第二死:契約
朝を告げる日差しや、小鳥達の囀りに遥は目を覚ました。
気持ちのいい目覚めに昨日見たのは悪い夢だったのではないかと思うほどだった。
だが、そうではない。
遥のコタツに入ってベッドを見つめる瞳に挨拶をする。
「お、おはよう」
『・・・』
挨拶をした対象の人はこちらを見ているが無言である。
遥は少しむっとした顔でもう一度挨拶をした。
「おはよう」
『何度も言わなくても分かるよ』
「だったら返事くらいしろ」
『・・・』
マタ無言デスカ?
相変わらず喪服のような服を着ているが喪服とは違うのは夜では分かりにくかったが皮で拵えられた服だった。おそらくは特注だろう。
髪は少し栗色がかった滑らかな絹のような触り心地のよさそうな髪である。
その髪は肩口で切り揃えられており人形のような印象を与える。
こちらを見つめる瞳は人間では到底カラーコンタクトでもしないかぎりありえない赤い瞳だ。
大人びた表情が少女の外見とギャップを感じさせる浮世離れした存在である。
「そういや、お前・・・名前は?」
そうやっているうちに部屋を控えめにノックする音が聴こえた。
「遥くん?起きてる?」
「お、起きてますですはい!すぐいくからね、ね」
『何を慌てているんです?』
「黙れ、黙れ。しーだしー!」
『しい?椎の出汁?』
「何言ってんだ!静かにしろっつってんじゃこの天然温泉!」
ガチャリと部屋のドアが開く。
ああ、もうだめだ。どう説明したらいいのか分からんぜよ。
「ああ、ちゃんと起きてますね。じゃあ朝食用意してるから着替えたら来てね」
「あ、うん」
まるで円は目の前にいる少女を見えないかのように少女の向こうのベッドにいる遥を見てから部屋を閉めた。
「あ、れ?」
『何か不可解な点でもありましたか?』
「お前ってさ。俺にしか見えてないとかそういうの?」
『私は死に近しいものにしか見えません』
あー。そうなんですかぁ・・・
「え!?じゃあ俺って死ぬの?いつ!?何時何分何秒!?」
『それから、私自身が姿を見せることを容認した人には見えます』
「・・・それ先言って?まじで。心臓に悪いから」
そう言いながらほっとした遥は学校へ行く準備をし始めた。
制服を着て鞄に教科書を詰め込む。
その作業を見つめていた少女が不意に口を開いた。
『何をしているんです?』
「何って、学校行く支度だよ」
『・・・月夜』
「へ?」
『私の名を訊いたでしょう、先程』
「うわ。超マイペースだな君は」
顔を顰めつつも遥は自分の自己紹介を始めた。
「俺は遥。高野 遥。17歳で高校生」
『・・・遥。私、月夜。17歳で死神』
「へぇ。同い年なのか」
『そうね』
月夜は皮肉げに笑顔を浮かべた。
支度を終えた遥は部屋を出ようとドアに手を掛ける。
『学校へ行くといっていましたね?』
「ああ。行くよ?それがなにか?」
『私の仕事を手伝うと契約したはずでしょう?』
「いや、学校終ってからね?」
遥は自分で言っておいて滑稽な台詞だと思った。学校が終ったら死神の仕事を手伝う。
何と滑稽な台詞だろうか。
月夜は遥を挑発するような台詞を吐く。
『その程度の感情ですか?貴方が兄の仇に抱いた殺意は』
「な、に?」
『聞こえませんでしたか?その程度の――』
「黙れ」
目の前が真っ暗になりそうなほど途方も無い怒りが込み上げてくる。
出ようとしたドアから手を離し、月夜を振り返る。
その目は怒りに燃える脅威的な殺意を抱いた感情を湛えていた。
「二度と、そんな台詞を吐くな。どんな手を使ってでもお前でもコロス」
『・・・出来ますか?』
「ああ、俺は出来ると信じている」
『・・・分かりました。二度と言いません。貴方を敵に回すと厄介そうですしね』
