何」
それをグラスに吐き出す。
グラスの底を覗いて見ると、それはもう一個あった。
潰れている…濁った…白い…青い…眼球が僕を見ていた。
「がぼっ」
僕は僕の身体の中にある物をすべて吐き出した。それは僕の意志に関係なく、身体が勝手に吐き出しはじめたのだ。
「やだ、汚い」
とリズの声がした。汚いだって? そんな事を言ってる場合が?
「もったいない。高いのに。そんな事に使うより、売ったほうがいいのに。貴重な眼球を」 と言ったのはボブだった。
何を言ってるんだ? 頭がおかしいのか?
僕は目玉を食べさせられたんだぞ!
と言おうとしたが、口からは際限なく吐瀉物が出てくるので、何も言えなかった。
「リズ、お前にはこれだ。ミサトを襲うように色仕掛けでもしたんだろう」
そう言って、トードーはぬっとリズの目の前に差しだした。
ジョーンズの生首を。
リズが悲鳴を上げた。
「キスしてやれよ」
と言ってトードーはリズの顔にジョーンズの生首を押しつけた。ジョーンズの分厚い黒い唇がリズの赤い唇にぶちゅっとくっついた。
「いやっいやっ」
リズが腕を振り回したので、ジョーンズの生首がぼとんと下へ落ちた。
「トードー、もう勘弁してやってくれ」
とボブが情けない声で言った。
トードーが僕に向かって、
「友人の血液と目玉は美味かっただろ? この後でボブが美味い肉を焼いてくれるだろうよ。供養だと思って食ってやれ」
と言った。血液? トマトジュースじゃなかったのか?
トードーは上着を着ながら、
「ボブ、帰るよ。あんた達の事はいい友人だと思ってたんだがな、残念だ」
と言った。
「トードー、悪かったよ」
メアリーも、
「トードー、また来てくれるわよね?」
と言ったが、
「ミサトが来る気になればな」
とトードーは冷たく答えた。
リズはずっと悲しそうな顔でトードーを見ていたが、彼がリズに振り返る事はなかった。