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山本内閣総理大臣就任〜ノモンハン事変
今回一番短いと思います。
第一回亜細亜平和会議参加国合同演習大会が無事終了してから約1年後の1937年7月、第33代目総理大臣林銑十郎は次期総理大臣に連合艦隊司令長官山本五十六大将を推薦、山本が承認したため同年7月14日第34代目総理大臣山本五十六が誕生した。
山本は緊迫する亜米間の政治的話し合いによる、和解を求めたが、アメリカは頑なに感情を変えなかった。このまま平行線をたどるのは双方の利益にならない、そう考えた山本はスイスやその他の国にも仲介を頼み、両国首相の会談を実現しようとした。しかし、これも効果を出さなかった。
就任2年後の1939年5月11日、大満州國北部ノモンハンにおいて、モンゴル人民共和國軍並びに、ソヴィエト社会主義共和國連邦通称ソ連軍が大満州國に侵攻、国境警備隊と駆け付けた本隊が応戦するも圧倒的戦力を前に一時後退、後に『ノモンハン事変』と呼ばれる戦闘が始まった。
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