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吉川兄弟

吉川兄弟


日曜の晩のこと。

出先から自宅のアパートに帰ってきたら、弟に彼女を寝取られていました。


あぁもう、そりゃあどう足掻いたって誤解の仕様もなく。

今し方まで致して居りましたという風な、ベッドの上の男女二人に遭遇しました。


ていうか、むしろ邪魔してゴメンと謝りたいくらいに盛り上がっていたようで。

……ぶっちゃけまだ合体したままですよね、お二人とも。




 彼女が今にも泣き出しそうな顔をして俺を見ている。多分めちゃくちゃ頭の中が混乱しているせいなのだろうけれど、一応まだ彼氏の身としては早急にその合体を解いて欲しい。そんな風に思っていると、弟の方が先に動いた。腰の上に乗った彼女の体を持ち上げて、ずるりと引き抜く。……うんそう。彼女、騎乗位だったんだよね。引き抜かれた際に思わずその口から漏れてしまったであろう彼女の声の何と色っぽいことか。泣けちゃうね、こりゃ。


弟も彼女も何も言わず、ただじっと俺を見る。こういう空気はどうも苦手だ。薄い氷の張った水面の上に立たされているような感覚とでも言うんだろうか。少しでも動こうものなら、途端にそこから軋んだ音を立てて亀裂が走っていく。


「ただいま、青旖あおい。それから、沙智子ちゃん」


俺が名前を呼んだ瞬間、彼女の顔が更に強張るのが分かった。そうだね。きっと君の想像通りの台詞を俺はこれから言うだろうね。




***




 俺には双子の弟がいる。顔は瓜二つ。親も区別できないくらいだ。名前は吉川青旖。旖なんていう漢字は今のところ弟の名前以外でお目にかかったことがない。そんなわけだから勿論学校の先生も読めるわけがない。初めて会う人みんなを困らせるようなこの名前は、グラフィックデザイナーとして主にゲームのキャラクターのデザインをしている父が考えたそうだ。


でも実を言うと、弟の名前の方がまだマシなのだ。一文字目は誰だって確実に読める。ところが兄の俺はというと、一文字目から読めない。吉川惺哉。しかも二文字目だって酷いものだ。これで”しずか”と読む。せめて”しょうや”にして欲しかったよ。どうせワープロで打ち込む時にはそうやって打ち込むことになるわけだし。しかも弟共々何で女っぽい名前なのだろうか。漢字についてあれこれと文句をつけていたけれど、こればっかりは漢字があって良かったと思う。ひらがなやカタカナで書いたら、間違いなく女だと勘違いされる。


ともあれ俺たちは双子として同じ環境で育ってきた。中学校に入る前までは。それ以降はどうして違うのかといえば至極簡単な話で、俺たちの小学校卒業を機に両親が完全な別居生活を始めたためである。元々芸術肌の二人が一つ屋根の下で家族仲良く暮らして行こうなんて考えが無謀だったのだ。しかもグラフィックデザイナーである父に対して、母はファッションデザイナー。同じデザイナーといえどもジャンルが違う。ただあくまで別居をしているだけであって、未だに離婚はしていない。すなわち夫婦の義務を果たしていないわけだが、今のところ恐ろしいくらいお互い家族としてうまくやっている。


 話を戻すが、そういう事情から俺は父に、弟は母に一応は引き取られる形となった。もう一度言っておくが、両親は未だに離婚していない。ただ再び同居する様子も全く見られない。それからわざわざ一応という言葉をつけたのは、俺と弟が時々入れ替わっていたためである。幸い二人共国外に行くようなことはなく、仕事の都合から割合電車で気軽に通えるような距離にお互いが住んでいたため、俺たちは密かに連絡を取り合って、周囲にバレないように短時間ながらもその入れ替わり生活を楽しんでいた。


ちなみに入れ替わり生活の言いだしっぺは弟の方だった。思えばあの頃からその気まぐれすぎる性格の片鱗が顔を覗かせつつあったわけである。まぁ今になって気がついたところで、今更としか言いようがない。




 そんな生活を中学校・高校と続け、大学生となった今はアパートの一室を借りての同居生活をしている。この同居生活も言いだしっぺは弟であった。しかしながら、このことに関して俺も特に不満があったわけではなかった。兄弟仲は悪くなかったし、何より金銭面から同居をした方がお得で良い部屋に住めることは確実だった。


