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41話 巫女、或いは光明


 今、オレ達は、おそらくここ世界が始まって以来、最も美しい建造物の前に立っている。


 一つの大理石からくりぬかれたように切れ目もなく、日の光を浴びて仄白く光を受け、城壁にとまった鳥でさえ、高貴に見える。全体からは薔薇の香りがしてくるので、おそらくはこの城壁の内部に巨大な薔薇園があるのだろう。ただ一瞬、大理石に触れた指先は、直にその冷たさを感じ、やはり此処が凡夫が立ち寄る様な場所で無いことを指し示している。


 ただ、全体的に白いとしか形容の許されないそれは、誠の神殿であった。煌びやかな装飾もなく、守護兵の姿すらもない。此処が、数百年に渡ってヒトと魔との争いの中心となったとはとても信じられなかった。


 「すっげぇ……これが、『聖都』かぁ……」


 傍に立つ竜登が、ポカンと口を開き、惚けた様に感嘆の声をあげた。よく見れば、俺の後ろの方でも、タケルやルチアすらもその驚きで瞠目をきしていた。無防備に晒されたその顔は、生まれて初めて蜻蛉を見る赤子のようであり、何処か保護欲をそそるものがあった。


 しかし、対象的に彼等と契約した精霊達は、この神殿をにらめつけんばかりに鋭い目付きで、聖なる都の開城門を凝視している。


 時刻は日の光が登頂からやや王都側へと沈み、徐々に空が茜に色づいてきた夕暮れ、聖都の白亜の壁を濡らす光もそれに応じて蜂蜜色へと変わってゆく。


 そして刹那。聖都から解放されている扉の内から、あまりに強い一陣の風が吹き付け、これまで柔らかく薫っていた薔薇の香りが、鼻に付く濃厚な芳香の波となり襲った。



 思わず目を固く閉じさせた一瞬の香りと肌を刺す冷たい風が通り過ぎたかと思い、うっすらと開いたその目の先に、長身痩躯の壮年の男がオレ達を待ち構えていた。


 その男の服装は、この世界では特別珍しくのない質素な神官服のようであったが、如何せん、その男の顔は如何にも事務的なる様相を呈しているので神官服ですら、どこか硬質な役人を思わせる。しかも、男の萌黄色の眼は眼光鋭くどこまでも冷徹で、引き結ばれた血色の悪い唇も、青白い顔とともに、男に生きている印象を与えず、冷たい石像のようにすら錯覚させる。


 その細すぎると様しても過言ではない体つきに似つかわしくないほどの長身から、まるで灯台の火の如く、オレ達を見下ろしていた。


 ひょろりと法衣の先から伸びた細い手と指先を、幽鬼の様にうっすらとこちらへと伸ばし、男は、掠れているが力の有る声を、オレ達にかけてきた。



 乾いた唇が無理やりにこじ開けられ、水気のないどこまでも感情のこもっていない声だ。


 「……勇者様と、そのお供の方。お待ちしておりました。この度の事は巫女姫様がかねてより予言されていたとおり、我々一同、勇者様のご来訪を心より歓迎いたします」


 抑揚も色もない声が一方的にそう告げると、青白い顔を法衣に覆い隠した男は、オレ達に背を向け、薔薇の香りが漂うもんの中へと進んで行った。


 「……ついてこいって、ことか?」


 訝しげで慎重そうな声が背中から聞こえる。覚えず後ろを振り向くと、眉を不快げに釣り上げたタケルが唇を尖らせていた。確かに、一方的に事を告げ、ついてこいと言わんばかりの態度をとるあの男は不愉快だろうが、3人の勇者の中では最も大人らしい言動をとるタケルでさえも、こうも幼い顔をするのかと、少しおかしな気持ちになった。


 そして、今度は意外なところから声が上がった。


 「い、行きましょう……!」


 か細く蚊の鳴くような声様な声でありながらしかし、頬を上気させ、いかにもな出来事の前に興奮を隠しきれないでいるルチアだった。確かに、自身が契約する魔道書への期待もあることだろう。


