8話 集合、或いは驚愕
「あちらの勇者は三人か……」
大勢の人があつまっている巨大な空間。特徴的な鮮やかなフレスコ画が集結する有象無象を見下ろしていた。
「ああ、おかげで帝国内だけに魔力の塊が集まるのは回避できたな」
そんな広大な空間の、有象無象たちの話す、歴史にも残らない言葉の数々。その中の、ほんの2人の男の会話。
「まったく、中央には幼皇帝に勇者、西には姫御子……またいつ再び嵐が起こるかわかりませんな」
多くの意思と音とが飽和状にこだまする空間で、1人の男の退廃的な嘲笑が打ち消される。
「ええ、まったく……そもそもこの元老院徴集も緊急事態にのみ開かれる集会だというのに……宰相閣下は何を考えておいでか……」
どこか、憂いを帯びた声は、しかしこの現場を楽しんでいるかの様な響きも含んでいるように聞くものには映る。
それを裏付ける様に、対する初老の男性の目元に背徳的なシワが刻まれる。
「何も、考えてなど居ないのでしょう。何せ、あれも8年前に壊れている」
そう、男がつぶやいた瞬間。
雑音の跋扈するこの空間に、怜悧な刃物の様な声が走った。
「……元老院議員の皆様、そして栄養ある騎士の方々。此度はわが愚息の願いに応じて戴き、誠に感謝の言葉も御座いません」
その、外見だけは美しく取り繕い、しかしその内側にある侮蔑と嘲笑のニュアンスを隠す事もない声の登場によって、その場は一瞬静寂を取り戻したかの様に思えたが、再び、至る所で秘密の会話が再開される。
「……オルゴルスのオズではないか? 皇帝の番犬の息子が我々を呼びたてしたという事か」
平常を装うとするその声の中にも、困惑は隠しきれては居なかった。つぶやいた元老院議員は僅かばかり目を見開き、声と情報の発信源を凝視した。
そこに立っていたのは、身長は190を超えているだろう長身だが、細く、けれど逞しく鍛え上げられた身体のおかげで確かな存在感と安定感でそこに存在している、初老に差し掛かる程度の金髪と黄金の瞳を持った男性の姿だった。
男性は、その凛々しい山吹色の眼光を冷徹の光らせ、自らの足元に群がる有象無象を見下ろしていた。
「……いつになくお高く止まっているな。まったく嫌気がさす」
露骨に顔をしかめながら、けれどなれた物だとまるで自分に言い聞かせるが如く、深く息を吸った。
「明らかな越権行為ではないか……オルゴルスの化け物どもめ、最近大人しくしていたと思えば、今度はどんなお遊びをするつもりだ?」
苦々しく、同僚に向けられた掠れた、独り言の様なつぶやきは、その声をかけられた議員が返事をする暇もなく、再び、壇上より、天命の如く声が降り注ぐ。
「さて、聡明なる皆様の事、我が不出来の息子がやらかした事には深く詮索をせずいてくれるとは……」
壇上に立つ男が、言葉半ばに言った時だった。
いまだ、わずかなざわめきを残す大広間の中に、沈黙と緊張が広がったのだ。
だれもが口を引き結ぶ、金の瞳を持つ、男性とその傍にいつの間にか影の如くついていた宰相ですら例外ではない。
「……来た」
だれのものでもなくつぶやかれたその言葉は、ここにあつまった全ての物のこころを代弁するものであった。
かれらが感じているもの、それは即ち緩慢に近づく膨大な魔力。
それは、この場にあつまった全ての議員、騎士を纏めてすら、それを凌ぐほどの、圧倒的数の暴力。
場に、冷たい、鋭利な刃物の様に研ぎ澄まされた空気へと質を変化させていく。
だれの心にも広がる、波紋の如き、畏れ。
そして、それは姿を表した。
大きく開かれる大広間の最大にして唯一の出入り口。
徐々に開かれるその扉、開かれる度に流れくる莫大な魔力。
誰もが、誰もが、固唾を飲んで、その場に硬直していた。魔力を感じる事のできるものならば、何の事はない。その場に現れた人物が誰かなど、直ぐに察する事ができたからだ。
それは、ほかでもない。彼ら、魔族の帝国のその頂点に君臨する、幼君、かれらの皇帝に他ならなかったからだ。
「まさか、ここで本物がくるとはな……」
「しかし、あの番犬が出てきた以上、予想のつかない範囲ではないでしょう。おそらく、枢密院の嫌がらせですね」
いまや、完全にその口を開いた無力な門を睨めつく様に、決して現れた幼き皇帝を直視しない様に、2人の老人は愚痴を言いあった。
「これは――皇帝陛下……」
「言い訳は良い、全て枢密院の者から聞いた」
むなしく、その言葉を虚空に投げ捨てたのはだれの声か。幼なき君の歩みは止まらず、その歩みと共に老人たちは見えない壁にぶつかったように、皇帝から距離をおく。
自動的に、皇帝の前には道が出来る。この、宮殿のなかでも最も巨大な空間のなかで、それが狭く感じる程に集まった人々が、ただ、自分たちの胸ほども無い幼き皇帝に道をあけるその様は、老人たちの皇帝への畏怖を目に見える形でそこに顕現せしめていた。
誰にも阻害されず、ただひたすらに小さな歩幅で彼がまっすぐに向かうもとは、彼のかつての後見人であった人物オズ・シュテルン・オルゴルスのもとだった。
「……どういう、つもりだ?」
皇帝の、握ればへしおれるのでは無いかと思わせるほどの華奢な喉から、幼児特有の甲高い声が問いかけを放つ。
対する、白髪まじりの金の毛髪を持った初老の男性は、燃ゆる山吹の瞳になにか、言い表す事のできない感情を込めたように、皇帝を見下ろす。
彼は、いや、この大広間にあった全ての者は、けしてこの幼な皇帝に膝をおる事は無い。
それが、僅か8年前に生を受けた皇帝への、自分たちの吟味にして、復讐であったからだ。
「…………」
“我もものいわず、かれもいふことなし”
「……なぜ、吾の許可なく、元老院議員の収集を行なった。膨大な魔力を一箇所にとどめてはならないと言ったのはおまえだろう」
皇帝の目が、なにかにほそまる。おくぼそまったその瞳に輝く色は紛れもなく純金色であり、後ろで結ばれた皇帝の長い金の髪との調和を、ただ、細めたその行為だけで見出していた。
「吾は、おまえたちが集まっているなんてことは、始めて知った……」
「我々は、陛下を煩わせる事の無いようにと、おもいまして」
大きな空洞のようなこの空間にこだまする2人の声が、より虚しさを強調していた。
「それに、約2ヶ月後には陛下の九歳の御誕生日では御座いませんか、その時には西の姫御子様も帝都の至聖所にて、御身の御生誕を行うのです。我らはその打ち合わせを……」
「へたな言い訳は良い、さっきもいっけど、全部、枢密院のものに聞いた。……勇者が、召喚されたんだな」
皇帝の一言に、一挙に騒然とした緊張がはしる、みな、思う事は同じ。元老院と永きにわたり対立と政戦を繰り返して来た枢密院。その行いへの憤りである。
かれらの総意の代弁者として、対峙する老人が口を開いた瞬間……!
「……ね、ねえ、サウル。なんか、お取り込み中じゃない?」
「気にするな、いつもこんなんだよ、とくに元老院の方はな」
再び、魔力の塊が現れた。