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欧州動乱〜亜独伊三地方同盟

 更新開始します。

 1939年9月1日、ドイツ第三帝國は隣のポーランドへ侵攻(作戦名『白の場合』)を開始、9月3日に大英帝国並びにフランスが相互援護条約を元にドイツに宣戦布告、17日にはソ連軍もポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。

 同年10月6日、ポーランド軍は降伏、ポーランドは消滅した。

 翌1940年2月11日、ソ連軍はフィンランドへ総攻撃をかけた。昨年から防衛を続けていたフィンランド軍は遂に敗退、3月13日ソ連と講和を結んだ。

 更にソ連はバルト三国を併合、ルーマニア王国にヘッサラビアを割譲させた。

 同年4月、ドイツは中立国家であるデンマーク・ノルウェーへ侵攻、占領した。

 翌5月、フランスのマジノラインを突破したドイツ軍は、6月22日にパリを無血開城させた。

 8月13日、イギリス本土上陸作戦『アシカ作戦』の前哨戦として、『バトル・オブ・ブリテン』を開始したが、航続距離が短い戦闘機が爆撃機に付いていけず、爆撃機の損害が増大した。9月15日、ドイツ空軍『ルフト・バッフェ』は昼間の爆撃を中止した。

 1940年9月27日、亜細亜連合軍は世界情勢の関係から、ドイツ並びにイタリアと同盟を結んだ。通称『亜独伊三地方同盟』と呼ばれる。

 主に、三地方(亜細亜・欧州・アフリカ)の技術力向上を目指した。

 だがドイツ・イタリア両国は、この同盟を軍事的目的も含むと解釈しているため、世界制覇の達成の足掛かりとしている。

 そして、いよいよ米英との溝が深まった1941年、太平洋を取り囲む情勢は急展開を迎えた。

 いよいよ1941年に突入、世界情勢は激変する・・・

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