 「……ああ、そうだな、見失うくらいならついて行くか」


 オレ達は、既に遠く小さく見えている細長い影に向かって足を早めた。








 「……皆様、ご存知ないかと思われますが、この宮殿、もとい巫女姫様のおわします神殿都市の至聖所は、元は人間が作り上げた大神殿で有ります」


 男は慇懃無礼な態度もそのままに、オレ達を聖都のなかへと導いていた。その中でも一際目をひく最も巨大な建物……大神殿だとか至聖所だとか言われてるこの世界で最も尊きところへとだ。



 路面には石ころ一つ落ちておらず、文明水準の高さを教えてくれるがしかし、帝都の様な華美さや重厚は皆無で、飾り気がなく質素、ここがあくまで俗物的な都市ではなく、祈るための都市であるのだと暗に示している。


 そして慇懃ではあるが不機嫌そうな態度に改善の見られない先ほどからの男からは、淡々とこの都市についての歴史的な説明が述べられていた。この都市の空気に当てられたか、それともこの男には特別な話術が有るのか、普段は喧しい竜登や精霊のラキまでも黙って男の言葉に耳を傾けていた。


 「かつて、人間が神々を崇め奉っていたこの都市も、130年前“紫瞳の獅子王”の没後に、我々が所有する物となりました。以後百年以上の永きに渡り、巫女姫の称号を戴く指導者が、この地を収めてまいりました」


 オレは男の説明もそこそこに、徐々に薔薇の芳香が強くなってきているのを感じてきた。


そして事実、男の歴史的説明は、核心に導かれるようにして、現代へと舞い戻っていた。


 「そして、先日今代の巫女姫様が、貴方方の招来を預言されたのです。しかし、巫女姫様は今年で9つに御成りになり、現皇帝の妃と成るべく先日、ここ聖都をお発ちになられました。そして城主なき今、留守を預かる私が、貴方方のお出迎えに馳せ参じたということでございます……無論、『水の魔道書(最後のグリモワール)』とともに」



 そして、男は言葉と同時に足を止めた。気づかぬうちに話の中に引き込まれていたオレも、覚えず顔を上げると、そこにはこれまでに見てきた教会のどれよりも素晴らしい神殿の白亜の壁がそそり立っていた。


 いつの間にかオレ達に振り返っえていた男は、恭しく一礼をとった。顔を上げるとそこには、何処か晴れやかな先ほどの堅い表情ではない男の顔があった。


 「『魔道書』とは、我々“知恵”なき魔族という民が、“善悪の拠り所”とした、魂の羅針盤。悪しき事、善き事、全てを知っております……どうか、慈悲の心を持って、お接しください……」


 そういって男は、どんな扉よりも重厚な樫の木の扉に手を掛けると、重く軋んだ音と共に、その扉を開いた。


 ステンドグラスを通した柔らかい光が、広大でただひとつの空間を柔らかく照らしている。その光の柱、天窓から直接降り注ぐ鮮やかに彩られた光の中心の中に、祈り、跪く少女がいるのが見て取れた。


 一瞬。彼女こそが先ほどから男の話に上っていた巫女姫なのではないかと訝しんだが、一歩進んで、自身の心の中に狼狽が走るのがわかった。彼女の体は透けているのだ。最初は、降り注ぐ光の加減かとも思ったが、しかし、彼女の体は明らかに透けていたのだ。存在感の希薄な身体から迸る微弱な魔力を感知し、オレは瞠目した。


 「っな……なんだ、あれは?」


 不覚にも口をついて出た驚嘆の言葉に、男が気を害した風もなく答えた。おそらく、オレからの言葉は半ば予想されていたものなのだろう。ただ淡々とした言葉が淀みなく発せられていた。


 「……あの方こそは、130年前の古来よりこの地を治められてきました、初代巫女姫様にして……今代の水の魔道書の精霊様にございます」


 

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