ただいま、俺の日常
悊人氏の送迎で学園寮まで戻った俺は、へとへとになりながら懐かしの我が家(?)の扉を潜った。
帰り際、
「そう言えば取引の方は上手くいったのか?」
俺がお見合いまがいのことまでさせられた裏側で行われた取引内容について、質問してみる。
「そっちは問題なく進んだ。棗生くんの尊い犠牲は無駄にはしなかったぞ。安心したまえ」
「尊い犠牲って言うな」
まるで俺が死んだみたいじゃないか。
「開発部にS国の人間が居ることは知っていたけれど、まさか皇子本人だったとはね。驚いたよ」
悊人氏が書類を渡してくる。
そこには黒髪にブラウンのカラーコンタクトを嵌めたステアの写真が貼ってあった。
名前も『宮下孝治』などという別名になっている。
「驚いたことに彼は本当に優秀でね。開発部の人間は彼がS国の人間だということにすら気付いていない。完全に日本人として紛れ込んでいる。開発面でも相当に活躍しているみたいだ」
「へえ……」
本当になんでも出来るんだなぁ、あいつ。
嘘で塗り固められた経歴を眺めながら、やれやれと溜め息をつく。
この写真と経歴だけ見るなら、とてもとてもドSでドMなあの皇子の姿など想像も出来ない。
若くて才能があって将来性まである輝ける人材にしか見えないのがなんとも微妙な感じだ。
「素性がバレた以上彼は国に帰るかもしれないね。こちらとしては惜しい人材だけど、彼の立場だとこちらが無理を言って残って貰うのもむずかしい」
「……って、機密持ち出しはいいのかよ?」
データは持ち出せなくともステアの脳内には塔宮グループ開発部門の詳細が詰まりに詰まっているのだ。それを見過ごすのはいかがなものか。
「今回のレアメタル確保に較べたらその程度は安い代償だよ。彼が持ち出すデータだって、今後は彼一人でどうにかなるものでもないしね。彼が一人で完成させるよりもこちらの開発スタッフが完成させる方が早い。彼には人材を育てる時間も必要になるだろうからね」
「……なるほど」
組織としての強みがこういう部分で大きな差を生むわけだ。
「それはさておき、今回はお手柄だってね、棗生くん」
「お手柄も何も、強制的にお見合いもどきをさせたんじゃねえかよ。ふざけんな」
「はっはっは。いや、本当にお手柄なんだよ。レアメタルを使用した精密機器開発と販売は、グループの中でもかなりの割合を占めている。今回はその業績拡大面で大きな役割を果たしたんだよ、棗生くんは。これがどういうことか分かるかい?」
「……分かりたくねえ」
「つまりは精密機器部門に対してゆーちゃんが大きな発言権を持つことになったということだ。棗生くんの手柄はそのままゆーちゃんの手柄になるからね」
「って、俺の手柄はそのまま邑璃に流れるのかよ!?」
「問題あるかい? 君は当主争いに関してはゆーちゃんの味方なんだろう?」
「……そりゃそうだけど」
「これでこの先ゆーちゃんが当主争いの上で大きなイニシアチブを握ることになる。ステア皇子との人脈も出来上がったことだし、この先ゆーちゃんを後継者にする上でかなり有利に立てるだろうね」
「ふうん……」
「ゆーちゃん次第だけどね。理事長の仕事をこなしながらこちらも出来るようなら、任せようと思っている」
「……あいつ、死ぬな」
「もちろんサポート人材は用意する。だが最終的な決定権を持つのはゆーちゃんにしておきたい。あの子にもそろそろ本格的に経営責任というものを体感してもらいたいからね」
「怖いなぁ」
「もちろん棗生くんもサポートしてくれるんだろう?」
「卒業までならな……」
「ゆーちゃんも早く棗生くんを落としてくれればいいのに」
「そう簡単に落とされてたまるか」
「でも嫌いではないだろう?」
「そりゃあな」
「ならばあとは切っ掛け一つでどうにかなりそうなものなんだが……」
「そろそろ帰るぞ……」
嫌な予感がしてきたので車から降りて退散することにした。
妙な罠でも仕掛けられたらたまったものではない。
で、ようやく部屋の扉の前まで辿り着いた。
「ただいま~」
扉を開けると、
「なっちゃん!」
「ぐはっ!?」
いきなり邑璃が飛びついてきやがった。
なにすんじゃこいつわーっ!
