19話 肯定、或いは闘争
「孔雀は、死後もその肉体は土に還ることなく腐らず、地上に残り続けると信じられてきた……まあ、そんな事はあり得ないのだがな」
きよとが近衛騎士に任じられて数日、皇帝から呼び出され、話を聞かされる日々が続いていた。
皇帝は普段、元老院や枢密院の老狼たちの前では黙して語ること少なく、初めて彼が、静かに、しかし饒舌に語りはじめだ時は驚いたものだった。
しかし、それも幾つか前の話で有り、今ではすっかりとなれ、良き聞き役として徹し、皇帝のそばにいる事が多くなっていた。
「それは、皇帝の一族にも言えることだ、魔力量の多い死体も同じく腐敗速度は緩慢で、代々の皇帝陵の中にも、はるか大昔の皇帝の肉体が残っているらしい」
広い皇帝の部屋に指す光が濃く明るいものへと変わっていく、茜色に照らされた皇帝の横顔は、物憂げな様子で歪められる。
「もう、こんな時間なんだね……」
この日、皇帝が話し始めて以来、始めてきよとは口を開いた。
玉座から真っ直ぐに伸びる朱色の毛長の絨毯に足をつけぬ様に一歩足を引くと、皇帝に頭を下げるきよと。
「……別に、いいのに……」
悲しげにつぶやかれたその言葉に、きよとは笑顔で返す。
「僕に、その資格は……ないからね」
その笑顔も、寂しさと悲しさをわずかにたたえたながらきよとは静かに皇帝の寝室を後にした。
「よろしかったのですか? 主様」
皇帝の寝室から帰り出てきたきよとを待ち受けていたのは、彼の作り出したゴーレムのうちの一体だった。
「……パピヨン」
パピヨンと呼ばれたゴーレムはわずかに頭を下げ、敬意の念を示すと同時に、その顔を覆い隠してきた銀の仮面を取り払った。
「僭越ながら申し上げますが、このところ主様は痩せ、衰弱しているよう見受けられます。どうかこの後の枢密院での会議は私にお任せし、主様……グラスホッパーはおやすみください」
黒のトガが歪む事を物怖じせずその場で最高位の礼を捧げるパピヨン、しかし、そんな彼にさえ顔色一つかえることなく、きよとは微かな笑みを浮かべたまま言った。
「……いや、あの人たちはぼくを守ってくれてるんだから、ぼくがでないと、あの人たちに失礼だよ、それに、今回はサウルもこっちに来てくれるて行ったんだし」
そう言いはなち、その場にパピヨンを残したまま、きよとは枢密院の巣窟へと向かって行った。
「魔蔵……っ!」
火の勇者、竜登は困惑と憎悪を込めた目で、彼らの頭上に現れた土の魔物をにらめつけた。
その背中では水の勇者、ルチアが怯えた様に身を縮め、しかし毅然とした態度で、彼を支えていた。
「いいね、“憎しみ”が板についた眼になった、魔道書の精霊とも契約できたみたいだしね……キミは」
魔蔵の紅蓮の右目は、つい先ほどまで竜登と語らっていた赤銅の髪を持つ少女へと向けられる。その少女の双眸は奇しくも魔蔵と同じく、紅であった。
「……やはり、あの魔道書、貴様が送りつけてきた物かっ!」
その言葉にいち早く反応したのは、空の勇者、タケルだった、彼は寝具の側に置いてあった木刀を構え、真っ直ぐに魔蔵を見据える。
「……キミは、キミの目はまだ全然純粋だね、元々があまり綺麗じゃないから、りゅうと見たいに染まりやすくない……気に食わないんだよね、そういうニンゲンて」
タケルの言葉への返事なのだろうがしかし、内容をまるで伴わない言葉であり、何より、その目は害虫を見下ろすが如く冷徹なものだった。
「ッ……! 答えろ! 魔道書の精霊とはなんだっ!」
一瞬、その魔蔵の何物でもない瞳を向けられひるんだタケルであったが、またすぐに先ほど以上に力を込めて木刀を握りしめた。
