百合のトンボ玉
結果として、勝負は無効にはならなかった。
「………………」
「………………」
俺とステアが腕相撲を始めてから、すでに三十秒以上が経過している。
右腕は全力で押される力に抗っている。
「くっ……」
俺とステアの力はほぼ互角だ。今のところは。
しかし少しでも油断すれば、少しでも力を抜けば、ステアの腕はたちまちに俺の腕を右側に倒してくるだろう。
「強い……ね……」
ステアの方も感心しているらしく、上擦った声でそう言う。
「まあ……な……」
そろそろ腕が痛い。早々に勝負を決めたいとは思うのだが、今の時点ですでに全力なのだ。全力全開の拮抗状態なのだからあとはもう持久力勝負になってくる。
そうなると俺の方が不利かもしれない。体格において若干ステアの方が優れているから、体力にも微妙な差がありそうな気がする。
更に三十秒経過。
「………………」
「………………」
「……もういい。そろそろやめよう」
「え?」
先に音を上げたのはステアの方だった。
「これ以上続けると、筋肉痛になりそうだ。勝負は引き分けでいいよ。それにしてもナツキは馬鹿力だね。僕もそこまで強い方じゃないけど、まさか女の子に互角で張り合われるとは思わなかった」
「………………」
そう言ってステアの方が力を抜いたので俺もそれに応じて手を離した。
「はあ……」
右腕をさすりながらステアが溜め息をつく。ちょっと残念そうだ。
「いいのか?」
「何が?」
「あのままやってたら、ステアが勝ってたかもしれないのに」
「まあ、そうかもしれないけど。でもあのまま続けたら確実に右腕を痛めてたよ。そんな状態でナツキとベッドインしても醜態晒すだけだろうし。無様を晒すくらいなら引き際くらいは自分で決めないとね」
「………………」
あのまま続けなくとも、現時点で俺の右腕はかなり痛いのだが。ステアの方はまだ大丈夫らしい。
やはりあのまま続けていたら俺の負けだったかもしれない。
「それにいくらSPがいるとは言え、万が一のために自分の身くらいは自分で守らないといけないからね。身体の状態は万全にしておきたい」
「……なんか、物騒な話だな」
「そりゃあね。この国は平和だけど、僕の国はそれなりに物騒だし。習慣として身に付いてしまっているから。僕もこれまで三回は命を狙われてる」
「……マジ?」
「マジ。幸いSPが守ってくれたけどね。でもだからといってそこに甘えきるつもりはないよ。最低限、自分に出来ることはやっておかないと」
「………………」
改めて、住む世界が違う。それにちょっとだけ、本当にちょっとだけだが、ステアのことを見直した。
どうやらただの色ボケ皇子ではないらしい、という程度には。
そんな俺の心境の変化を鋭く感じ取ったのか、ステアがにやりと笑ってこっちを見る。
「惚れ直した?」
「……そこまで甘くない」
「ちぇ~……手強いなあ」
「………………」
手強い以前の問題なのだが、それを言うわけにもいかないから色々複雑だった。
「まあいいや。今日はもう寝よう。シャワーは先に使っていいから」
「りょーかい」
なんだか男友達のような感覚になってきているなあと思いつつ、俺とステアは眠りについた。
もちろん、隣のベッドに寝ていたステアが約束を破って忍び込んでくるということもなかったので、その日は朝まで平和に過ごすことが出来た。
このあたりの誠実さは邑璃に見習わせたいと心底思ったくらいの紳士っぷりだった。
そして二日目。
何事もなく、実に平和に、紳士的に一夜を過ごした俺たちは、ホテルのラウンジで豪華な朝食を摂ってから黒塗り高級車に乗っていた。
「どこ行くんだ?」
どうやら今日のプランはすでに決まっているらしい。目的地へと向かっている最中のようだ。
「ガラス工房だよ。この前個展を開いた職人さんがいてね。ちょっと気に入ったからオーダーメイドでいくつか注文しようと思うんだ。せっかくだからナツキにも何かプレゼントしようと思って」
「ガラス職人……ねぇ……」
真っ先に思いついたのはヴェネツィアンガラスだった。寮内には現地から仕入れた工芸品がいくつか飾られている。もちろん『フロリアン食堂』にも。
悪ふざけなのか、それとも単なる趣味なのか。
とにかくガラス工芸品は日常で結構目にしているものなのでそれなりに親しみやすい。
グリークガラス工房、という看板が立った小洒落たお店に車が停まった。どうやらここが目的地らしい。
「こんにちは、シュナイデンさん」
ステアは工房の中に入ると、細身の外国人が出迎えてくれた。人種までは分からないが、ヨーロッパあたりの顔立ちに見える。
年の頃は四十くらい。まあ、なかなかいいかんじのおっちゃん、みたいな印象だ。
「ようこそ、ステアさん。注文の品は出来てるよ」
そう言ってシュナイデン・グリークさんは応接テーブルに箱を置いた。
「ほう。これは見事ですね」
箱から取り出されたのはガラスの香炉だった。
金箔に彩られた足台に載せられた幻想的な蒼い器。器そのものも海のたゆたいのような色合いに仕上げられている。つまみの部分にはまたふんだんに金箔が使われていて、器用に捻った仕上がりになっている。
器の下には蒼い涙のような飾りがぶら下がっていて、それがまた絶妙な組み合わせになっている。
