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第一次ノモンハン事変〜第二次ノモンハン事変

 初の戦闘開始です。

 1939年5月11日、ノモンハンにおいて大満州國陸軍は初戦闘を行った。しかし、ソ連軍の戦車T‐34の前に八九式中戦車(八六式35㎜野砲搭載)は段ボール同然であった。ジリジリと押され、前線は後退を続けた。

 戦闘開始から4日後の15日、いつもの様にソ連軍は進撃していた。

ソ連兵1「全く手応えが無いな。ヤポンスキーの下の軍隊なんて、たいした事ねぇな。はっはっは。」

ソ連兵2「ああ、そうだな。この調子なら数日後にはハルビンは陥落するな。」

ソ連兵1「全くだ。・・・ん?」

ソ連兵2「どうした?」

ソ連兵1「向こうから航空機が・・・」

 そこまでしか言えなかった。

淵田「よし、成功したぞ!全機続けー!」

 正規空母赤城から出撃した淵田美津雄大佐率いる爆撃隊である。

 途中、吉林市の飛行場で補給したため、時間は掛かったが間に合ったのであった。

 その後、続々と援軍が到着した。全て亜細亜平和会議参加国の軍隊であった。形勢は逆転した。

 同月20日、侵攻を許し続けていたソ連軍を満州から追い出した。

 ここに第一次ノモンハン事変は終了した。

 亜細亜平和会議参加国はソ連に対して抗議した。しかしソ連は、『日本の傀儡国家を解放すべく、我々は満州に兵を進めた。』と反撃した。

 これを例の如く、米英が賛同し大満州國以下全ての国を解体せよと迫った。

 しかし、山本五十六総理は「亜細亜の平和を脅かす相手は、亜細亜連合軍が許さない。」と言い放った。

 この『亜細亜連合軍』は亜細亜平和会議参加国が感嘆し、正式名と決まった。

 同年7月1日、ソ連軍は大義名分を片手に再びノモンハンに迫った。第二次ノモンハン事変である。

 そのソ連軍を迎え撃つのは、大塚雅人中将率いる大日本帝國陸軍第一機甲師団であった。

 新型戦車九七式重戦車900台も配備されていた。

 攻撃は国境をソ連軍が越えた瞬間始まった。両脇から一斉に戦車が火を吹いた。九七式重戦車は、九六式88㎜野砲を搭載しており、当時最強とも呼ばれた戦車である。

 両脇から攻撃をされたソ連軍は総崩れ、橋頭堡を築くと言う初期目標を達成することなく逃げ帰った。

 それから、数度に渡るソ連の攻勢を阻止していた亜細亜連合軍であるが、戦闘は長期化の予兆を見せ始めた。

 このままいけば、第一次世界大戦同様に産業が疲弊する恐れがある。

 降伏はできないがせめて中立条約なら・・・と思っていたら、なんとソ連側から中立条約の申し入れがあった。各国首脳は驚いたが、今は中立条約を結ぶべきと思い、1939年8月9日『亜ソ中立条約』が締結され戦闘は停止、第二次ノモンハン事変も終了した。


大塚雅人おおづか まさと

年齢      25歳

身長     179㎝

体重      73㎏

階級       中将

所属

  第一機甲師団師団長


     解説

 若干25歳で中将になったエリート、普段から部下の事を思いやっており、戦闘の際には最小限の損害で勝つと言うのがモットー、第二次ノモンハン事変では自ら戦車に乗り込み陣頭指揮を取った。黒髪の短髪と、普段から持っている懐中時計が特徴。


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