「・・・学校へ行く振りだけはする。それでいいだろ」
『分かりました。それでは玄関で待っています』
月夜を振り返らず居間へと向った。
深呼吸をした。
居間へと入る前にこの暗い感情を少しでも抑えなければならない。
円は遥の表情を汲み取りやすい。保母さんをやっている職柄なのかはわからないがほんの少しの表情の変化などで体調や感情を読み取ってしまうほどなのだ。
「おはよう。円さん」
「おはよう、支度に時間かかったね。二度寝したんじゃないでしょうね?ふふ」
円は少しだけ遥を窘めるように言った後微笑む。
朝食はオムレツと手作りのロールパン、それにサラダの盛り合わせだった。
遥が美味しそうに食べるのを頬杖をついて微笑んで見つめている。
いつも通りな雰囲気だ。それもこれで・・・最後になるだろう。
遥はそう思う。
切り出すのは自分だ。
「円さん」
「ん・・・?何か嫌いなものでもあった?」
「違うよ。ちょっと・・・話があるんだ」
いつになく遥の辛そうな表情に円は一瞬悲しそうな顔をした。
その後に続く言葉を円は知っているのかもしれない。
それでも遥は言わなければならなかった。
「もう。この家には来ないでいいんだ・・・兄貴は・・・もういないんだ。円さんは別の幸せを・・・見つけて欲しい・・・幸せになって欲しいんだ・・・姉さん」
「・・・遥くん・・・」
「そう、これっきり・・・もう・・・来ないでくれるかな」
円は今度ははっきりと遥に対して見せる。
瞳から零した雫。
胸が潰れるかと思うほどの苦しさ。
どうその先を言えばいいのかさえ分からなくなった。
しかし、円の口から出たのは遥にとって意外すぎるものだった。
「やだ」
「へ?」
円の口から出たとは思えないとても子供っぽい台詞に素っ頓狂な声を出してしまう。
「やだ。やっと姉さんって呼んでくれたのにこれっきりなんて絶対やだからね?今もこれからもずっと私は遥くんの・・・遥の姉さんなんだから」
「・・・円さ・・・姉さん」
二人は顔を見合わせて笑った。
それが当然とも思えた。
そう、要がいなくなったから全てをリセットするなんて虫のいい話だったのだ。
今だって、そしてこれからも円は遥の姉なのだから。
朝食を済ませていつも通り二人で玄関へ出る。
恒例行事みたいなものだ。
「行ってきます。行ってらっしゃい」
「行ってきます。行ってらっしゃい」
二人はハミングするかのように同じ台詞を同じタイミングで言う。
そして二人は別々に歩き出した。
「待たせたかな?」
『いえ。特に時間は有していないですよ』
「それで?俺は何をすればいいんだ」
『貴方は死に行く魂を安らかにして欲しいの』
「何だ・・・?それは」
死神と名乗る月夜の台詞とは思えないほど意外な言葉が吐いて出る。
『死神は死を迎える魂を狩る者。恨み辛みを残していては魂は地から離れることなく悪霊となる。そうなってしまえば最早私達死神では狩ることは不可能なの』
「だから、俺が死に際の相手の心残りやら悩みやらを取り去れってことなのか?」
『そう』
「それを手伝えば、兄貴を殺した相手を殺してくれるってのかよ」
『ええ、そう』
遥の質問に淡々と答える月夜。
遥は一番気になった質問を繰り出した。
「その。兄貴を殺した相手も心残りやら悩みを取り除いた後とか言うんじゃないだろうな?」
『どうして欲しいの?』
「苦しんで苦しんで死ねばいい」
『そう、それじゃその通りにしてあげます』
まるでどうでもいいことのように月夜は答えた。
だが、遥にとってはその答えはとても都合のいいものだった。
だから遥は月夜に協力する。
そう、覚悟は要が死に、円の涙を見たあの日から出来ていた。
俺は死神になったのだから・・・