第九死:月下
「ハルちゃん・・・ねぇハルちゃん・・・」
「ん・・・」
「ふふ、こんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
「ふぁ・・・あ、ごめん――ちゃん。歌聴いてたらすごく眠く・・・ってごめん!」
僕は言葉を言うそばから失礼なことを言ってしまったと思い謝る。
でも彼女は嫌な顔一つせず微笑んだ。
そんな優しい彼女が好きだ。
陽だまりのような暖かな微笑みが大好きだ。
「ハルちゃん。大好き」
「僕も大好きだ」
それが当たり前で当然のように僕らは小鳥のようなキスを交わした。
切なくて甘い記憶。
今でも覚えている、あの愛しさだけは忘れない。
・・・。
「・・・ちゃん」
・・・?
「・・・いちゃん」
誰かが呼ぶ声がする。
「お兄ちゃん!」
うん、気のせいのようだ。
俺には妹はいません。
ですから、したがって俺のことではないという答えがでるのだ。
冴えてるね俺!
遥が開けた目をもう一度閉じる。
すると、三咲は頬を膨らませて遥の頬を抓る。
「いれれ・・・いらいうぅの!はなひなはいっ!」
「いてて・・・いたいつうの?はなしなさいっ?」
「わはってるはらはなへーっ」
くすくすと笑いながら三咲は遥の頬を優しく撫でた。
恐怖が収まったかのような笑顔に遥はほっと胸を撫で下ろす。
足を切断され、膝小僧で歩く姿は何とも痛々しいが、本人は痛みを感じない様子らしく歩きにくい程度の感じらしかった。
「ね、お兄ちゃん」
「んあ?」
一瞬誰のことか分からない遥だったがすぐにここには自分以外誰もいないと気付き返事をする。
「お兄ちゃんは・・・私のこと・・・その・・・ころすの?」
遠慮がちに口に出すその言葉は遥の胸を抉る。
ころすの?
それは間違い、ころすのではなく、彼女は死ぬ。
放っておいても死ぬのだ。
だが魂は?
魂は既存する。
ならその魂は殺すことにならないのだろうか?
「・・・お兄ちゃんは・・・天使さんじゃないの?」
言葉が出ない。
喉がひりつく様に遥は唾を飲む。
「私・・・生きたいよ、もっともっと生きたいの」
それはどうしようもない。
彼女は今日死ぬ。その運命は変える事は出来ないだろう。
遥は心が軋むように音を立てている気がした。
「我侭言わないから、お利口さんになるから・・・だから、私を助けて」
ぎりっと噛み締めた奥歯が音を立てる。
「お兄ちゃん・・・お兄ちゃん・・・」
遥は満面の微笑みを浮かべた。
「ああ。俺は君を助けるよ」
「ほ、本当!?」
三咲の嬉しそうな顔に優しく微笑んで頭を撫でてやる。
「ああ。本当だ」
『か、はっ』
『終わりですね』
燕の肩口から心臓の辺りまで鎌が食い込んでいる。
夥しい紅い血液が噴出している。
だが、地面に着く前に消滅していく。
それは彼女達が人間ではなく死者だという証。
『お、われない』
燕は渾身の力を振り絞って月夜を突き飛ばす。
月夜は難なく地面に着地し、燕に突き刺さった鎌を再度手元に現せた。
『足掻くのは自由。私は貴方の願いを殺します』
『さ、せる、ものです、かっ』
許せるものか。
燕は眼光鋭く月夜を射抜く。
傷口を押さえることなく、燕はよろよろと鎌を構える。
『ど、んな・・・おも、いで・・・いまま、でやって、きた、か知らないくせに』
唇を噛み締めて力強く地面を踏みしめる。
分かっていた、このままでは確実に殺されることは。
『かん、たんに・・・諦められる、願いが、ある、わ、けないでしょうっ!!』
燕は地を強く強く蹴る。
風のように身体を空中へと打ち出す。
音速にも近い速度で燕は月夜の足だけを狙う。
それを確実に読む月夜。
しかし、足元をガードした月夜は目を見開く。
カラカラと鎌が月夜の鎌に弾かれて地面を回りながら音を立てた。
すでに燕の姿は月夜の視界には存在しなかった。
『・・・そう、諦められないから・・・死神は生まれる』
月夜はあえて追うことはせず消え行く鎌を無表情に見ていた。
月の光の下で輝く華。
冬にしか咲くことの無い華。
雪華。
「わぁ・・・この華・・・光ってるよお兄ちゃん」
「ん?ああ・・・その華は月明かりで淡く光るんだ」
「なんていう華なの?」
「雪華・・・本当の名前は知らないなぁ」
ザリっと地面を歩く音がする。
その音の主を確認する必要は無かった。
魂がそれを知っていたから。
それは自分自身。
虚ろな表情で機械的に歩く自分の姿。
それに連れ添うように歩く影は月夜だった。
「あ、れ?お兄ちゃん・・・双子・・・?」
きょとんとした顔で遥を見上げる三咲に優しく微笑んだ。
『恐怖を感じますか?』
無表情に不躾な質問をする月夜に三咲はゆっくり首を振った。
「お兄ちゃんが言ってくれたの。私を助けてくれるって」
『・・・』
遥は精一杯の優しさで三咲の頭を撫でてやる。
「目を閉じて。次に開いたときには君は元気にママと家に帰るんだ」
「ほ、んとう?」
屈託の無い瞳。
本当に嬉しそうに遥を見上げた。
遥は微笑む。
それが真実だと言わんばかりに。
瞳を閉じた三咲を見て、虚ろに月夜を見やった。
月夜は何も言うことなく鎌を手に現せた。
ゆっくりと三咲に近づいて本当にゆっくりと振り下ろした。
三咲という少女は、死んだ。
それが運命であったし、それは変えることは出来なかった。
月夜は遥を肉体の中に戻して、疲れたように溜息を吐いた。
『よく、やってくれました』
労いの言葉が遥の耳に届く。
だが、遥は奥歯を噛み締めた。
許せなかった自分の狡猾さが、下司さが、卑怯さが。
自分自身が許せなかった。
力を失ったように膝を折った遥が、地面を強かに拳で打ちつける。
ガツガツ!ガツガツ!ガツガツ!!
力の加減をしてないのか、血が飛び散っていた。
『遥』
「俺は!!」
思い切り拳を地面に叩きつける。
痛みなんて感じられなかった。
何もかもが空虚にすら感じた。
「俺は!!下司野郎だ!!最低だ!くそっくそっ!畜生!!」
『遥・・・』
煮えたぎるような怒り、それが遥を蝕んでいた。
だが、月夜の反応に遥は何よりも驚き、一瞬全てを忘れ去るほどの呆気にとられる。
月夜は膝を折り、遥の頭を胸に埋めた。
優しく撫でられる髪。
分からなかった、何故月夜がこんなことをするのかも。
月夜の心も・・・。
何も分からない。
だが、遥の瞳が滲み、涙が零れた。
一筋だけ、つぅっと。
零れ落ちる。
遥は月夜を抱きしめた。
何故だか分からない。
今は・・・月夜を感じていたかった。