快楽殺人者、アメリカの殺人鬼と出会う2
夢を見た。きっと悪夢に分類されるだろう、夢。
るりかが恨めしそうな顔で私を見ている。いや、私の横に立っているはずのオーナーを見ているのかもしれない。目の前の彼女が幽霊なのだとしたら、どうして生前と同じ格好なのかしら。乳首の透けたよれよれのTシャツに、毛玉だらけのジャージ。裸足で某キャラクターの健康サンダル。どうしてもっと小綺麗な格好で出てこないのかしら。
仮にもオーナーの事が好きなら、どうしてもっと綺麗になろうと努力しないのかしら。蝶よ花よと育てられた結果?……いや、蝶よ花よと育てるならこそ綺麗にしてやれよ。どうしてあんなに不細工でいられるのかしら。
それとも自分を貫き通すその姿勢を褒め称えるべきなのかしら。
私はるりかを見ながら、そんな事を考えていた。
るりかが消えたと思ったら、マリンブルーが立っていた。
マリンブルーにはもう何の感傷もない。
その背後にも見たような顔がいくつも見える。
覚えている顔もあれば、忘れているような顔もある。
その後ろには釘顔の金髪と目から血を流している黒人が立っていた。
二人は手を伸ばして私の方へ歩みよろうとしていた。目が見えないもんだから、よろよろと二人でぶつかりあいながら私の方へ近づいてくる。
ゾンビ映画のゾンビみたい、と思った。
あれ、走り出すと怖いのよね。やたらに早くてさ。
だから私はのろのろゾンビ派だ。
私はなぜだか身体が動かない。その場でのろのろした二人を見つめていた。
金髪と黒人が私のいる場所まで来ることが出来たら、私は死ぬのかしら。二人に襲われて、食い殺されるのかしら。私もゾンビになるのかしら。ちょっと嫌かも。
その前に私の身体が動くようになるか、どちらが早いかしら。
でも私の身体は動くようにならず、二人の死体はどんどん近づいてくる。
もうすぐそこにいる。
あと一歩足を進めたら、金髪の手が私の身体に届く。
腐ったような色の手からウジがぽたぽたと落ちている。
骨が少し見えていて、それを取り巻く赤黒い肉は悪臭を発している。
黒人がうおおおおおおというような声を発した。
「もしかして怒っているの? 自業自得のくせに」
と言ってみたが、言葉が通じるとは思えない。
黒人は怒号を発しながら、私の腕を掴もうとした。
私の身体はまだ動かない。私は願う。この手に何か武器をクダサイ。
「殺してやるわ。何度でも、何度でも、殺された時の恐怖をあんた達に味あわせてやるわ。今度は身体中を釘で飾ってやるわ」
と言うと、黒人の足が止まった。
金髪の身体は床に縮こまって、腕で頭を守って震えている。
手に何か重い物がある。引き金をひくと、地面に釘がささった。
何て心地いい重みなのかしら。
「何度でも殺してやるわ」
と言った瞬間に目が覚めた。室内はオレンジ色の明かりが灯っている。
ホテルって乾燥するから嫌い。喉が渇いた。
隣にはオーナーが眠っている。
どうして結婚なんてしたのかしら。
どうしてあの街に根を下ろそうとしているのかしら。
オーナーの寝顔を見ながらそんな事を考えた。
そっとベッドを抜け出した。窓際のソファに座ってミネラルウォーターを飲む。
窓には薄いレースのカーテンがかかっていた。その向こうには月明かりの向こうに暗い海が広がっている。
当然だけれど、浜辺には誰もいない。真夜中だもの、当然ね。
草木も眠る丑三つ時…ハワイじゃ何ていうのかしら?
でも、よく見ると招かれざる客がいた。
浜辺にぽつんぽつんと植えられている樹木の陰に立っている人間が見える。
私はそっとベランダへ出てみた。ベランダのウッドデッキから砂浜へ直接降りていける。
音は聞こえないが、擬音をつけると、サクサクサク、トッ、サクサクサク、トッ、という風に歩いてくる。トッっと言うのは、砂に足を取られてちょっとつまずくからだ。
こっちへ一直線に歩いてくるので、やはり昼間に見たレストランでは彼はおじいさんを殺したのだろう。
私がその瞬間を見たかどうか関係なく私を殺すつもりで来たのだろうか?
