53話 戦友、或いは再開
今回は、久々に魔蔵くん達が登場します。ゴーレムが全員揃うのって、初めてなんじゃあ無いかなぁと思います。
帝都より僅かに西に位置する、清涼な魔力の立ち込める深き森、その、唐突に降り始めた霧雨に打たれて、背の高い樹々にもたれかかりながら、荒い呼吸を繰り返す少年がいた。
鬱蒼と立ち並ぶ黒い森の最新部で、繁茂した雑草に埋もれるようにしてその少年は苦しげな呼吸を繰り返していた。
微かに開かれた瞳から零れた光に、ちろちろと燻る悔恨の念がみて取れた。動かぬ四肢を苛立ちを隠さないで大きく投げ出していた。
幼く、細い足を水滴が舐めるようにはっていく。
少年は自嘲的に唇を僅かに歪め、荒い呼吸もそのまま、吐き捨てるように天に呟いた。
「……全く、ご主人サマもやってくれるよ。こんなタイミングであの呪われた魔術を使うんだもんな……」
少年の蒼白過ぎる顔の中に、場違いに輝く二つの色違いの双眸は、しかしそれでも深すぎる諦観の彩りを瞳孔ににじませていた。
少年は、再び大きく胸から空気を追い出すと、同時に気力をも追放するようにその体が小さく萎える。
顔色はより青白くなり、瞼がゆっくりと、僅かに痙攣するばかりで、ゆっくりと降りてくる。
そして、少年の瞼が完全に降り切るかといった瞬間。
彼の横たわる森より更に深淵の暗がりから、彼の名前を呼ぶ声が幽かだがはっきりと響いた。
その雨垂れに消え入りそうな声音の様子に一瞬、少年の瞼が重力に逆らった。
がしかし、再び1秒と待たず瞼がその歩を進める。
だが、また再度、よりはっきりと、大きな声がさっきよりも近くから聞こえて来た。
またもう一度の刹那、少年の瞼の動きが止まる。
だんだん、少年を呼ぶ声は大きく近くなり、その間隙も少なく成ってくる。
その声の主に呼応するかのように、少年の瞼は徐々に力を取り戻し、右の紅の瞳には、再び石炭の如き輝きが戻りつつあった。
「おいっ……! 魔蔵!」
彼を呼んでいた声の主の正体は、彼の弟分にあたり、この度の土の魔道書の継承権を持つゴーレム、グラスホッパーであった。
濃霧を切り裂いて現れた青年を目に捉え、ほんの些少ながら色を取り戻した魔蔵の顔に、力のない微笑が浮かんだ。
再び、浅いながらも小さな呼吸を取り戻した魔蔵が、僅かに唇を尖らせると、微笑みを崩すことなく、非難じみた調子で言った。
「――遅いよ」
まなじりを下げたまま告げられる言葉に本気は感じられなかった。その調子を受け取ったまま、彼を迎えに来た青年は返した。
「仕方が無いだろう、コレでも森中探したつもりだ」
青年はつとめて平静に言って見せるが、しかしその眸には隠しきれない不安そうな闇が見え隠れしていた。
「ところで……一体、この不安定な魔力はなんだ? ――酷く、嫌な気持ちになる」
言葉通り、暗澹とした心を隠すこと無く、彼の兄にして師である魔蔵に問いかける。
彼の周りには、今にも崩れ落ちそうなほど揺らめく、小さな魔力がまとわりついていた。
しかし、それは彼にばかりでは無く、魔蔵をはじめとするこの世界に存在する生命体。否、世界そのものが、爪先から頭髪の末端まで、粘液を思わす魔力に包まれていた。
青年の言葉に突き刺されたように魔蔵の表情が歪む。紅蓮に燃える瞳の隣、翡翠の虹彩を宿した眸に悪意なき憎悪の炎が、揺らめいた。
その幽かな炎は頼りなく、だが、きたる嵐の前にも決して失われじと、決意の篭った灯火であった。
少年の口が苦しげに歪むが、その頬に変わらず皮肉げな笑みを貼り付け、震える声で返答を返した。
「『寂光浄土』……世界の終末の呪文さ。術者を中心に、広範囲の物質を魔力に変換する呪われた魔術……魔力に変換される範囲は場所によるけど……――今回はその場所が悪かった」
一呼吸としておかずまくしたてられた魔蔵の言葉に、青年は瞠目する。
それはまさに自分たちの存在をも脅かす魔道の術だからだ。何を考えて彼らの主であるきよとがその呪われた魔術を使ったのか、到底理解が及びつかないと言う顔をしている。
グラスホッパーの驚愕を絵に書いた様な顔に、ふと表情を和らげる魔蔵。先ほどまでの自嘲的な笑みでも、歪んだ皮肉げな顔でもない。自然と綻ぶような笑顔だった。
しかし、その淡い破顔はあまりにもこの場に似つかわしくない雰囲気を持ち、再び襲い来る絶望の波に押し流されかける。
だが、その笑顔は淡白ながら決して枯れては居ない希望への防波堤だった。魔蔵はその希望の灯火を決して消すまいと、つとめて笑顔で有り続けた。
