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百合色革命  作者: 水月さなぎ
第二部 VS篇
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水樹七海の目標地点

「今頃は揉めてるころかしらね……」


 塔宮悊人の第二秘書であり、塔宮家当主候補の一人である水城七海は四半期決算整理書類をチェックしながら、そんなことを呟いた。


 高校卒業後、大学には進学せず、そのまま悊人の秘書として働き始めた七海は、今のところ塔宮グループの仕事を最も理解している一人と言ってもいいだろう。そういう点では、今すぐに当主を継いでも問題ないくらいの器量の持ち主である。


 大学進学については秘書の仕事を続けながら、通信教育で卒業資格を取得する、という形で補完している。


 進学の道を選ばず、仕事優先の秘書になろうと思ったのは、他の候補者と同じようにやっていたのでは頭一つ抜きんでて当主になるなど到底無理だと判断したからである。


 七海は自分の非才さも、家柄の中途半端さもよく理解している。


 通常のやり方では塔宮家当主にはなれないだろうということも、痛いほどに理解している。


 それでも七海は諦めたくなかった。塔宮家当主の道を諦めるつもりはなかった。自分に出来る努力全てを費やしてでも目指すと、心に決めていた。


 そして高校卒業後、村雨恭吾に弟子入りして、秘書の仕事を続けてきた。


 お嬢様育ちの七海には色々と厳しいこともあったが、それでも泣き言一つ言わずに努力を続けてきた七海の実務能力は今や恭吾に次いで優秀だ。悊人の第二秘書に納まっているのは、何も家柄だけの力ではないのだ。そもそも悊人はそういうのを重視する性格ではない。でなければよりにもよって恭吾を第一秘書に据えたりはしないだろう。


 能力至上主義。それこそが塔宮悊人の正義であり、最も公平で努力が報われるシステムでもある。



「気になるのなら七海も混じれば良かったのに」


 七海の呟きに答えを返したのは村雨恭吾だった。七海の師匠であり、上司であり、尊敬すべき目標でもある。


「恭子さん……。あれ? 今日は男装なんですか?」


 いつも女性用のスーツに身を包んでその美脚を見せ付けている恭吾は、今日に限っては男性用のスーツに身を包んでいた。


 ダークスーツに磨き上げられた革靴。ヴィッグを外して短髪を後ろに流したその姿は、どこからどう見ても完璧な紳士姿だった。


 棗生がその姿を見たらとても恭吾だとは信じられないだろう。『女装趣味のセクハラ野郎がどうやったらこんな完璧紳士に変身できるんだこの野郎!』とか叫び出すに違いない。


「今日はちょっと特別でな。某国の皇太子を接待することになった。さすがに皇族相手に女装姿で出向くのは取引上問題があると言われて仕方なくってところだ。男性用スーツはあまり似合わないから好きじゃないんだが」


 やれやれと肩を竦める恭吾。男物のスーツ自体あまり着なれていないので若干動きにくそうではある。それでも渉外担当としては十分すぎるくらいに決まっているのだが。


「私個人の感想としてはとても目の保養になりますよ。男姿の恭吾さんはめったに見られるものではありませんし。予定外に得をした気分ですね」


 七海は忌憚のない感想を述べた。実際、きちんとした男としての恭吾は普通に格好いい。元々が仕事の出来る人間なので隙のない雰囲気を備えているし、整った容姿もあいまって良くできた彫像のような印象を受けるのだ。


 社交パーティーに出席すれば多くの女性から声を掛けられることは間違いないだろう。


 ……大抵の場合は女装姿で出席するので多くの『男性』に声を掛けられてしまうのだが。


「女装姿じゃない分あんまりやる気も出ないんだけどな。まあ適当に付き合ってくるさ。俺がいない間の手続きは……」


「大丈夫です。任せてください」


 敢えて引き継ぎをする必要もない。七海は恭吾の仕事をほぼ把握しているし、恭吾がいない場合の処理も心得ている。一年と少しの経験であっても、濃密なスケジュールでこなしてきた七海は、すでに秘書としては一人前なのだ。