そう、あくまで過去形である。いざ同居をするとお互いそれまでは知らなかったことが分かったりして、カップルであってもうまくいかなくなることが多々あるが、そういう次元の話ではないと個人的には強く主張したいところだ。何が問題かと言えば、弟はあまりに自由気ままで、同時にあまりに無関心であった。


同じような毎日の繰り返しを嫌い、自由気ままにあれこれと手を伸ばしてはまた突如として気分が変わって、他人の思惑がどうであれ一切構うことなく、また別の方へと歩いていく。具体的なことを言えば、高校の時にスカウトされたというモデル業に、インディーズバンドのボーカル。ネット上では人気実況者になり、またオンラインゲームにおける有名プレイヤーにもなる。一体どこで習得してきたのか完璧な変装でもって、性別こそ偽ることはないものの、外見上の年齢や醸し出す雰囲気、またはその声色までも自由自在に操る。


 俺よりも頭が良いことは知っていたが、俺はこんなハイスペックな弟を持った覚えはなかった。したがって当然のことながら、弟に彼女を寝取られることになるとも全く想像すらしていなかったわけである。ちなみに正式な彼女を寝取られたのは今回の沙智子ちゃんで二度目であるが、気になっていた女の子が弟に食われたことなら余裕で片手に収まらない数になる。


普通ならいい加減、弟との同居を解消するところだろう。しかしながら双子故に、俺には分かってしまうのである。これだけのことをしておきながら、弟には一切悪気はないし、多分彼女に関しても弟は据え膳を食らったに過ぎないのだ。だから弟に寝取られたという表現は正確に言うと正しくない。けれども弟と関係を持ったことで彼女の心がすっかり俺から離れてしまったことは確かで、俺からすると寝取られたと言う以外に何とも言い様がないのである。


日頃一体どんな仮面をつけて方々に向かっているかは知らないが、弟は基本的に人や物を問わずあらゆることに関して無関心である。恐らくその中には自分自身すら含まれているのではないかと思う。だからこそ弟は何を顧みることもなく、どこまでも自由気ままに振る舞い、たとえ相手が兄の彼女であったとしても差し出されれば気が向く限りにおいては手を出すわけである。




***




「惺哉」


 扉をノックする音に返事をすれば、弟が俺の部屋に入って来た。シャワーを浴びたらしく、情事後特有の香りは消えていた。俺の名前を呼ぶ声に背中を向けたままベッドの上で曖昧に返事をすると、弟が俺の肩を揺さ振ってきた。


「なぁなぁ。明日、服買いに行かねぇ?」

「授業があるから無理だよ」

「午前だけだろ? 午後は空いてんじゃん」

「ちょっと調べ物をしたいから午後も空いてません」


俺がそう言ってもぞりと布団の中に顔を突っ込み、弟の存在を無視して眠りに就こうとすると、弟がまた俺の名前を呼んだ。そして恐る恐るといったようにこう聞いてきた。


「なぁ、やっぱ怒ってる?」

「……何で?」

「だって別れちゃったじゃん」


弟は呟くようなか細い声でそう言うと、それきり口を噤んでしまった。


 「だっても何も、全部お前のせいだろうが!」とこの場で弟を罵倒し、タコ殴りにでもするのが一般的な反応なのかもしれない。でも俺はそのどちらもする気になれない。出先から帰ってきて疲れて眠いせいもあるが、この弟は本当に分かっていないのである。仮に彼女の方から誘われたにせよ、兄の彼女と寝てしまったらその後その兄が一体どんな気持ちになるのか。それが分からないのである。


弟は自分が悪いと思えばすぐに謝る人間である。つまり今回のことに関しては、弟は未だに自分が悪いとは思っていないということだ。それでもこうして俺の顔色を窺いに来たということは、弟なりに何か感じるものがあったのだろう。それだけで俺はこの弟を褒めてやりたい。少なくとも何の謝罪も行動もなかった初めての彼女を寝取られた前回よりは、確実に成長している。




***




 弟は多分脳のレベルで、社会性や対人スキルといったものが未発達なままなのだ。前に偶然その手の本を読んで、酷く納得した。未発達ということはつまり根気よく一つ一つを丁寧に教えていけばそれらをきちんと学習し、他者よりも多少時間がかかるにせよ、いずれはそれ相応の社会性や対人スキルを身につけることが出来るということである。決して感情の一部が欠落しているわけではない。


