軍縮条約〜亜細亜平和会議発足
2日連続更新です。他の小説を暫く放置していますが、もうすぐ更新を再開します。
1923年11月11日、本来なら2年前に行われる予定だったワシントン軍縮会議は、開催国のアメリカが予想外に手間取った為、2年間ずれ込んだ。
3日前に竣工した扶桑型航空戦艦1番艦『扶桑』は今処女航海をしている。
世界初の航空戦艦を保有した日本は軍縮会議に参加した。
日本の全権代表は大腸癌から奇跡的に復活した加藤友三郎が務めた。
11月12日、ワシントンDCで会議が始まった。
日本は既に感付いていたが、この軍縮会議が米英が日本を押さえ込む為に行われている、と。
予想を裏切らず、米英の二ヶ国は主力艦保有比率、米・英・日を10:10:6を要求した。
本来なら、抗議しても可笑しくない比率だが、日本は2つ返事で承諾した。
しかし、『日本の比率を5割に落としてもいいが、航空戦艦枠に流せる様にして欲しい。』と、加藤代表は言った。
これには米英は戸惑った。比率を5割に落とせるのはありがたいが、航空戦艦枠に流すのは難しい所だからだ。
しかし、時の大統領ウオレン・G・ハーディングは『航空戦艦等、甲板に砲弾が当たれば撃沈は容易い。』と言った為、米英両国はこれを承諾した。
翌年、1924年2月6日、各国の調印によってワシントン軍縮会議は締結された。
1927年10月15日、世界を震撼させる大事件が発生した。
中国北部の満州、朝鮮半島、台湾、樺太・千島列島が同時に独立、日中両国は直ぐに承認した。
国名は以下の通り。
満州 大満州國
朝鮮半島 朝鮮共和國
台湾 台湾連邦
樺太・千島 亜細亜エルサレム共和國
世界が最も衝撃を受けたのが、『亜細亜エルサレム共和國』である。
各地で迫害を受けているユダヤ人を救う為に建国された国として、世界中から移民希望者が激増した。
そして、11月30日、『亜細亜平和会議』別名『亜細亜安全保障理事会』が発足した。
参加国は、大日本帝國・中華民國・大満州國・朝鮮共和國・台湾連邦・亜細亜エルサレム共和國、そして東南亜細亜唯一の独立国、タイ王国の七ヶ国で開催。
この『亜細亜安全保障理事会』が、後に波乱を巻き起こすとは、この時誰も気付く事は無かった。
〜亜細亜平和会議憲章〜
前文
本会議は、各地で迫害を受けている同じ亜細亜人民全てを、平和的かつ迅速に解放するために開催されるものである。
全ての亜細亜人民が解放されるその日まで、参加国は全力を出して亜細亜解放を推し進めなければならない。
亜細亜解放を妨げるものは、如何なる勢力で有ろうと決して屈伏せず、また参加国の一ヶ国でも攻撃等を受けた場合、これも又各国が全力を出して立ち向かう事を行わなければならない。
〜中略〜
亜細亜全てが解放される、ただその為だけに。
第26代内閣総理大臣
田中一義
第2代中国大統領
蒋介石
初代大満州國主席
チョ・サクエン
初代共和國統合局局長
イ・スンウェン
初代連邦議会議長
リ・タクカウ
初代共和國代表
ニファス・カルタクス
調印 1927年
11月30日