「成長したよな、本当に」


 頼もしい限りの七海を見て、恭吾はその頭をそっと撫でてやった。


「きょ、恭吾さん!?」


 いきなりの展開に戸惑う七海。しかし決して振り払おうとはしない。


「初めてここに来た時は冒険したいだけの物好きかと思ったんだが、仕事はしっかりしてるし覚えは早いし。正直甘やかされて育っただけのお嬢様がここまでやるとは思わなかったよ。でもちょっともったいないよな」


「もったいない……?」


 言われていることの意味が分からず、七海は首を傾げる。


「友達と馬鹿やって楽しめるのは学生時代だけだからな。せめて大学くらいまではそうやって気楽にやっていっても良かったんじゃないかと思ってさ。たとえば塔宮学園にいるあの子達みたいに」


「……私は自分の意志でこの道を選んだんです。今も昔も後悔なんて一片たりともありませんよ。私に

 しか選べない道のりで、目標まで辿り着く。あの時にそう決めたんです」


 その言葉通り、七海の目には一切の迷いはなかった。


 自分の選んだ道と、自分が今いる場所に対して誇りを持っている。


「目標……。当主の座か。そんなになりたいもんかねぇ」


 地位や権力といったものに全く興味がない恭吾は、それを目指すためにある程度の青春を犠牲にしてしまった七海を不思議そうに眺めている。


「なりたいですね。今の私の全てといってもいいくらいに」


「………………」


 全て、と言いながらも七海の目には地位や権力への欲はまったく映っていない。


 もっと別の物を求めているのだろう。当主の立場はあくまでついで、七海には七海の求めるものがある。


 塔宮学園に転校していった子供達は、お互いを高めながら、自分の目指す道を真っ直ぐに進むことを選んだ。


 しかし水樹七海だけは彼らとは違うステージで戦おうとしているのだ。


「俺は七海の味方にはなれないけど、それでも可愛い弟子が努力している姿を見ると応援くらいはしたくなるな」


「それでいいですよ。味方になって欲しいわけじゃありませんから」


 そう。七海は恭吾を味方に付けたいわけではない。


 恭吾を味方に付ければ当主争いに関して多大なるアドバンテージを得ることができると分かっていても、それをしようとはしない。


 選択肢にすら入っていない。


「大丈夫です。貴方に導かれた私は、そう簡単には負けませんから」


 水樹七海にとっての村雨恭吾とは、利用すべき存在ではなく認めてもらいたい存在だからだ。


 憧れて、導いてもらって、今ここにいる。


 当主になることが出来て、恭吾に認めてもらえたら、伝えたい言葉がある。


 恭吾に認めてもらえる立場になって初めて伝えられる気持ちだと七海は信じている。


「それまでは恭吾さんに一番近くで見ててもらいたいんです。いつか師匠が自慢できるような成長を遂げて見せますから」


「今でも充分自慢できるけどな。まあ期待してるよ。俺の弟子が塔宮家当主になるってのも、なかなかに面白そうだ」


「頑張りますよ」


 恭吾が近くで見ていてくれる。


 七海にとってはそれだけでやる気全開になれるのだった。


「じゃあ行ってくる。戻りは明後日だからそれまでよろしくな」


「はい。恭吾さんの仕事を溜めておくような無様はしませんので、安心して行ってきてください」


 七海は秘書室を出て行く恭吾を見送りながら、軽く溜め息をついた。


 恭吾がいないだけで七海のモチベーションは酷く下がるのだ。


 しかしだからといって効率を下げるわけにはいかない。恭吾に失望されることは七海にとっての絶望以外の何物でもないからだ。


 いつか認めてもらえる自分になる。


 それだけを目標にして、その目標が達成できた時にこそ伝えるのだ。


 この先の人生において、思い出の半分を共有する存在になって欲しいと――



 水樹七海は今日も頑張り続ける。


 世界でたった一人、手に入れたい存在に辿り着くために。


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