「なっちゃん遅いよ! いくらパパりんの用事だからって連絡も取れないまま二日も空けるなんて!」
俺に抱きつきながら涙目で怒る邑璃。
「……重いぞ、邑璃」
「駄目! しばらくこうしてるの! なっちゃんに二日間も抱きついてないんだから思う存分いちゃいちゃするのっ!」
「………………」
どういう理屈だ。
「まあ……いいか……」
しかし先ほどまでハードボイルドっぽい経験をしてきた身としては、邑璃の気楽さが微笑ましく映るのも事実だった。
なんというか、日常に帰ってきた、みたいな。
「仕方ないから今日は一緒に寝てやる。だから今は離れろ」
「え?」
いつもは勝手に潜り込んできても追い出すのだが、思わぬ提案に表情を輝かせる邑璃。
俺が先に眠ると朝には勝手に潜り込んできたりするのだが、俺が寝る前から一緒に寝ることを了承するのはこれが初めてだ。
「ほ、ほんとに?」
「本当だ。だから離れろ。俺は今猛烈に疲れている。早く風呂に入って休みたい」
「うん! 分かった!」
よほど嬉しかったのか、邑璃はあっさりと離れてくれた。
「あ、でもお風呂湧かすからちょっと待ってて」
「あー、待つのも面倒だな。シャワーでいいや」
「そのくらい待とうよ!」
「いや。今日は本当に疲れてるんだ」
「何があったの?」
「……色々」
まさか悊人氏の命令で他国の皇子さまとお見合い&デートした挙げ句に、誘拐されたり殺されそうになったりしてきました。……なんて言えるわけないよなぁ。
「……怪しい」
じろ~っと俺を睨む邑璃。
う……後ろめたいだけにちょっと怖い。
「あ、怪しかろうと何だろうと、悊人氏の指示で動いてたんだから仕方ないだろ。俺を責めるのは筋違いだ!」
「むぅ。浮気とかしてないよね?」
「人聞きの悪いことを言うな! 浮気も何も俺とお前はまだ付き合ってないだろうが!」
「付き合ってないからって納得出来るもんじゃないもん! っていうかその反応、やっぱり浮気してきたの!?」
「だから浮気じゃねえっ! そもそも男なんかと浮気してたまるかっ!」
「へ? なっちゃんが会ってきたのって男の人なの?」
「ああ。まあ、一応」
「……その格好で?」
邑璃はニーソにミニスカな美少女仕様の服装を指さす。
「ほっとけ」
「……ベッドインとかしてないよね?」
「してたまるかっ!」
……際どい場面はあったけど、とは言わないでおく。
「ふうん」
邑璃は更に俺へとくっついてきて、くんくん、と匂いを嗅いでいく。
「……犬かお前は」
「……うん。別に男の残り香がある訳じゃないし、嘘は付いてないみたい」
「疑うな!」
男とのベッドインを疑われるとか泣くぞマジで!
「じゃあシャワー浴びてきていいよ。わたしはなっちゃんのベッドで先にごろごろしてるから」
「へいへい。ほんと、今日だけだからな」
「一回了承させればあとはずるずるとなし崩し的に……」
「ならないから」
「ぶー」
「ぶーじゃねえ」
これ以上色々と追求されてもたまらないので俺は浴室へと逃げる。
「……ふう。こっちを隠せたのは幸いだったな」
上着を脱いで上半身裸になる。
首筋に残るキスマーク。
「……早く消えてくれよ、マジで」
これをベッドの上で見られたらマジで邑璃に襲われかねない。
それはそれで恐ろしい。
シャワーを浴びながらなんとかこの跡を消すか誤魔化す方法がないか考えてみる。
「うーん……」
なかなか、簡単には思いつけなかった。
浴室から出て洗面台で改めて確認する。
紅い花びらのような跡は、やっぱり目立つ。
「あ……」
ふと視線を落とすと、化粧品類が目に入った。
使わないのに恭吾の奴が勝手に送り込んできたものだ。俺には無用なものなので全部邑璃に譲ったのだが、肌に合わないとかで結局半端に使ったまま放置されている。
俺はその内の一つ、肌色のファンデーションを手に取ってみる。
「……こいつで、なんとかなるか?」
試しにキスマークの部分に塗り込んでみる。
すると、近くで見るとアウトだが遠目からなら確実に誤魔化せる程度には目立たなくなった。
更に塗り込めてからファンデーションの蓋を閉じる。
「よし。当分はこいつで誤魔化そう」
いつまで残っているか分からないが、まあそんなに長い期間じゃないだろう。
意外なところで意外な物が役に立った。たまには恭吾に感謝してもいいかもしれない。
「おっそーい! いつもより五分ほど遅かったよなっちゃん」
「……測ってんのかよ」
「ほらほら、早く」
邑璃はベッドをばふばふ叩きながら誘ってくる。
「へいへい」
言い争うのも疲れるだけなので俺は大人しくベッドへと入る。
電気を消して本格的に眠る態勢に入る。
「おやすみ、なっちゃん」
「ああ、おやすみ邑璃」
一緒のベッドにいると言うだけで安心したのか、それとも本当に疲れている俺に気を使ってくれたのか、邑璃は必要以上にくっついてくることはなかった。
お陰でよく眠れそうだ。
ただいま、俺の日常。
とりあえず、同じトラブル続きでも平和な分こっちの方がいいや。
などと考えながら眠りに落ちた。




