46話 愚兄、或いは愚弟
「始めまして、弟よ」
紳士的な振る舞いで礼をとる目の前のゴーレム……パピヨン。
顔の上半分を覆う純銀のマスクのせいで表情はまったく読み取れない……ただ、口元の胡散臭い冷笑だけが、パピヨンの見せる唯一の感情だった。
「……今更、その弟になんのようだよ、兄貴」
きよととの一瞬の攻防以上の緊迫感が、2人の間に流れ、人間と精霊達はただ後ろから見守ることしかできなかった。
グラスホッパーの放った皮肉にも、ただ鼻を鳴らすだけで答えるパピヨン。それ以上の会話がなくなり、グラスホッパーが拳を握った、その瞬間。
「お前は、自分が何故造られたか、ということを考えたことがあるか?」
相変わらず張り付いた様な微笑みを浮かべるパピヨンから、意図の読めない言葉が放たれた。
その言葉に、硬く握られたグラスホッパーの拳が弛緩して行く。
「造られた……意味、だと?」
「そう。その通りだ……我々は魔術で造られた土人形である以上、必ず、造り主により造られた意味……存在理由が与えられる」
気がつけば、パピヨンの顔からは命を感じさせない冷笑は消え去り、代わりに、寧ろ生命を帯び湛えた無表情が広がっていた。
その変化に、狼狽え、かすかに身じろぎをするグラスホッパー。
しかし、彼の動揺などまるで気にすることなく、彼はそのまま口を開き続ける。
「そして私は確信した……私が造られた理由、私の存在するわけとは、今この時の為にあったのだとな」
パピヨンが喋り終えたその瞬間、パピヨンの全身から恐ろしいまでの殺気が溢れ出た。
「お前たちを倒すことは叶わない、だが、主が事を成すまでの足止めくらいにはなるだろうな」
溢れ出した殺気は魔力となり、その魔力は周りの土を巻き込んで、徐々に形を成していった。
パピヨンの背中に薄く、しかし大きく広がるその姿は、その名の通り、巨大で優雅な一匹の蝶の 翅へと変貌していた。
「我が、唯一の魔導『プシュケ』命にかえて貴様らをつぶそう」
「……こいつぁ、やべーな」
オレは努めて誰にも聞こえないように弱音をはいた。
正直、怖くてたまんねえ……それどころか、さっきから冷や汗が流れて止まらないほどだ。
こいつは、土塊が生き物として活動できるための魔力も全て、『プシュケ 』とかいう魔術に回している。
もしあのまま、パピヨンがあの魔術を維持し続けるようだったら、文字通り、あいつは死ぬ……ただの塵に還ることだろう。
と、いってもそれはそんなすぐに訪れてくれることじゃなさそうだった。
最低でもあと1時間……ヤツはそれだけの魔力を内蔵している。
「っち、こっちにはそわな余裕ねぇんだよ……!」
オレは、目の前で土で出来た蝶々の翅をひろげて浮かびたつパピヨンに目をむけ、それから、オレの隣ですっかり臨戦態勢に入っている火の勇者コンビに目を向けた。
くそったれが……方法は、これだけかよ。
「おい、タケル……お前、オレ以外で良い、全員つれて、飛べるか?」
オレの言葉に真っ先にくってかかったのはタケルではなくて竜登の方だった。
「お、おい! それどういうことだよ、アイツとたたかわねーのかよ!?」
オレが、このバカにどうオレの作戦を説明しようかと思ったその時、竜登に一喝をくれてやったのは、なんと精霊の“ラキ”だった。
「ばかっ! そんな暇ないでしょ! 一刻も早くカタリナちゃんを迎えに行かなきゃ!」
「その通りだ、竜登……だが、いいのかグラスホッパー?」
“ラキ”とタケルに連続で諭され、反論を封じられた竜登。
すかさず、タケルがからにもなくオレに心配そうな視線をよこしてきた。
その視線に、不意になんでもなく、安心してしまい、無意識に口角がゆるんだ。
「心配するな、お前たちはカタリナを攫ったあの魔道士の事だけを考えればいい……オレは、すぐに追いつく」
「でもっ……!」
なおも反論を挟もうとしたのはタケル以上に不安を目に宿した竜登だった。好戦的な何時もの性格からは考えれないほど殊勝にうなだれている。
オレは、その竜登の続く言葉を、こいつの肩に手をおくことで強制的に黙らせた。
これ以上こいつらをここにとどまらせるわけにはいかない。オレの、直感がさせた最後の手段だった。
「いいから、行け! お前らが止めないと、たぶん!恐ろしいことが起きる……!」
オレの真剣さが伝わったのか、迷いに揺れていた目に、覚悟の炎が宿ると、ようやく、竜登らしい険しすぎない笑い顔をオレに見せてきた。
「っ……! わかった! 絶対戻ってこいよ、グラスホッパー! そんで、絶対一緒にてめーのツクリヌシってやつをぶん殴ってやれ!」