その様をひどく面白そうに、先ほど以上に嘲笑を込めた、皮肉な笑みを浮かべる魔蔵。
「そう、その眼……! 焦りや恐れを含んだその眼……いいなぁ、早くしないとりゅうとに追い越されちゃうね、たけるクン」
再びタケルの瞳が動揺で揺れた瞬間、勇者達の影から飛び出す、新たな影があった。
「――だまれぇぇ!!」」
最初に勇者たちが捉えたのは細い腕だった、それは鋭く拳を握り、魔蔵の頬をとらえると、力の限り抉った。
遅れてついてくるのは流麗な赤銅の挑発で、白魚の如く滑らかな肌をくるぶしまで覆って隠している。
突然に繰り出された拳に部屋の壁に大きく穴を開け吹き飛ばされる魔蔵。
酷く埃が舞う中、魔蔵を殴り飛ばした張本人が床に降り立ち、勝気につり上がった眉と、それ以上に鋭い三白眼がもうもうと埃を舞いあげる穴をにらめつけていた。
「タケルを……私の仲間をバカにするなっ!」
幼さの残る表情とは裏腹に、炎の如く苛烈な少女はさけんだ。
「――っナギ!」
竜登が突然前に飛び出し、自分たちの敵を殴り飛ばした少女に向かって駆け寄り、護る様に抱きしめた。
少女の身長は大柄とは言えな竜登の胸ほどの高さしかなく、すっぽりと彼の体の中に包まれていた。
「馬鹿野郎、いきなり飛び出てくるんじゃねぇよ……」
「だって……仲間をバカにされて、黙ってられる程私だってお人好しじゃないのよ」
きよとは、諭す様にナギと呼ばれた少女を叱るが、少女はその言葉に耳を貸すことなく平然と言ってのけた。
そんな彼らのいつも通りのやりとりに、周りの2人が和んだ、そんな瞬間。
「なるほど、それがキミの精霊か、契約者に似て落ち着きも、裏も表もなさそうな子だね」
瞬間、もうもうと立ち込める煙の中から地を割るような声が響き、身を固くする勇者たち。
だが、ただ一人その言葉に動じたさない存在があった。
「……あんた、いったい何者なの?」
ナギと呼ばれた少女は奥することなく目の前をにらめつけ、巻き上がる埃の動向をにらめつける。
僅かな間隙を見逃さぬ程に目を見開き、その紅の瞳を炯々と輝かせる。
誰も、何も話さず、物音すら消え去った静寂か、本の僅か、刹那の時流れた。
だが、またそよ次の瞬間には、そこに立ち込めてていた埃は全て散り散りに拡散され、舞い上がり、姿を消したかと思うと、そこに居た少年はまるで何事もないかのように言ってのける。
「僕ラが、何者か、か……そんなことも想像がつかないとは、ニンゲンも落ちぶれたものだね」
微かに首を傾けながら、ヘテロクロミアの双眸に嘲笑を輝かせる魔蔵。
「……だけだ、そんな君ラの相手をするのは、僕じゃあないんだけどね……」
魔蔵が言い終わるかいなかの瞬間に、彼らが固まる宮殿の一室、その床が大きく震えることとなった。
地響きは、初めは小さなものだったが、しかし徐々に徐々に、大きく重い物音がしてきた。それはさながらはるか地面、土の底から死の軍勢が雄叫びをあげているが如く、畏怖嫌厭の思いが部屋を満たす。
「これは……?」
空の勇者の当然で当たり前の疑問の声が、皮肉をその微笑に湛え、彼らをはるかたかみから見下ろす魔蔵を除くすべての人間の感情を代弁していた。
そして、緊張と物音とが頂点に達した時、それは起こった。
まず最初にソレが姿を現したのは床下の、さらにそのしたからであった。
彼らの立つ足元が急にひび割れ始めたかと思うと、そのわずかな割れ目の中から、爪が、指が、腐り臭気をました腕が生え出てきた。
絹を割くような悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の如き様を醸し出した人間の勇者を嘲笑いながら叫んだ。
「さあ、闘いな、君ラも、土気色に、命尽きるまでっ!」