44話 忌火、或いは再会
「……土蔵、うまくやってくれたみたいだね」」
帝都、西の森にて1人の少年の声が森閑とした木々の中にこだました。
清涼な空気が少年を取り巻くなか、彼は紅蓮の右眼に宿る光を一層強いものにした。
一瞬、時間がとまったかと錯覚するほどに、音が……空気の流れすらも聞こえぬほどに静まり返ると、おもむろにに少年は、力の抜け切った右腕を肩の高さまで持ち上げた。
その口元はどこかしら苦しげにゆがんでいたが、赤と緑の瞳は、それ以上の恍惚に濡れきらめいていた。
「ポイントは、ここで正しいはず……サウルちゃんがこじ開けた[世界の穴]……」
少年のもともと健康的とは言えなかった仄白い肌からさらに血の気が失せ、今や石膏の様に張り詰めた顔に、冷や汗が浮かぶ。
少年は自嘲気味に唇をゆがませると、滞空させた右手にさらなる力を込めた。
彼を取り巻き渦巻く空気の流れが生まれ変わったのはその瞬間でもあった。
森々の神聖なる空気を打ち震わんとする轟音とも暴風ともつかぬ荒くるう大いなる流れが、木々の根につもる枯葉を、次に幹を、最後にその木々の梢を大きく揺らしながら、吹き抜けたのだ。
それは正しく少年を中心に起こり、よくよく見れば、その彼を中心に、先ほどの嵐が如く貫流に吹き払われた大地に、怪しげな光を放つ幾何学の円が生じていた。
その空間のねじれとしか形容できない平面にして立体の魔法円は、此方の空気を飲み込みながら彼方の空気をこちらに押し出しているようであった。
それをみて満足げに口角を上げる少年。
その細い身体からは次第に力が抜けて行き、時の流れそのものが進むことを拒むように、ゆっくり、ゆっくりと彼は膝をおった。
そして、その小さな身体は、まるで羽毛のように、柔らかく、その存在に重みがないかのように、魔法円の中心に倒れこんだ。
「……ご帰還の準備は出来ました……後は、パピヨンかマンティスが」
虚ろな言葉を誰にもなく呟き、少年は瞼を閉じた。
「……どうかなさりましたか?」
「……いいや、なんでもないよ」
はるか彼方に見える皇宮を見据えながら、三日 浄土は尋ねてきた女性に言葉を濁した。
(でも確かに……何かは感じた)
浄土とそれに同伴する女性……人の国の王の娘であり、紫の瞳をもつ王女カタリナは、今まさに、帝都へと向かう旅路に終止符を打とうとしていた。
きよとにより拉致された当初は怒りを露わに隠そうともしていなかったカタリナではあったが、人間の国と魔族の帝国との教会を越えたあたりから、諦めたのか、きよとにたいするその態度は幾分か軟化したようだった。
今もまた、唐突にあらぬ方向へと視線を向かわるきよとに対し、心からの配慮の声を掛けていた。
しかし、彼女はまだ完全にきよとに心を許しているわけではなかった。彼女の当初から変わらぬ強情な態度はきよとのかねて予定していた日程を大きく下回る遠因ともなっていた。
その彼女のぶれぬ態度は、彼女自身が、なんらかの理由で彼に利用されているのであろう事が理解されているからでもあった。
そして、もうひとつ。
彼女の心の支えとして、彼女の信頼すべき仲間たち、勇者の存在……特に、火の勇者である少年があった。
彼女が最後にみた彼らはいま目の前で歩く彼らと良く似た肌の色の少年に石にされてしまったが、彼らの魔力も折り紙付きである。
きっと今にあの窮地を脱して自分を助けに来てくれる。
それがたとえどんなに遅くてもいい。
彼女はそんなことを考え、彼女にとってあまりに憎い彼らと良く似た魔道士の少年と付き添ってきた。
そして、その時は、彼女が考える以上に早く訪れた。
ほんのつい先ほどまで、彼女ら以外、土の踏む音は聞こえなかったというのに、後ろから複数の足音がすると同時に、彼の前を行く少年が後ろを振り向いた。
それにつられ、少女が後ろを振り向く。
その瞬間。
「――オイ! テメェ‼︎」
彼女にとってあまりに懐かしい。聞き覚えのある声と姿が、網膜に焼き移される。
「りゅ……――」
彼女の言葉が詰まるとほぼ同時に、彼女等を追ってきた声の主の手から、激しい炎が立ち上った。
その炎は、このまま進めば、彼女だけはそれ、彼女を襲った魔導師だけを焼き尽くすコースだった。
にもかかわらず、彼女の前で静かにことの流れを傍観していた魔導師は、なんの躊躇いもなく、カタリナの長く美しい髪の毛を力一杯に引っ張り、己の盾とした。
カタリナの顔に恐怖が広がり、魔導師の口元には加虐の笑みが浮かんでいた。
おれの放った炎がまっすぐいけすかねえ魔導師に向かっていく。
そう思った瞬間だった。
「ッ……――リュウト! だめ!」
聖都を出て、より絆の深まったパートナーの精霊、“ナギ”の切羽詰まった声が耳に届き、俺の目にも驚きの光景が広がった。
なんとその魔導師は、躊躇いもなくカタリナを盾にしやがった。
恐怖で歪むカタリナ顔におれの放った炎か迫る!
このままでは、確実にカタリナを焼き殺してしまう。
「っ…あ――ダメだ! まにあわねぇ!」
おれの心に、深い絶望の影がさした瞬間。
そんなおれの目の前で、炎がかき消された。