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第一次世界大戦終結〜航空戦艦誕生

第一次世界大戦中は省きました(余り変わらないので)。

 第一次世界大戦で勝利を手にしたのは、米英仏日の連合軍だった。

 しかし、主戦場となった欧州各国は長期化した戦争の為、経済が疲弊し切っていた。

 代わりに筆頭してきたのは、欧州から遠く離れた、アメリカ合衆国と、大日本帝國であった。

 アメリカ合衆国は、稼いだ資金の殆どを軍拡に費やした。

 大日本帝國は、軍拡には使わずインフラ整備に使った。そしてもう一つ、重要な事に使った。




 1919年、6月28日、ヴェルサイユ条約締結。ドイツに対する厳しい内容で締結された。

 7月8日、中華民國皇帝・袁世凱が、突如皇帝の座から退いた。辛亥革命の中心人物・孫文が再び皇帝に就任、皇帝から大統領へと名を変えた。裏には大日本帝國が動いたとされているが、事実は闇の中に眠っている。

 同月、18日、大日本帝國・中華民國の間に、同等の条件で『日中平和条約』を締結、中華民國大統領・孫文と、時の内閣総理大臣・原敬が、帝都・国会議事堂内で握手する写真が各新聞に掲載された。

 しかし、これに反対する国があった。アメリカ合衆国・大英帝国・フランス・イタリア等の連合国である。

 理由は『大陸に対する侵略行為である』とした。だが、真相は今後発展する亜細亜アジアへの足掛けに、極東の新興国家に邪魔されるのを阻止する為であった。

 だが、その返答は連合国が思いもよらない返答になった。

 『大日本帝國は、我が國と平和的手段で外交を行っている』、そう答えたのは中華民國大統領・孫文であった。

 当事国がそう言ってしまったので、下手に手が出せない。止む終えず、この反対は取り下げられた。

 同年9月21日、日中両国は『亜細亜平和会議』の構想を協議、『1927計画』の企画書を交換した。


 そして、1923年11月8日、呉海軍工廠において第一次世界大戦の為、起工が遅れていた一隻の軍艦が竣工した。

 扶桑型航空戦艦、世界初の航空戦艦が誕生したのである。

   扶桑型航空戦艦

全長   213,2㍍

全幅 船体 30,6㍍

 航空甲板 33,8㍍

吃水   平均8,9㍍

機関 ブラウンカーチス式タービン

     2基4軸

   宮原式  24缶

   40,000馬力

最大速   22ノット

兵装

 35,6㎝(45口径)連装砲      3機

   15㎝(50口径)単装砲     16機

   25㎜(40口径)3連装機銃   10機

艦載機数    23機


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