タケルの魔術が秘密裏に働き、僅かな風がオレの前髪を震わせる中、竜登がオレも一回り小さな手で握りこぶしを作ると、オレに向けて投げ出してきた。
一瞬、どういうことかわからなかったが、すぐに思い出した。たしかこれは竜登の世界でのポピュラーな誓いの儀式だ。
オレも、竜登のはじけるようなえがおには釣られて自然と全力の笑みを浮かべると、竜登の突き出した拳にオレの拳を重ね合わせた。
「おうっ!」
その瞬間、竜登やタケル、ルチアを取り巻いていた風圧が最大限に達して、勇者達が空を飛んだ。
よし……あのスピードならば、そう時間を掛けることなく造り主の元へたどり着けるだろう。
しかし……
「お前、いいのかよ、あいつら追わなくて……? まあ、そうなったならオレは全力で邪魔させてもらうけどな……」
そう。まるでオレたち全員、ここを通さないと言わんばかりの態度だったのに対し、こいつはまったく……それこそ、指の一本たりと動かしてはいなかった。
巨大な土の鱗粉わ背負って僅かに宙に浮くパピヨンからは、言いようのない圧力がほとばしり出ていた。
「……なに、最初から、私の目当てはお前だったんだよ……グラスホッパー」
「なに?」
「何故、お前が主様の定めた時による[後継者]なのか……この私が、納得が行くよう、魔力のぶつかり合いをしようじゃないか!」
次の瞬間。単純な風圧ではない、ただの土煙が、オレの身をさかんと、カマイタチの様に襲いかかってきた。
「っ……!?」
とっさに、横たおれに成って土の真空をかわすが、回避の間に合わなかった右足が、深く刻ませる。
「ぐっ……ぁ!」
切りつけられた瞬間はきがつかなかったが、体勢を立て直す為に立て膝をついた瞬間、燃えるような激痛が走った。
そのまま、一瞬行動が制限され、追撃えの防御が間に合わず、次は、敢えて急所を外されたのだろう産土のカマイタチが、オレの手足を致命傷にならない程度に切り刻んで行った。
「ッグ……ああぁぁぁ‼︎」
耐えきれず、仰向けに倒れるオレの体から、命の一緒に紛い物の赤い血が一緒に流れ出て行く。
穴の開いた風船の様に、切り刻まれた傷口から魔力が抜け出て行く。
「ぐ……っく!」
なんとか体を動かそうとしたが、指先ばかりが力なく僅かに動くだけで、まるで力が入らない。
そんなオレの手を踏みつける様に、パピヨンがオレの指先に降り立った。
ねちっこくオレの爪を蹂躙する程、グリグリとつま先でいたぶってくる。
「無様だな……」
「っるせぇ……」
潰れかけた喉からでた悪態はひどく掠れていて、まったく意味をなさない。
「ふっ……それが自らしんがりを買って出た者の姿か……期待はずれもいいところだ、やはり[後継者]は私かマンティスであるべきだな」
前半はオレの事を蔑むように吐き捨てたが、後半はまるで独り言の様に呟かれ、既にパピヨンのつま先には力が込められていなかった。
ちゃんす……ってやつか、これは……
幸いにもパピヨンは油断――どころか既にオレは死んだぐらいに考えているかも知れない。
と、そんな甘い考えが脳を過った瞬間だった。
再び、突然にも足蹴りにされ、仰向けにされると、抗議する前に髪を掴まれ上体を無理やり起こされた。
急所は外されているとはいえ、ズタズタにされた四肢の傷口が塩を塗られたようにいたむ。
「っぐぁ……!」
しかし、傷口の痛みに呻くなど、次に起こったことにくらべれば生易しいものだった。
パピヨンの顔がぬっと、オレの首筋に埋もれ、ほぼ密着した状態になると、パピヨンが耳元でそっと呟いた。
「じゃ、頂くよ……お前の[後継者]の証」
次の瞬間……
パピヨンの両手がオレの頭と肩とにあてがわれ、無理やり首筋を露わにひらかれると、その首筋をパピヨンがそっと、舐めてきた。
「へぇ……いい味、汗と……血、そして魔力の溶け込んだ生命の味だ……」
傷口の痛みすら忘れるほどの悪寒が背筋を貫き、動かない体の代わりに全力の怒号が抵抗した。
「ッア! て、てめぇやめろ! 気色わるい!」
しかし、パピヨンはオレの言葉などまるで意に介すことなく、再びオレの首筋を口を近づけると、そして……
これでもか、という程の顎の力を込めてオレの首へと噛み付いてきた。
通っている血管の幾つかに穴が開いた感触がした瞬間、生命、魔力を含めたオレの偽物の血液がパピヨンに吸われていく事を感じた。
「て……めぇ」
生命が急激に吸収されている悪寒に、震える唇で吐き捨てると、目のはしで唇だけ笑みの形に歪めたやつの表情がちらりとうつった。