第三死:取引
「ふぅ・・・春は・・・遠いのぅ・・・」
肌寒い公園のベンチでぽつりと背中を丸めた老人が何かしら呟いた。
遠野 元八郎今年で85になる老人だ。
元八郎は春を待っていた。
その理由は元八郎にしか分からない。
『あの老人よ。もうすぐ・・・死ぬ。名は遠野 元八郎。享年85歳』
「まぁ、元気なさげな顔してるな・・・あのじーさん」
学生服のポケットに手を突っ込んだまま猫背で身体を震わせながら遥は呟いた。
『さ、あの人の所へ行きますよ』
「あ、うん」
月夜は老人の座っているベンチに向って歩を刻む。
それに付き添うように遥は歩を進めた。
「ん?どうしたんだい学生さん・・・と妹さんかい?」
「え?どうして・・・」
見えるのかと口に出す寸前で遥は口を閉ざす。
(そうか、死が近いんだ・・・このじーさん・・・本当に死ぬんだ・・・)
突きつけられた事実に遥の顔が歪む。
黙ってしまった遥達を怪訝そうに元八郎は見やり、やがてはっとした表情で口を開いた。
「まさか・・・おんしら・・・!?」
(何だ!?俺達が死神だって気付かれた!?ってそうだとしたら何て突拍子もない勘の持ち主だよっ!!)
心拍数が上がった遥を知ってか知らずか月夜は無表情で黙ったままだ。
「流行の、オラオラ詐欺かい!?」
(勘弁してください。おじーさん。俺だよ俺っていいましたかね?てかオラオラじゃくて、俺俺なんだろうけども、どこぞの尻尾が生えたとんがり頭で黒髪から金髪に早変わりする人物はオラっていっているから間違いじゃないのだろう・・・か?)
遥は心の中で突っ込みながら、無表情な月夜を見た。
月夜は遥の視線に気付いたらしくこちらを見て口を開いた。
『オラオラ詐欺なの?貴方』
「俺?いや、チガイマスヨ?ていうか何言ってるの?オマエ」
『だってこの人がオラオラ詐欺なのかと聞いていたから・・・貴方オラオラ詐欺師なのかと思って』
(よーし、落ち着こう俺。この最高品質の天然温泉娘はとりあえず置いとこうじゃないか俺)
遥は一呼吸置いて元八郎に向き直った。
「直球で訊くけども、おじーさん。何か心残りなんつーものはある?」
「ん・・・?そんなものありゃあせんよ。わしゃ天寿を全うするんに何も心残りなんぞありゃあせん。可愛い孫もこの手に抱き幸せじゃて」
「って言ってますけど?」
元八郎の言葉尻にそう付け加えて遥は月夜を見た。
月夜は表情を微塵も変えることなく淡々と元八郎に言った。
『今日死ぬとしても?』
「お、おい」
『貴方がそういうのは残る人生がまだあると思っているから、今日死ぬとしても何の悔いも残らず死ねるかしら?』
「お嬢ちゃんは面白いことをいうんじゃなぁ。そうさの・・・今日死ぬとしたら・・・心残りがあるのぅ・・・」
ふぅっと寂しげな顔で空を見上げた元八郎に遥が質問する。
「それは何です?」
「春・・・春じゃよ・・・」
「へ?・・・春って春が心残りってこと?」
「はっはっは。わしの心残りはなぁ、桜じゃ・・・死ぬ前に桜を眺めたいんじゃよ・・・」
そんな些細なこと・・・そう思う。だが死に行くものがどう思うか、それは死に行くものにしか分からない。
些細、些細ではある。
だが、今日死ぬのならそれは不可能で奇跡でも起こらぬ限り叶わない夢。
遥はいきなり難題にぶち当たったと顔を顰める。
『さぁ、貴方の出番でしょう?』
「無茶言うなぁ・・・」
さらっと言ってのける月夜を横目に遥は携帯を取り出した。
ディスプレイに表れた名前を流し読みながらある名前でスクロールを止めた。
「・・・嫌なんだけどね?この際奇跡でも起こせそうな人物はこれ以外思いつかんわ」
『なんとか出来るみたいですね?』
「さぁ、そら分からんが・・・月夜。おじーさんと一緒にいてくれる?これ、俺の予備の携帯渡しとくから。何とかできたら電話する」
『わかりました、待っていましょう。でも忘れないで、もうあまり時間はないわ』
元八郎は目の前で繰り広げられている会話について行けずに呆然とするしかなかった。
ただ、元八郎は自分に構う人間がいなくなった今日この頃でこのような若者が自分に対して興味を持っているということが嬉しかった。
