18話 再開、或いは謀略
初めに、土があった。土は数多くの物の礎と成った。土により石はなされ、石により岩はなされ、岩によって城はなされた。
土は、いたるところにあった。土のない場所など、あり得なかった。土は万地に積もり、大地の生命となった。
「“誦詠『まほろばの あへなしともの つわものの まがふひかごと きよらなり』」
魔族の国と人の国の境界線、あやふやに戦の絶えぬその場所に、一人の少年が立ち、古き言葉で詩を奏でていた。
少年の周りには血の平原が出来上がっており、大地をむごたらしく死体が飾っていた。
先に起きた国防死守のためによる戦いのためであった。少年は憎悪と忠誠の為に生命を落とした益荒男達の中を練り歩き、1人、また再び詩を紡ぐ……
「哀れなものだね、お互いが何故争っているか、その理由すら忘れて、己の一族の起源すら忘却して、ただ争い続けるだけだなんて」
陰惨な世界の中心に少年は立つと、嘲笑するように周りを眺めた。形すら残っていない、千切れた手足が血の海の中に沈む。だれのものかすら理解できない臓物が少年の足元についぞ転がる。
「ヒトによって紡がれた歴史を、ヒトが忘れ、ヒトによって作られた精霊が覚えているだけだなんて……皮肉なものだ」
血粉が風に舞い上がり、少年の白い肌を紅く染め上げる。
が、彼はその紅を特別気にとめる様子はまるでなく、大地に向けていた目を大空へと移し替えた。
この平原と同じ色をした右眼に、流れ行く白い雲が映る。
「ご主人サマを護る為に片付けなくてはならない勢力は、二つ。枢密院と……サウルちゃん、引いては元老院」
再び、風が吹き、柔らかな茶髪が揺れる。
「どちらにしても、魔族の帝国が滅びるのは必須……僕ラの創り主達を滅ぼしちゃうのは心苦しいけれど、ご主人サマは、この世界の因縁になんの関わりもない、禍根を残すようなことがあってはならない」
鋭く細められる二つの眼は、今だ空を見つめているが、しかし険しく睨んでいるのは、雲でも太陽でも、ましてや、空ですらない様子であった。
彼は、どこまでも虚ろであるが炯々と光らせる眼で、そっと呟いた。
「さぁ、立ち上がりな――与えられた、仮初めの生命が尽きるまで……」
瞬間、少年の足元の臓物が脈動した。
土が大地に生まれたあと、次に炎が生まれた。炎は多くのものを破壊する力であった。しかし、炎によってなされた破壊のあと、必ず生命が生まれた。
炎により焔はなされ、焔により業火はなされ、業火により太陽はなされた。
炎はどこにでもあった。炎はいたるところで燃えた。燃え広がったすべては灰燼となり、生命を運んだ。
「竜登! おきて! やばい事がおきてるわよ! タケル、あんたも!」
竜登は、寝ているさなかの怒号で唐突に目を覚ました。先ほどまで抱えていた百点満点のテストの用紙が霧散する。
「ンッ……なんだよ、ナギ」
今だ寝ぼけ眼の様であるが、しかし自分を起こしたものの正体など容易くつかめた。何故なら、彼と彼女は繋がっているのである。
「国境沿いに、大きな魔力の変動があったわ」
眉を険しく曇らせる少女の言葉に対し、なんだそんな事か取り合う気力の失せた竜登は再び頭を枕に沈める。
だが、一瞬して自身と魔力によってつながっている少女から怒りの気配が漏れ始めたため、再び顔を上げた。
「……どういう事なんだよ?」
竜登は口を開ければそのまま欠伸が出るのではないかと思われるほど寝ぼけた様子をしているが、思いのほか頭は鮮明のようで、彼が先ほどナギと読んだ赤銅の髪を持つ少女に眼を向けた。
「……国境沿いは、先月派遣された兵が向かった場所よ、それまではただ普通に“彼らの”魔力を追っていっただけ……でも――」
「大きな魔力変動……つまり、魔族の介入があったということか?」
少女が少年に肉薄し、言葉を続けようとしたその一瞬の間隙に鋭くも棘のない声色がわって入った。
