春風にのせて
しまった。完全に出遅れた。
入学式を終えて五日、大学の授業が次々に開始される中、私は今更ながら後悔していた。
友人を作り損ねたのである。高校の数少ない友人は皆別の大学に進学したため、完全にゼロからのスタートとなってしまったわけだが、教室にいると周りでは既にいくつかグループが出来上がっており、その状況が一人ぽつんと取り残された私をさらに焦燥へと追いやった。だがまだ大丈夫。心配することはない。誰かが誰かに話しかけて友達を作っているのだ。私もそのチャンスを待てば良い。現にああしてグループが作られているわけなのだから、無理に自ら動く必要はない。果報は寝て待て。今の自分にぴったりの言葉だった。
(さあ、来い!)
だが期待空しく、結局誰からも声を掛けられることもないまま一日が過ぎ去っていった。
「で、そのまま四日過ぎたと」
「・・・うん」
休日。私は高校の頃の友人、吉崎明日香と近所の喫茶店に立ち寄り、例の悩みについて彼女に相談を持ちかけていた。
明日香は高校の頃から面倒見が良く、周囲から頼りにされていた。卒業した後でも友人関係は衰えることなく、おまけに大学では新しい友人も増えつつあるらしい。静かで消極的な私と比べれば彼女は丁度正反対な存在といった所だろうか。
明日香はしばらくじっと私を見つめ、「やっぱりか」と溜め息混じりに言い放つ。
「由奈の引っ込み思案は相変わらず、というわけか」
目の前のコーヒーに一口つけて明日香は続ける。
「ま、アンタのそれは数ヶ月やそこらで簡単に変わらないとは思っていたけどね」
「ど、どうすればいいのかな・・・」
「気持ちは、伝えないと相手も分かってくれないわよ。あんたが考えてる程お人好しなんて少ないんだから」
明日香の言うことは正しい。しかし、今まで静かに人と交わらず過ごしてきた私にとって自ら進んで誰かに話しかけるのは至難の業だ。ましてや、初対面の人となれば尚更だ。相手と目を合わせようものなら、緊張のあまり喉から出かけた言葉も腹底にまで引っ込んでしまうだろう。
「・・・やっぱり不安だよ。自信無いし」
と私が弱々しく告げた途端、明日香は再び持ち上げようとしたコーヒーカップを受け皿にコトン、と戻し、諭すようにつぶやく。
「それは皆同じ。初めは誰もが先の見えない不安に囚われているようなものなの。そこから、いかに勇気を出して足を踏み出すかで結果は大きく変わるのよ」
明日香の力強い言葉が一字一句、私の心に深く沁み込んでいく。が、それでも自分にはまだ不安が重くのしかかったままでいた。俯いた状態でふと、私は言葉を漏らす。
「でも、人付き合いの初めは慎重に、って言うでしょ?第一印象がその子のイメージにもなりかねないって言うし・・・もし下手に話しかけて相手に変な子だと思われでもしたら、私・・・」
「そう?そんなの私だったら気にしないけどね。その子の素性なんて、話していくうちに段々と分かるものよ。何もかも第一印象が大事ってわけじゃないわ」
「で、でもでも・・・あ、そうだ、授業で友達を作るよりもサークルや部活に入れば自然と仲良くなれ・・・」
「由奈」
明日香の声で私はぴくり、と硬直した。
「確かにサークルや部活に入れば友達の輪を広げられるかもしれない。でも、今のアンタじゃ多分無理ね」
「えっ・・・」
「第一、それは「逃げ」よ」
はっと顔を上げ、私は動揺した。彼女の言葉にだけではない。明日香の瞳が、鋭く厳しい眼差しを自分に向けていたからである。まるで、心の内をいとも簡単に透かし見るかのように。
「由奈、言い訳っていうのはその状況をやり過ごしたい、または背を向けたいという気持ちから出てくるものなの。それはあなたが失敗を恐れているからよ。行動っていうのは、ネガティヴに考えれは考える程、起こしづらくなるの。だから先延ばしになる。でもそれじゃ、一向に前に進めない。でもそれはアンタも分かってる筈。失敗を恐れちゃダメ。その心構えさえ整えば、あとはアンタの気持ち次第・・・ねえ由奈、あんたはどうしたい?」
「私は・・・」
「逃げる?」
あわてて首を振る。今ここで逃げれば、後で必ず後悔するのは目に見えていた。今でさえ、その断片を垣間見ているようなものなのだ。
「じゃ、立ち向かわないと」
ふっ、と明日香の表情がやわらかくなった。
少し、肩の荷が下りたような気がした。溜まっていた何かを息と一緒に吐き出すと共に、再び彼女を見つめる。
「大丈夫、絶対できるって」
その伝わってくるような温かみが、今私を最も力強く支えてくれるような気がした。同時に、何か胸の辺りに熱く込み上げてくるものを確かに感じた。
休日が明け、私は登校した。
校門をくぐると、まるで人々を見下ろすように、桜の樹が林立していた。その中、
(・・・いた!)