だから、元八郎はこの月夜という少女と一緒に遥を待つことにしたのだった。
自分が今日死ぬなどと突拍子もないことを信じたわけではないが、それならそれでこの子供達は何をしてくれるのやらと好奇心をもったのだ。
「さぁてと・・・苦手なんだよなぁ・・・あいつ」
公園をでて携帯を取り出し、ディスプレイに記された番号に連絡をする。
プルルルル・・・
と2回ほどコールを鳴らしたと思った矢先、女の子の声が耳に届いた。
「はい」
簡潔で淡々とした小さいとも大きいとも言えない声がする。
遥は息を吸って吐いて名乗る。
「あ、高野だけど」
「ええ、分かります。今日学校へ来てませんね?無断欠席はいただけませんよ?」
有無を言わせない声色が遥に後悔を齎す。
(ああ、やっぱり御堂に頼むのはやめようかなぁ)
御堂 響
御堂財閥の一人娘であり、遥の通う月島高校の生徒会長である。
同じクラスで、彼女は孤立してはいるものの、いじめられるなんて在り得ない存在。
男性からも女性からも驚異的な人気を誇っており、毎年学園祭で行われる人気投票では常に一位を受賞している。
少し淡い藍色の髪を腰まで伸ばし、常に冷静沈着な表情。素晴らしく整った美しい顔がその冷静さにとても合っている。
この月島市で御堂財閥に楯突ける者は存在しない。
絶対なる権力者だ。
だからこそ、奇跡や夢物語も彼女に頼めば叶うこともある。
だが、それには代償が必要だ。
彼女は慈善事業は一切しない。彼女は力を貸してくれる。だが、それは貸しである。
こちらとしてはある意味とんでもない借りを作ることに相違ない。
彼女は取り立てる。彼女のタイミングで彼女に見合う力をその時返さなければならない。
それが掟だ。
遥は彼女、御堂 響と仲が悪いわけではないが、今のところ貸し借りはないのだ。
だからこそ友達という枠で存在してはいるが、それがどう転ぶかわからない取引だ、遥が躊躇うのも仕方ないことだった。
しかし、覚悟を決めて遥は話を切り出す。
「あのさ、御堂。頼みがある」
「・・・唐突ですね。伺いましょう」
今現在時刻は9時5分。確実に授業中にも拘らず彼女は携帯に出ている。
それは教師も何も言えない絶対権力者だからだ。
「春という空間と満開の桜を用意出来るか?」
「・・・少し時間が掛かりますが、出来ないこともありません」
(ビンゴだ)
遥は思う。この女に出来ないことがあるのだろうかと。
響は短く息を吐き話を続ける。
「どれくらいかかる?」
「おそらく数時間」
「今日中に可能か?」
「ええ。それは可能です」
この後俺は頼むと一言言えばいい。
そうすれば、死神の仕事はスムーズに終る・・・のかもしれない。
その代わり俺は彼女に隠し事は出来ない。
それがルールだ。
「・・・頼む」
ひりつく喉をそのままに掠れた声でそれを言う。
電話の向こうで微かに響が笑った気がした。
「ええ。分かりました。それでは、それが必要な理由を訊きましょう」
そんなのはたった一言で事足りる。
遥はその一言を言うのに躊躇う。
良いのだろうか?と。
このような超常的な事柄を無闇に人に話す行為。許されるのかと。
だが、この先、俺の望みを叶える為、この女の力が必要なのは事実。
遥は鼻を鳴らすように笑った。
そう、俺はどんなことがあっても犯人を許さない。
その過程に何があろうともコロシテヤル。
そう心に誓ったのだ。
だったら悩むことなどない。
遥は言う。
その理由を。
「俺が、死神になったからだ」
「・・・これは、面白いことになりましたね」
疑うことも馬鹿にすることもなく、響は少しの間の後淡々と言った。
「分かりました。準備を始めます。今度詳しくお話を伺うことにしましょう」
「ああ、頼んだ」
溜息を吐きながら遥は電源のボタンを一度押した。
緊張から解き放たれたように体がふらふらとした。
近くの電柱に寄り添うようにずるずると腰を下ろした。
「分かってるさ・・・俺は・・・どんな奴だって利用してやる」
ふと見上げた空は遥の心とは裏腹に晴れやかに雲1つない青空だった。