第八死:衝突
「花斑・・・燕・・・」
呆然と呟く遥の声を拾い燕は遥に視線を向けた。
『あら、あらあら。遥君じゃない』
「あんた・・・一体」
『もうおわかりでしょ?それともまだ分からないかしら?ふふふ』
それが解らないほど遥は洞察力のない男ではない。
そもそもおかしいと思ってはいた。
雰囲気そのものが何故か異質で嫌悪感すら抱いたほどなのだ。
遥は遥以外に燕が誰かと話しているのを見たことが無い。
そして響のあの言葉。
「誰と話していたんです?」
あの言葉は人を指していたのでは無いとしたら?
そう、もう答えは出ていた。
あの時、響には遥が独り言を言っているようにしか見えなかったのだろう。
何せ、遥が話していたのは死者であり。
死神なのだ。
「たすけ・・・て」
三咲の掠れた声に遥は我に返った。
這いずるような動きをしている三咲の傍に駆け寄り抱きかかえる。
『あら、あらあら。どうするつもり?”それ”は私の”獲物”よ?』
『いいえ、貴方のものではないわ。云わば貴方は死の匂いに誘われてきたハイエナね』
嘲うような燕の言葉に冷徹な挑発を含む言葉が月夜から放たれた。
燕は月夜を一瞥し、噴出すように笑う。
『あら、どこかで見た顔だと思ったら・・・丁度良かったわね?貴方のこと殺してやろうと思ってたところだったのよ』
『そう簡単にくれてやるほどの”願い”ではないわ』
そう言うやいなや、月夜はその手に死神の鎌を顕せる。
『死合います。遥、逃げなさい。その娘を連れて逃げなさい』
『あらあら、私と死合う前に魂を喰らわなくても?勝てないと分かっていたのでしょう?うふふふ・・・いいわよ?”貴方”の”獲物”だったんでしょ?待ってあげようかしら?』
三咲がごくりと息を飲む音が聞こえた。
遥に縋りつく手が細かく震えているのが分かる。
月夜は一瞬たりともこちらを振り向くことは無く、最早興味もないという感じで言い放つ。
『私が喰らうのは”清き魂”貴方と違ってね?今の彼女の魂など私にとってデメリットでしかないわ』
『あら、そ。いいわ、見逃してあげる。今はね。でも、貴方を殺してもう一度恐怖と失意の中で・・・三咲ちゃん?貴方を喰らってあ・げ・る♪』
三咲が遥の胸に顔を埋めて震える。
これ以上ここにいてはいけない、遥は直感でそう思う。
これ以上この娘の魂を穢してはならない。
遥は三咲を抱きかかえるようにして走り出した。
何処へ向えばいいのかそれすら分からない。
只、遥はいつの間にか無意識にも似た感情で何処か確信があるようにその場所に向った。
『貴方、本当に勝つつもり?』
『何を言っているんでしょう?勝つ?負ける?貴方はこの死合いを勝負かなにかと勘違いしているんですか?』
燕は月夜の言葉に眉間の皺を刻んだ。
次には無言で鎌を月夜に向けた。
『コロシテヤル』
『やれるものならね?』
月夜の首を刈るように正確に鋭く空を裂く。
月夜はその鎌を避けることなく冷静に鎌を自分の首まで上げて受け止める。
金属が強く打ち付けられる音が響く。
吹き飛んだのは月夜ではなく攻撃を放ったはずの燕だった。
『・・・っ術式!?』
『障壁・月光私の能力はまだお見せしてませんでしたね』
『油断してたわね。出たてのルーキーと思ってたのが迂闊だったわ』
素早く立ち上がりながら燕は鎌を構えなおす。
先程はその鎌からは何の力も発現してはいなかったのだが、燕の揺らめくような瞳が赤く輝き、それに呼応するかのように鎌からは煉獄のように紅い瘴気が揺らめいた。
『瘴撃・焔!』
灼熱の衝撃波が月夜に襲い掛かる月夜は魂が消え去るほどの衝撃波に吹き飛ぶ。
ロビーの窓ガラスを突き通り外に転がり消滅する。
数瞬の後、窓ガラスは何の前触れも無く弾け飛んだ。
ロビーにいる病院関係者や患者達は悲鳴を上げて遠ざかる。
『ふん!コノ程度じゃやっぱりルーキー程度よね』
せせら笑う燕が顔を強張らせて前方へと転がり殺気をかわす。
体勢を立て直し自分が今しがた居た場所を見やる。
『あんた・・・』
月夜は無表情に振りぬいた鎌を回転させ、口元を歪める。
『瘴気・月影。幻さえも見分けがつかないなら、貴方こそルーキーね』
『・・・っ!言わせておけば、調子に乗るのも程々にしなさいよ?』
『調子に・・・乗る?果たしてどちらが調子に乗っているのかしらね』
『!?殺す・・・コロシテヤル!』
月夜は黒いスカートを翻し一歩間合いを開ける。
燕が禍々しく光る鎌を振りかざし、地を蹴る。
相当の速度で振りぬく鎌を足を半回転させ鎌を避けると同時に回し蹴りを放つ。
燕の鎌が地面に突き刺さると共に月夜の蹴りが燕の首に叩きつけられる。
凄まじい衝撃に燕は身体を回転させながら吹き飛ばされた。
『か、はっ・・・』
『怒りは自らの力を倍増させます。ですが、冷静さを欠き、判断を鈍らせます。冷静さは判断を重視し、自然体で物事を受け止めることができるでしょう、ですが、怒りに任せるより遥かに苦痛を伴い、慣れていく・・・慣れるとは人の心さえも失っていきます』
『せ、っきょ・・うでも始め、るつもり?』
『いいえ。・・・私は・・・そうですね。話し合いをするために死合っているのではありませんね』
『そう、いう、こと!!』
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
抱えた少女は泣き疲れたように浅い眠りについている。
ようやく目的の場所に着いたかのように遥は足を止めた。
「俺・・・何やってんだ・・・畜生!」
夕刻に染まる空と地。
オレンジ色の光に照らされ、神秘的な空間を醸し出す。
この時間、遥はこの場所に来るのはあの日以来だった。
理由は無い。
ただコノ場所は遥にとって大切であり恐怖だった。
特にコノ時間は、嫌な記憶が蘇りそうで恐怖だった。
心臓がドクドクと鼓動を打つ。
三咲を地面に横たえ、遥も疲れ果てたように雪華の傍に寝転がった。
思い出したくて堪らない。
思い出した時にそれが耐えられないものだったらと恐怖が堪らない。
板ばさみが耐えられない。
「何を・・・恐れてるんだ。畜生っ」
大切だった。
そう大切なのは彼女だ。
この場所は彼女の大切な場所。
俺は彼女が大切で、彼女の大切な場所だから大切だった。
(ハルちゃん・・・)
耳朶を擽る彼女の声。
幼い声だが綺麗で透き通る。
彼女の声が好きだった。
彼女の歌が好きだった。
彼女の髪が好きだった。
彼女の瞳が好きだった。
彼女の笑顔が泣き顔が悪戯な顔が・・・
彼女の全てが・・・
大好きだった。
なのに忘れた?
どうして忘れた?
彼女を失ったことも。
彼女の名も。
彼女の・・・顔も・・・。
何故・・・。
遥は激しい感情の波に揺られながら暗い闇の中に吸い込まれるように眠りに落ちていった。
薄っすらとゆっくりゆっくりパレットの色が混ざり合うようにオレンジの空間は藍色へと染まっていった。
どんどんと混ざり合い。
闇は色を濃くしていった。
遥の心そのものかのように・・・。