快楽殺人者、人肉パティシエと夫婦喧嘩する。
マウイ島行きの飛行機の中で、さっきの青年は誰だったのかとオーナーに聞くと、
「彼はトミーといって、ボブの店でバイトしてる大学生だ」
と言った。
「ふうん、結局、何を言いに来たの? アメリカ人の肉がとても美味しかったってわざわざ言いに来たの?」
「謝りに来たらしい」
「何を?」
「つまり…君を」
ここからオーナーは小声になって私の耳元で、
「君を襲った二人組と彼は共犯のようなものだったからさ」と言った。
「共犯? 三人組だったの?」
「彼は怖じ気づいて隠れていたらしいが、君のハンティングを十分に目で楽しんだらしい」
「…」
「だが、彼が気弱だった事が幸いした。彼は警察へ駆け込む前にボブの店に走ってきた。だからボブが二人組の始末をつける事ができた。君が大事そうに持っていた釘打ち機はその時の武器だろう? 俺も見たよ。なかなか芸術的な仕上がりだったな」
「トミーとボブとあなたとあの黒人と金髪白人はみんな知り合いなの?」
ちょっとばかり腹がたってきたぞ。
私はオーナーを睨んだ。
「俺は関係ない。二人組とトミーとリズが大学生というつながり。リズの命令で君を脅かそうとして、君に返り討ちにあった馬鹿どもさ。トミーは腰抜けで命拾いしたってとこ」
「リズ? どうして彼女が私を脅かそうとするの?それに あの二人組は冗談ですって感じじゃなかったわよ。本気で私をナニして、ナニしようとしてたわ」
オーナーは咳払いをして、狭い座席に座り直した。
「つまり…それは…」
「あなたも無関係じゃなかったって事でしょ! リズはあなたの何なの? 恋人なの? それならまだ籍は入ってないから、私達はこのハワイ旅行でおしまいにしましょう。ハワイ娘とあなたを共有するなんて冗談じゃないわ」
「ちょ、待てよ。俺は関係ない。リズが勝手にやった事だ」
「あなたと関係があったからでしょう?」
「関係なんかない! って、俺がボブの店に行ったのは笹本さんとほんの数回だけだし、特別に彼女とつきあいがあったわけじゃない」
「何もないのに、そんな事する? 新婚旅行に来てる人の奥さんを襲う? 殺されるところだったのよ!」
「俺を疑ってるのか? リズと関係があったと?」
「疑っているのかですって? 今の私にそれ以外に何が出来るって言うの?」
私達はお互いに少し興奮していたので、周囲の外人達がみんな耳をすましたり、くすくすと笑ったりしているのに気がつかなかった。最初はひそひそと話をしていたはずなのに、少しばかり声が大きくなってしまったらしい。
通路を挟んだ隣の乗客が何か言って、周囲がどっと笑った。
オーナーが誰にともなく言い訳のようなことを言ったが、もちろん私には分からない。
私が、私じゃなかったら、私は犯されて殺されていたのだ。
私が私の身を守る事が出来たのは幸運だ。
私が釘打ち機を購入してなかったら、黒人と金髪白人にぼろぼろに犯されて殴り殺されていたのだ。そしてボブが私を切り刻み、彼らの夕食になっていただろう。
オーナーの元カノか何か知らないけど、リズの差し金で。
そして気に入っていた釘打ち機もオーナーに取り上げられてしまった。
バッグと釘打ち機で千二百ドルもしたのに!
何なの、この人。私は横目でオーナーを見た。
オーナーはそんな私をちらっと見て、
「話は後だ。隣の男に「こんな狭い場所で痴話げんかはよしてくれよ。日本人」と言われた。どうも日本語が分かるようだ」
と小声で言った。
私はつんと横を向いて、窓の外を眺めた。
外はいいお天気だった。
空はまぶしいくらいに青いし、雲は真白いし、遠く眼下に見える海はまさしくマリンブルーだった。マリンブル-? そういえば、マリンブルーの爪をどこへやったのかしら? 涼しげな水色の爪を思い出し、ふと意識がリズから離れた。
そうする事で気持ちが落ち着いてきた。
リズはオーナーが好きだから、私を排除しようとしたのね。
友達を使って? 馬鹿なの?
ボブもメアリーもそんなに悪い人には見えなかったけど、やっぱり、妙な物を食べる人種は妙な事を考えるんだわ。
マウイ島にはそれほど日本人はいなかった。
日本語で書かれた看板がほとんど見られない。
ホテルは素晴らしかった。まるで映画のセットのようだった。
銃撃戦でも起こらないかな。逃げ惑う日本人役がやりたいわ。
外国製のバスタブ。バスタブとシャワー室が別だった。どうやって使うの?
ベッドはもの凄く広く大きく、天蓋付きで、まさしく新婚旅行的だった。
そして部屋から一歩ベランダへ出れば、そこから外には輝くプライベートビーチが広がっているというロケーションだ。
だが私達はそんな素晴らしい部屋で不愉快なハワイっ娘の事を話し合うってわけだ。
オーナーは大きなベッドに腰をかけ、いらいらとした口調で、
「リズとは何もない。本当に何の関係もない」
と私に向かってそう言った。
「リズが勝手にあなたにお熱をあげてるってわけ?」
「さあな」
「数回しか会ってないって言ったけど、それでそんなに思い詰めた事するかしら」
私は窓際のすばらしくふかふかのソファに座りながらそう言った。
ふかふかすぎて大きすぎて、身体が沈み込んでいく。ソファで溺れそうだ。
「だいたいリズはまだ二十歳かそこらだ。そんな気になるはずないだろ」
「二十歳って恋愛するには充分でしょ」
とは言ったものの、恋愛に関しては経験値ゼロの私が自信を持って言える事でもない。
「俺もう三十だぞ? 二十歳ってちょっと無理だろ」
「そんな事ないでしょ? 若い方がいいに決まってる。そこは世界共通でしょ」
「リズが浅はかだったのは確かだ」
「おかげで殺されるところだったわ」
「でも君も思う存分に新しい武器の性能を試せたってわけだ」
「あなたは私からそれを取り上げたじゃないの。高かったのに」
「あんな危険な物を持ち歩いて見咎められないとでも? 日本じゃないんだぞ」
「な、何よ、私が悪いの? あなたの恋人に殺されかけた私が悪いの?」
「恋人なんかじゃないって言ってるだろ」
そんな事を言い合っているうちに馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。
どうしてこんなに素晴らしい場所で喧嘩しているのかしら。
お昼も過ぎてる。お腹がすいたわ。ここへ来てからゆっくり昼食をとるって予定だったのに。リズは私のお昼ご飯すら邪魔するのね。性悪なハワイっ娘。殺してやろうかしら。
お腹がすいたので、戦闘能力もゼロになった。
HPもMPもゼロだわ。
私は唇をとがらせてだまり込んだ。
オーナーが立ち上がる気配がした。
ごそごそとバッグから何かを取り出して、私の膝の上にぽんと投げてよこした。
私はそれを見てから一生懸命、必死で顔を引きつらせた。
だってそれはオーナーの作った素晴らしく美味しいチョコレートだったからだ。
こんな奥の手を持ってきてるなんて、卑怯な男だわ。
顔がゆるんだら負け、のような気がした。
が、私は甘い甘いチョコレートの前になすすべもないのだ。