桜並木を二つに分ける大路を、見覚えのある数人が楽しそうに話しながら歩いているのを見つけた。自分と同じ講義でよく見かけるメンバーだった。
私は心の中で決意を固めると後ろから彼女らに歩み寄る。
余計なことは考えない。ただ、明日香が昨日別れ際に残した言葉をひたすら頭の中で反芻していた。
『百パーセントの自信なんて無い。あるのは不確実な自信だけ。でも、今のあんたにはそれが要る、ううん、不可欠と言ってもいい』
『いい、もし迷ったら自分を信じなさい。ほかの誰でもない、自分自身を。知ってた?「自分を信じる」って書いて、『自信』になるのよ』
その時浮かべた明日香の明るい笑顔が脳裏をよぎる。
一歩。もう一歩。私の足はペースを時々落としながらも彼女達に近づいていき、それに比例するかのように、胸の高鳴りもどんどん激しいものになっていった。
そしてついに、あと少しで手が届きそうな位置まで距離を詰め、
(今だ!)
精一杯の勇気を振り絞る。
「あの・・・!」
次の瞬間。
突如一陣の風が大路に吹き荒れ、道行く人に襲いかかったのだ。私の声は掻き消され、その拍子に尻餅までついてしまった。
不意に視線が空に向く。すると、今の突風に誘われ、幾多の桜の花びらが一斉に舞っているのが目に映った。その偶発的な情景に思わず私は釘付けになる。
(すごい・・・)
だが即座にハッと我に返る。加えて尻餅をついていたことを思い出した私は瞬時に起き上がり、尻を軽くはたいた。そして、
「あっ・・・」
気づくと、いつの間にか彼女達はとっくの先に行ってしまっていた。
しばらく私はその場で呆然と立ち尽くす。
「・・・・・・」
もう一度、空を見上げる。すると再び肌に風を感じた。しかし今度は先程と違って、優しく、やわらかな風だった。背中から前にゆっくりと抜けていったそれは、まるで自分を応援してくれるようで、自然と足を前に押し出してくれるようだった。
やがて視線を前に戻し、一旦深呼吸。
気持ちを切り換え、再び歩き出そうとする私。
その時だった。
「あ、あの・・・」
「え?」
自分に声を掛けられていたことに気づいた私は反射的に振り返る。
するとそこには一見大人しそうなセミロングの女の子が半ば顔を俯かせた状態で立っていた。
「これ・・・」
差し出された手には見覚えのあるハンカチ。咄嗟に私のものだと察しがつく。恐らく先程尻餅をついた拍子にポケットから落ちてしまったのだろう。
「あ、ありがとうございます」
そう言いつつハンカチを受け取り軽く会釈すると、私は身を翻して先を急ごうとする。
「あ、そ、それであの・・・!」
が、またしても彼女に呼び止められた。見ると、しばらくその子は口を固く結んだまま目線を下に向けていたが、ふと表情から強張りを解くと、私の目を真っ直ぐに見てこう切り出した。
「も、もし良かったら・・・私と一緒に行きませんか?」
これが私と彼女の出会いであり、そして全ての始まりだった。