その金髪はウッドデッキのすぐ外側に立って、私に向かって早口で何か言った。
「英語は話せないわ」
と言うと、少し首をかしげた。
そして次の瞬間にしゅっとその男の腕が動いた。
きらっと光る物が真横に走った。
別に武道の達人というわけではないので、この急襲を避けるという器用な芸当が私に出来るはずもない。しかしただの脅かしだったようだ。そのナイフは私を傷つける事はなかった。男はにやっと笑ってから、そのナイフを私にきらっと見せた。
「何なの? 芸を見せに来たの? ナイフ術だけなの?」
と言うと、また何か言い返してきた。
「あなたとは友達になれそうもないわ。言葉の壁は大きいわね」
男はかまわずにしゃべり続ける。
何を言ってるのか見当もつかない。日本へ帰ったら、英会話を習いに行こうかしら。
オーナーが話せるもんだから、楽ちんでいいやと思っていた。
アメリカの殺し屋と対峙する場面があるなんて想定外だわ。
「で、結局、何の用なのよ?」
「自分がいかに優れた殺し屋である事を語ってるみたいだ」
と声がしたので振り返るとオーナーが立っていた。
「あら」
と言った瞬間に、オーナーの腕が私の身体を引き寄せた。
「痛っ」
と言い、私の身体を抱いているオーナーの右腕から鮮血が飛び散った。
「!」
男の光ったナイフがオーナーの腕を切り裂いたのだ。
私が油断して振り返ったばっかりに。
男はにやにやと笑って、そして後ずさり始めた。
二人を相手にはするつもりはなさそうだ。
私が男を追おうとするのをオーナーの腕が引き留めた。
「行くな。放っておけ」
「ああ、手当しなくちゃ…大丈夫?」
「かすり傷だよ」
とオーナーが言った。
男はさくさくっと音をたてて走って逃げて行った。
私は部屋の中に飛び込んで、タオルを探した。浴室にあるバスタオルを持ってきてオーナーの腕を包んだ。
「ごめんなさい、私が油断したばかりに」
「いや、君が怪我をしなくてよかった」
「痛い? 病院に…」
「ナイフの先がかすっただけだから、血さえ止まれば大丈夫だ。病院に行って痛くもない腹をさぐられるのはよそう」
「…」
右腕はオーナーの利き腕だ。この腕で美味しいチョコレートを作っている。
オーナーのチョコレートのファンは大勢いる。毎日買いに来るお客さんもいるし、一月単位で予約購入するお客さんもいる。セレブなマダムもいるし、お小遣いをためて買いに来る学生もいるのだ。
新店舗は完成している。新しい什器もフリーザーも搬入済みだ。
何もかも新品でぴかぴかだ。
飲食コーナーもお洒落な喫茶店に仕上がった。
店で働くパートさん達も楽しみにしているし、近所の人も開店を待ってくれている。
みんながオーナーが帰ってくるのを待っている。
それなのに。
私のような最悪な人間につきあわせたばかりに、利き腕に怪我をさせてしまった。
日本からこんなに遠く離れた場所で。
「ごめんなさい…」
「俺は大丈夫だから、あの男を殺ろうと思わないでくれ。あの男は自分で言っていた。プロの殺し屋だと。君に目撃されたのが不本意だと。明日、朝一で日本へ戻ろう。日本まではきっと追いかけてこない。あの男は今まで何人も金の為に殺してきたプロだ。君が今まで相手にしてきたのとは違うんだ」
オーナーの言葉を意識の遠くの方で聞いていた。
うんうんとうなずきながら。
でも、頭の中ではずっと考えていた。
殺してやるわ。
殺してやる。
コロシテヤル。
アノオトコヲコロシテヤルワ。
オーナーノミギウデヲキズツケタアノオトコヲコロシテヤルワ。