海のような、天空のような、不思議な香炉だった。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ。もちろんです」
「それは良かった」
職人の技に芸術を感じたのは初めてだったかもしれない。
少なくとも俺の目から見ても目の前の香炉は見事の一言だ。
「折角ですから制作体験もしていきたいんですよ、いいですか?」
ステアがそんな風に切り出す。
「いいですけど、とんぼ玉で構いませんか? それ以外だとちょっと難しいと思いますんで」
「まあ素人ですからね。ちょっと彼女にプレゼントしたくって」
そう言ってステアが俺の方を見る。
誰が彼女だ、と突っ込みたくなるのを我慢した。
「はは。可愛らしい彼女ですね。あなたもやりますか?」
「やらせてもらえるなら、ぜひ」
体験工房というのはそれなりに興味がある。折角だから参加させてもらうことにした。
やらせてもらったのはバーナーを利用したトンボ玉製作。
棒に絡ませたガラスをじっくりとかしながらくるくると回したり、細かく引いた色をのせてじっくり調整したり、かなり器用さの要求される経験だった。
「おっおおうっ!」
おっかなびっくりやりながら、ようやく出来上がったのは蒼いガラス玉に白い線を引いた線流しのトンボ玉。中心に穴が空いているのでビーズアクセサリーに出来そうな仕上がりだった。ちょっと不格好になっているが、まあ初めてなのでこんなものだろう。
ステアもじっくり作業している。
あっちはもっと凝ったことをやっているようだ。
点打ち・引っかきというやり方で、俺がやっているのよりもずっと難しいらしい。
お互いに納得のいく形になったところで除冷材のなかに入れて冷やす。
一時間くらいで出来上がるらしい。
「ナツキ。何か欲しいものがあったら遠慮なく言って」
「欲しいものって言われてもなあ。とくにないんだけど」
「そう? お土産でもいいんじゃない? 店の中は結構色々あるし、気に入ったものがあったら持って帰ればいいよ」
「そりゃあ見事だとは思うけど」
待ち時間の間、店の中をうろうろしながらそんな会話をする。見事な作品が店の中に飾られているのだが、別に欲しいと思うようなものはない。
アクセサリーは論外だし、グラスや食器にしても寮生活にはあまり必要のない代物だし。
強いて言うなら邑璃が甘味を食べる時に使う皿があれば便利だなって思うくらいだ。放っておくと箱から直接手掴みだからな、あいつ。せめて皿に盛ったものをフォークで食べるくらいはしてほしい。
「あ」
そんな風に考えていると、桜の器が三段重ねされている皿が目に付いた。
ピンク色で仕上げられた花の器。五枚の花びらが広がって、縁には金箔が塗られている。一枚だと普通の更に見えるが大・中・小と三段かさねられると見事な花に変化する。まるで十五枚の花弁が誇らしげに咲き誇っているように見える。
「それが気に入った?」
「うーん。悪くないとは思うけど、もうちょっと柄がほしい」
「柄?」
「たとえば桜の花を象った器に、さらにもうちょっと濃い色合いで小さな花びらが舞っていたらちょっといいと思わないか?」
そう。
素人感想だが、そんな柄があったらいいなと思ってしまったのだ。
「確かに、ちょっといいかもしれないね」
納得したように頷いたステアはシュナイデンさんを呼んで、オーダーメイドでこの仕様にして欲しいと頼んでいた。
シュナイデンさんは快くうなずく。
「一週間ほどかかりますが、構いませんか?」
そう問いかけるシュナイデンさんに対して、ステアが俺の方を向く。
「いい?」
「いいもなにも、別に欲しいと言った覚えはないんだが……」
「でも見てみたくない?」
「そりゃ見てみたいけど」
「じゃあプレゼントするよ」
「……そりゃどうも」
まあくれるというのならもらっておこう。実際ちょっとはいいなと思ったわけだし。
トンボ玉もいい具合に冷えてきたので俺たちはそれぞれのトンボ玉を受け取った。
「じゃあ、はいこれ」
ステアは受け取ったトンボ玉を俺の手に渡してくれた。
「?」
「あげるよ。今日の記念」
「えっと、ありがとう」
「代わりにナツキが作ったのをもらえるとうれしい」
「は? いや、でも……」
素人が作ったトンボ玉を一国の皇子が欲しがるというのも妙な話だった。
ステアが作ったトンボ玉は見事な細工で、中に白い花が入っている。
それに比べて俺の方はただ線流しを不器用にやっただけの玉だ。売り物にすらならない出来だろう。
「分かってるだろ? こういうのは出来が大事なんじゃないって」
「そりゃまあ……でもここまで差があると逆にいたたまれないというか……」
「くれないの?」
「まあ、欲しいならやるけどさ」
俺が一方的にもらっておいてステアには何もやらないというのは不公平だし、欲しいというのならくれてやろう。そもそもこのトンボ玉製作の費用だってステア持ちなわけだし、断るほどの理由はない。
「じゃあお互い今日の記念ってことで」
「わかった」
俺は蒼いトンボ玉をステアに手渡してやる。
交換した後、よくよく見てみると、中にある花は見事な『百合』だった。
「………………」
何らかの作為を感じるのは俺だけだろうか?