魔蔵の放つ空気にのまれたのか、或いはその希望に感化されたのか、グラスホッパーの硬く閉ざされた頬も柔らかくつり上がった。
「で、その場所ってのは……?」
刹那、魔蔵の表情が悲しく歪んだ。
言いたくない、或いは認めたくないと、駄々をこねる子供の様な容貌に、だが、その顔の下に隠れる感情は生易しい物ではなく、黒々と輝く――絶望。
魔蔵は、一瞬、悲しげに目を伏せるが、一転して再び笑顔を貼り付け、グラスホッパーを見上げた。
「シュテルン家の最奥……星の名を継ぐ一族の最後の祭壇『星の間』さ……」
当時に、グラスホッパーも、息を呑み、目を大きく見開いた。彼自身、その言葉の言わんとする言葉が大きく理解できたようである。
「……まさか、霊脈か!」
グラスホッパーの驚きに満ちた怒声が、深い木々の合間を木霊する。
その大声に、僅かに顔を顰めた魔蔵が、小さく悪態をつきながら首肯を返すと、グラスホッパーは、呆然とし、虚空をにらんだ。
「つまり、そしたらオレ等の作り主の魔力は、霊脈を通って――」
「そう……全世界にばらまかれる、てことさ。遅かれ早いかれの違いはあれど、この世界は今に――魔力に還元される」
グラスホッパーの言葉を受け継ぐ様に、魔蔵が返すと……――
「やっと見つけた」
木と木の間にある薄暗がりから、ぼんやりと、間の抜けた声が響いた。魔蔵とグラスホッパーは当時に振り向く。
暗がりの奥からは、ゆっくりと、緩慢に枯れ枝と落ち葉を踏む音が近づいてくる。
しかも、その音は1人だけのものではなく、木々の残骸を粉砕する乾いた音が、幾つか重なって聞こえてくる。
グラスホッパーは自然と身構えた。魔蔵も力なく横たわるが、眼光鋭く、音の聞こえる虚空を睨みつけて居た。
その乾いた音が、遂に光に照らされたと思った瞬間――
「まくら! ケガしたの?!」
真っ先に飛び込んで来たのは、梢の合間から幽かな木漏れ日に照らさる、薄い色彩の茶髪だった。
そして、左目に紅蓮の焔を宿した瞳を持ち、魔蔵以上に幼い印象を与える少年……土蔵だった。
力無く横たわる魔蔵にすがりつく様に、飛びつき、不安そうに揺れる翡翠の目で魔蔵を見上げた。
しかし、魔蔵は突然の出来事にも関わらず、飛びつき不安そうに抱きつく彼の分身の柔らかな髪を、優しくすいた。
「……全く、僕としたことが、土蔵の気配まで読めなくなっているだなんてね……情けないこと、この上ないよ」
悲しげに、また情けなさげに嘆息する魔蔵に、更に追撃をかける土蔵は口を挟む。
「おれだけじゃなくてパピヨンも来てるよ! それでグラスホッパーとまくらに会いに来たんだ!」
抱きつく腕はそのままに顔だけを上げて半ば講義する様に唇を尖らせる土蔵。
その言葉に大きく目を見張り、大きく首を伸ばすと森の薄暗がりの中に目を凝らす。
そこには確かに、幽鬼の灯火さながら、銀の仮面に幽かに光を反射しながらこちらへ歩いてくる長身の若者の姿が確認できた。
枯葉を粉砕する多重奏を奏でて居たもう一人は彼である様だった。
「さすが土蔵様……魔蔵様の気配をここまで短期間で探されるとは」
重みのない言葉と共に軽やかに現れたのは、本の数刻前、その土蔵の手にかかり弟を喪ったゴーレム――パピヨン。しかし、その言葉の中には怨嗟も憎悪も見受けられず、ただ、言葉通りに土蔵を賞賛する色合いが有った。
「――真っ直ぐ現れたにしては、登場するのが遅過ぎないか……?」
これまで沈黙を貫いて居たグラスホッパーが語気も強く問い詰めるか、その詰問すら、そよ風のごとく受け流すパピヨン。
その様子を、土蔵が笑みを堪えきれぬという体で眺めている。
「フフッ……なに、城の方まで行って来て漸く見つけたんですからね……それに、彼等も――」
その言葉と同時に、木々の間に降りた暗黒の帳の合間から、人影が現れた。
初めに現れたのは中肉中背の天真爛漫然とした少年と、その少年を庇護するかの様に燃え輝く、炎の精霊……そして、その2人に引き続く様に、涼しげな瞳に聡明そうな光を灯し、口を凛々しく真一文に引き結んだ、責任感の強そうな青年――と、その青年にくっついたままあどけない寝顔を晒す空気の精霊。
……最後に、色素の薄いながら、その双眸に強い意思の光を宿し、青白い肌に、それでもこれでもかと熱を持つ少女と、彼女に仕えるごとく、背後に幽霊の様に光る水の精霊……。
己の意思に反し、それでも、この世界の為、召喚され、戦う3人の勇者と、彼等と契約した魔道書の精霊たちであった。