実際に同居生活を始めてから、弟はそれまでと比べて随分と成長したと思う。まず、自分の身なりを気にするようになった。


それまでは普段鳥の巣みたいな頭をして、いい加減に新しい服を買えよと言いたくなるような着古した服を着ていた。勿論ファッションなんてものに興味があるはずもないから全体のバランスを考えるわけもなく、ちぐはぐな一見してダサい格好だった。あんなのがモデルをやっていたなんて本当に信じられない。そもそもよくもスカウトされたものだと思う。確かにその体つきだけは昔からモデル並みではあったけれど、それを全部台無しにするような格好をしていたのだ。スカウトした人はきっと目には見えない何かを感じ取れる人だったに違いない。


身なりに関しては、俺が隣で毎日口煩くあれこれとお節介をやいたおかげで、今では弟の方から俺を買い物に誘ってくるまでになった。美容院に行くのはともかくとして、店員が話しかけてくるのが嫌だなどと言って相変わらず一人では服屋で買い物が出来ない状態だが、それも追々出来るようになっていくはずである。


それから、日々の食事に関してもその好みについて意思表示をするようになった。


それまでは良く言えば好き嫌いが全くない、悪く言えば何を食べても同じ反応をするといった具合であったが、うまかったらうまいってちゃんと言えと指導したところ最初は何となく義務的に口にしていたその言葉が段々と自然に口から出るようになってきた。同時に今日はあれが食べたいだのというきまぐれな注文も増えることとなったが、それはそれで適当にその日の献立に反映させたりさせなかったりしている。




***




 いつものように弟に俺の今の素直な気持ちを説明したところ、ずっと黙って俺の話に耳を傾けていた弟が一言「ごめん」と言った。正直なところ、彼女を失ったことによるショックでない交ぜになった感情が色々と今にも口から漏れ出しそうであるのだが、弟が謝ってきた以上はもう何も言えない。責め過ぎればきっと弟は潰れてしまう。


「明日、買い物に行こうか」

「……調べ物は?」


弟は俯いたまま、かろうじて聞き取れるような声で言った。この様子を見る限り、やはり明日は買い物に付き合った方が無難そうである。反省するのは良いが、いつまでも落ち込んだままというのも困る。


「また別の日にやるからいいよ。元々急ぎの用じゃなかったし。ただ火曜から始まる新しい実験の実習書が月曜の昼から配布されるって言うから、早めに資料になる本を確保しておこうかと思っただけなんだ。俺のところの大学の図書館は青旖のところほど大きくないから、早めに確保しておかないと借りられなくなっちゃうんだよ」


俺が笑い混じりにそう言うと、弟が顔を上げて俺を見ながらつられたように少し笑った。


「大丈夫なのか、それ」

「まぁ、大丈夫だろう。駄目でも藤範ふじのりとウラあたりに頼めば何とかなる」

「藤範とウラって……あぁ、実験班が一緒の奴か」


俺が頷いて見せると弟は納得したのか、「また明日メールする。おやすみ」と言って部屋を出ていった。




 弟が部屋から出ていく姿をしっかりと確認した後で、俺は携帯を取り出してとあるチャットのページを開いた。ちなみに今開いているチャットの登録人数は俺を含めて二人である。そして俺はそこに【家に帰ってきたら、弟に彼女を寝取られてた】と打ち込んだ。するとほんの数分後に相手から反応が返ってきた。相変わらず反応が速い。


―――――【ドンマイ、オニイチャン】


更にはそのコメントのすぐ下に、腹を抱えて涙を流しながら笑い転げるクマのイラストが貼り付けられている。それを見た瞬間、携帯を握る俺の手が思わず震えた。勿論怒りのあまりである。本当はこのまま相手に電話をかけて色々と言いたいところなのだが、家に弟がいるためにそれは出来ない。仕方なく、俺はまた手元の携帯に打ち込んだ。


―――――【近々お前の家に行くから極上の酒を用意して待ってろ。お前の自腹で】


そしてその後すぐにチャットのページを閉じて携帯を枕の脇に置き、そのまま寝る態勢に入った。わざわざ見ずとも、どうせまたろくでもない返答が返ってきているに違いない。見るだけ無駄である。






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― 新着の感想 ―
[気になる点] >>ともあれ俺たちは双子として同じ環境で育ってきた。中学校に入る前までは。それは何故かというと…… の部分ですがこれだと中学校入学以前まで同居していた理由を説明することになるのではない…
2013/05/10 16:38 退会済み
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