40話 収穫、或いは胸中
「……竜登くんたちは、もに着いたみたいだね、残念ながらぼくにも細かいところはわからないけれど」
ぼくは、わざとカタリナさんに聞こえるように独り言をつぶやいた。かたわらでは〈蹄〉が無い頭を振ってぼくの言葉に答える。
清涼な空気の満ちる森の中、土臭さが漂う冷たい腐葉土の上で、乾いた葉っぱを踏みつける音がした。
高い木々の梢から覗く透明な光が、ぼくの視線の先、真っ黒な長髪と、サウルやパピヨンの望む紫の瞳をもった少女を照らした。微かに踊る光の埃の中を、瞠目しながらこちらを振り向くカタリナ姫。
紫水晶だとか、アメジストだとか、とにかく宝石をおもわせんばかりにキラキラと輝く瞳がこちらを射抜く。やっぱり、竜登くんの事は気になるみたいだね。
白くほっそりとした手が躊躇いがちに此方に伸ばされ、時折光の柱の中を行ったり来たりを繰り返しているけど、胃を決した様に、ぼくに声をかけるカタリナ。
魔道書が、彼女の声を聞こえたことに喜びに打ち震えたような気がする。
「あの……! 竜登様が、聖都に到着したというのは、本当ですか?」
仄白い肌の顔に、一刷毛の朱を帯びて、ぼくに問うてくるカタリナ姫、ぼくに伸ばされた指は、行き場を無くした様に、中空で再び握り締められ、腰へと落とされる。
ぼくが、その質問に答えようか田舎を吟味するより早く、ぼくの作り出した土塊の乗り物の〈蹄〉が、カタリナ姫を慰めるように寄り添った。
数日前、森の手前の土で作り上げたぼくの使役する土塊、感情も温度も無い冷たい土塊の癖に、なぜかぼく以上に、カタリナ姫になついているみたい。彼女は魂のない存在にすら愛されている。冒しなことあったものだ。
「ありがとう……慰めてくれているのね、〈蹄〉
彼女は優しげに目を細めると同じく繊細な指先で、柔らかポープと呼ばれた〈蹄〉の土塊から作られたとは信じられない程滑らかな肌を撫ぜる。
慈悲深げに目尻を細め、紫の光が零れ落ちる。不思議な光だ。確かに、なんらかの不思議な力が宿っていても不思議ではないけれど、それでも何故サウルたちが彼女のその瞳の色に固執したかがぼくにはわからない。
今は確かに美しい光でも、あとあとどう転ぶかはわかったものじゃない。その、あまりに刹那的な光のために、マンティスがぼくに造反を企てていることも知っている。主たるぼくに、逆らわんとするほど、このアメジストの光は力ある光なのだろう。
「……1つ、良い事を教えてあげるとするなら、魔蔵と土蔵は彼らと一緒にはいないみたいだよ。それどころか、あの2人、ぼく等の方にすら向かってこないみたい……」
土蔵、魔蔵の気配は竜登くん達の気配よりもずっと明確に感じられる。ぼくの魂と一つになりつつある『穢土ノ祭祀書』が、その気配を教えてくれる。
土が、大地が、ぼくの体全体を通して、あるいは、ぼくが大地に溶けこむように、彼らのことがわかる。
彼らの気配が、ここから約2日ほどの距離にある帝国の上空へと飛び去って行ったかと思うと、急に、彼等の気配を見失った。
気がつけば、いつの間にか〈蹄〉から手を離していたカタリナ姫が、その手で、ぼくの腕を掴んでいた。どうやら彼女の仕業でぼくの魔力が遮断されたようだった。
「私は……知っています。魔蔵君が、本当は何を考えているのかを、貴方をどの様に救おうとしているのかを……しかし、その方法は、罪なき血の流れる、最悪の方法……もしも、収集をつけるとしても、それはきっと……」
彼女はそこまでいうと急に口をつぐんだ。さっきまでまっすぐにこちらを見据えていた紫の瞳は伏せられ、ぼくを掴んでいた指先も今は力なく肌に触れるだけ。
そうした彼女の様子を眺めるぼくの頭の中には、彼女の言葉が反芻されていた。
魔蔵が行おうとしている事の真意。
しかし、その魔蔵の行動には無垢なる流血が伴う。
簡単には収集はつかない。
しかし、ぼくにとってはそんなことは些事に過ぎなかった。少なくとも今は、魔蔵が何を行おうとしているかは問題ではなくて、今は、彼女……カタリナ姫を無事な形でサウルに届けることにある。
ぼくは、不安げに顔を伏せるお姫様に向かって、胸中の呟きを押し殺し、そう呟いた。