2人は緩慢に声のした方向を振り返り、ぬるく、恐懼の含まれた眼差しで見送った。
そこにいたのは先ほどナギと呼ばれた少女に大声をもって起こされた少年の姿だった。
みるに、竜登と呼ばれた少年に比べ瞳は輝き、寝癖は整えられ、いましがた起きたとは到底信じられぬほど整った姿であった。
再び同じ声色で問うて始めて固まった2人は再び動きだした。
「え――えぇ……まあ、だいぶ離れているから確信は持てないけど……少なくとも、彼らの……生命は感じれないわ……」
沈痛な面持ちで告げられたそのこと墓に絶句する2人の少年。彼らの眼は驚きに見開かれ、文字通り言葉を失っているようであった。
「なっ……送られたのは人間の国々の精鋭の連合部隊だぞ……⁈」
はじめに言葉を取り戻したのはタケルと呼ばれた少年の方であったが、その声には先ほどの芯の通った様子はみられず、そればかりか音に刻まれた振動はありありと恐れを映し出していた。
今だ布団の上で体を横たえている少年もまた同じであった、だが、こちらの少年はタケルの様に震えるでも恐るでもなく、ただ、一つの決意を固めたように表情を引き締めているだけであった。
強く引き絞られた唇を、ややあって開く竜登。
「ナギ、そいつは……介入した魔力の持ち主はこっちに近づいて来てるのか?」
それは、形こそ質問のようであり、だがしかしその内側に溶けた真意は確か確信をもって聞く2人の耳に突き刺さった。
一瞬、竜登の投じた質問に対し、目を微かに見開き、動揺を表に出すナギと呼ばれた赤銅の髪を持つ少女だったが、直ぐに平静を取り戻し、つげる。
「えぇ……魔力の属性は“土”、かなり純度の高い、膨大な魔力……多分、かなり名うての魔導師ね」
ふってわいた沈黙がより3人の心を重い物にしてゆくが、そこで唐突に微かな声が響いた。
「あの……私、この魔力覚えがあります」
突然に聞こえた声に驚き、その声の方を振り返る三人、そこには扉の前で青い顔をして佇む水の勇者、ルチアがいた。
「本当か⁈ ルチア!」
瞠目して彼女を捉える竜登、その言葉に焦点の合わぬ目のまま、こかりとうなづく。
「……一体、だれなんだ?」
問いただす空の勇者に引き結んだ口を開き、浅く息を解くと、ルチアは告げた。
「……私たちが、始めてあった魔族の双子、魔蔵くんの方だと、おもう……」
この頃になるとルチアの顔は青白くなり、いまにも倒れそうなほどであった。
が、そんなルチアの言葉がおこした波紋はあまりに大きなものだった。
「っ……! まく、ら……」
衝撃に震える喉で竜登が呟いたその瞬間。
「なぁに、よんだかい? 火の勇者」
倨傲にして尊大な声が、彼らの頭上に降り注いだ。
「おや、土蔵様珍しいですな、主様も魔蔵様もお側におられぬとは」
その頃、魔族と呼ばれるものたちの帝国の、皇宮の片隅において、1人の少年に声をかける青年の姿があった。
突然に声をかけられた少年は驚いて目を見開き、その先ほど魔蔵と呼ばれた少年によく似た、しかし非常に微妙な点において細部の事なる繊細な美貌を振り向かせた。
「あ……まんてぃす、か」
一瞬見開かれた左右で異なる瞳は、その招待が知れるとすぐに常時の様に直り、退屈そうに口を開いた。
「魔蔵は、最後の仕上げに入ってるし、ご主人サマには今はぱぴよん がついてる」
大きく鼻から息を吐き出し、いかにも不満げに唇を尖らせる土蔵の様に、マンティスと呼ばれた青年は鷹揚にうなづいた。
「成る程、パピヨンがついたと言う事は、主様は枢密院の方へ……して、魔蔵様の……我らが長子の仕上げとは、いったい?」
微かに鋭さを増した言葉の雰囲気に対し、しってかしらずか、土蔵はそのままに返す。
「さぁ……ね、魔蔵の考えてる事は俺でも時々わかんなくなるよ」
穏やかな風が通り過ぎた。