快楽殺人者、覚醒する。
誰かがずっと私の名前を呼んでいるような気がしていた。
だけど私は眠くて眠くてそれに答える気力がなかった。
目を開けるのも、その声に耳を傾けるのもつらかった。
どうして私はこんなに眠いのかしら、それにどうして誰かが私に何かを命令しているのかしら。その命令する声は不快だった。
オーナーじゃないのは確かだった。彼はそんな爬虫類みたいな話し方をしないわ。
あら、爬虫類ってしゃべったかしら。
でもこの不快な声は爬虫類の姿から聞こえるわ。
人間の服を着ているけど、爬虫類みたいだわ。
私に何を言っているのかしら? 耳を澄ましたけど、やっぱり何を言ってるのか分からないわ。
だけど、時々は分かった。
「起きなさい」「笑いなさい」「ベッドから降りなさい」くらいの英語は私も分かる。
分かる、と思った瞬間に身体が動いた。
まだ眠っていたかったのに、私の身体は私を裏切った。
懐かしい武器があった。オーナーが取り上げた私の釘打ち機だ。
それを手に取ると、ずしっと重みがきた。
外国で出会った、外国製の釘打ち機のくせにそれは私の手にぴったりだった。
爬虫類が「殺しなさい」と言った。
私に。
誰かを殺せと言った。
この私に。
嫌だわ、と思った。
どうして、誰かに命令されて殺さなきゃならないのかしら。
どうして爬虫類が私に向かって偉そうなのかしら。
そんな楽しくない事、やりたくないわ。
自分でやればいいじゃない。
だけど、私の身体はまた私を裏切った。
私は誰かに向かって釘打ち機を撃った。
何かが私の中にいて、私を気持ちとは全然別の方向に連れて行く。
私は笑う事も、怒る事も、泣くことも出来ない。
すべての表情を顔に表すことが出来ないようだ。
不愉快な爬虫類が命令する時だけ、私の身体は動く。
何なの、私。
ああ、釘打ち機が重いわ。
日本へ帰ったら、もう少しコンパクトな物を買いに行こう。
チョコレートと言ったの?
食べなさいと言われて、口を開くと、素晴らしく甘いチョコレートが口に放り込まれた。 これは、オーナーの作ったおいしいチョコレートね。
甘くて、甘くて、おいしくて、生まれ変わったらチョコレートになりたい。
オーナーはどこにいるのかしら。
私にもっとチョコレートを食べさせて。
チョコレートがあんまり甘いので、腕の力が抜けて、釘打ち機を落としてしまった。
オーナーに会いたい、と思った。
自分でも思ってるよりずっと私はオーナーの事が好きなのかも。
あの人の腕の中でチョコレートを食べたいわ。
急に身体を引っ張られて、誰かの腕に捕まった。
そして顔をがつんっと殴られた。
痛いわ。何故、殴るの。
殺すわよ。
今度は誰も何も言わなかったのに、口に強引にチョコレートが入ってきた。
ああ、でもおいしい、オーナーのチョコレート。
もっともっと欲しいわ。
一日中、チョコレートを食べていたいわ。
殴られた顔が痛い、ような気がした。少し顎を動かしてみると、動いた。
顔を左右に動かしてみる。動く。動く、と思った瞬間に視界が広がった。
見える。部屋の中が見える。
すぐそばに人の気配がするのでそちらへ顔を向ける。
見たような顔だけど、思い出せない。でも、そんな事はどうでもよかった。
そいつは私のチョコレートを自分の口に放り込んだのだ。
それは私のチョコレートだわ。
だって、オーナーが言ったもの。
「俺の作るチョコレートはすべて君の物だ」って。
だからオーナーのチョコレートは全部私が食べるのよ。
何、この男。
私は男に対して、決意を表明した。
「わ、たしの、チョコレート、ぬすんだ、コロス」
男はひいいいっと悲鳴を上げて身体をのけぞらせた。
人を化け物みたいに見ている。
男の顔は恐怖でひきつっていた。
「ひいいい」と言いながら、ずりずりと後ずさっていく。
「美里!」
と声がしたので、そちらへ振り返るとオーナーがいた。
傷だらけだった。
誰の仕業かはすぐ分かった。腕や足に釘が刺さっているから。
「オーナー…」
オーナーの向こうに金髪碧眼の男がにやにやしながら立っていた。
オーナーの方へ足を踏み出した瞬間に、歩きにくい事に気づいた。
自分を見下ろして、愕然となる。
何なの。このドレス。ウエディングドレス?
はらわたが煮えくりかえるとはこの事ね。
私は眠らされて、ドレスを着せられて、オーナーを釘差しにして、あの男のなすがままだったというわけ?
「屈、辱」
この二文字しか頭に浮かばなかった。
だけど、あの殺し屋とやりあうには自分が不利だという事は分かっている。
動きにくいドレス、傷ついたオーナー、何より釘打ち機が殺し屋の足下に落ちている。
私は振り返った。
まずは私のチョコレートを盗んだ男に制裁を。
私の足下で震えながらひいいいと叫んでいる男の手のひらを踏みつけた。八センチはあろう真っ白なピンヒールのかかと、しかも全体重とありったけの怒りを込めて踏みつけたのだからさぞかし痛いでしょうね。
「ぎゃああああああああ」という野太い悲鳴に変わった。
ぐに、といういい感触が足に伝わってきたのでヒールの先が手のひらを貫通したようだ。 左手の指が痛いと思ったら、大きな立て爪のダイヤモンドの指輪がはめられていた。
「大きいわね」
左手の拳をぎゅっと握る。ぎゃあぎゃあとまだ叫んでいる男の頭を掴んで顔を引き上げる。男は泣いていた。男の顔面をダイヤの立て爪で殴ってやった。
イタタタタ。
自分の手が痛かった。
だけど、男の右目は潰れたようだ。少量の血液と体液が流れ出てきた。
左手をひくと、立て爪に男の眼球がひっかかって出てきた。ずるっとした感触があり、細い長い神経のような物がつながっていた。
「思い出した! トミー! トミー…よね? ジョニーだったかしら?」
左目がこぼれて落ちそうなくらい大きく見開かれている。
トミーはベージュのズボンをはいていたのだが、みるみる股間が濡れてきた。
どうやら失禁したようだ。
トミーは抵抗する気力がない様子だった。
右手に刺さったヒールを引っこ抜くと、「うげっ」と小さい声で言った。そして、そのままヒールで濡れた股間を再び踏みつぶした。
柔らかい弾力のある物がぐしゃっと潰れた。
「ぎゃあああああああああああああああああああ」
とトミーが大声で叫んで動いたので、びっくりしてひっくり返りそうになった。




