ボールペンで人は殺せますか?
-第1発見者の男の証言-
その日は夜9時頃まで残業していました。
仕事終わりに冷たい夜風で目を覚まそうと、窓を開けたんです。
そうするとどこかで言い争っているような声が聞こえました。
女の人の声でした。
内容はわかりませんでしたが、聞いているうちに女の人の声が大きくなっていって…。
トラブルかと思い気になって見に行ったんです。
非常階段の方から声がしたので、近づいてドアを開けようとしました。
その時女の人の「危ない!!」と言う声と、ドタドタと大きな音がしました。
急いでドアを開けると、私がいた一つ下の階の踊り場で、男女が倒れていました。
男の人…私の部下の増田 誠太と他部署の女性社員でした。
慌てて、大丈夫かと駆け寄ると、増田の胸に…ボールペンが深々と突き刺さって…。
証言は以上です。
…
-当事者・百瀬 優里の証言-
どこから話せばいいんでしょう…。
彼とは、私が18歳で入社して、半年後からお付き合いをしていました。
それが、あの日の前日に、彼の妻だという人から、連絡が、あったんです。
貴方は不倫をしている、ゆ、許さないって…。
で、でも私、知らなくて…。
それであの日、か、彼に問い詰めたんです…。
彼からあの、上司のセクハラで困ってた時にプレゼントしてもらった、ぼ、ボールペン型のボイスレコーダーを持って…。
それでずっと、う、嘘ついてたのって聞いたんです…。
そうしたら彼、彼!面倒くさいって!!
黙っとけば良かったのにって!!
それで、そのまま帰ろうとしたので、彼の腕を引っ張ったんです…。
それで、彼が体勢を崩して、私もそのまま…。
ヒック…グズ…。
…すみません。まだ、頭がぐちゃぐちゃしてて…。
それで私が、手に持っていた、そのボールペンが、彼に…。
私が…私が…。
証言は以上です。
-現段階の捜査で判明していること-
今回の件、被害者は増田 誠太38歳・男。
現場に居合わせた当事者は百瀬 優里27歳。
当時2人は交際中だった。
増田誠太が既婚者であること、そして増田誠太の妻・増田 慈が前日に百瀬優里に連絡をした裏は取れた。
現場の状況と百瀬優里の供述から、非常階段で言い争い、百瀬優里が帰ろうとする増田誠太の左腕を掴んで引いたところ、バランスを崩し、そのまま2人は転倒。
仰向けに落ちた増田誠太の上に百瀬優里が倒れ込み、手に持っていたボールペン型のボイスレコーダーが増田誠太の胸に刺さったのではないかと思われる。
百瀬優里は右手首を骨折し入院中。
尚、殺意について百瀬優里はそんなつもりはなかったと供述。
詳しい死因などは司法解剖の結果待ちである。
「ふぅ、こんなところかぁ?」
「吉沢さぁん、やっぱり事故じゃないっすかぁ?」
部下に名を呼ばれた男・吉沢 勝則は眉間に皺をよせる。
「ボールペンで人が殺せるもんかねぇ」
「でも実際、刺さってるじゃないですか!」
「そりゃそうなんだがなぁ」
吉沢の部下・前島 浩二は現場写真の被害者の胸に刺さっているボールペンを指差した。
たしかに、ボールペンは被害者の胸に深々と刺さっている。
「とにかく、捜査だ。やれることはやろう」
「前島ぁ、増田誠太の奥さんのとこ行くぞ」
「えぇ!?今からっすか!?」
「そうだ、今からだ」
2人は増田誠太の妻、増田慈へと聞き込み調査に向かった。
-被害者・増田誠太の妻・慈からの聞き込み-
夫は…そうですね世間一般で言うところのよい夫であり、よい父親でした。
それがでも、蓋を開ければ不倫していたなんて。
…とてもショックでした。
私も最近知ったばかりで…はい、不倫相手に連絡して、たしかに不倫だ覚悟しろとは言いました。
夫には、まだ私が知ったことは話していませんでした。
まずは、証拠を掴んで…本当はそれからどうしようか考えようと思っていました。
でもやっぱり携帯を見た時カッとなってしまって…
夫の携帯から、不倫相手に連絡してしまいました。
でもそれで、あんなことに…。
…死ぬことなんて、なかったのに。
私には、娘もいます。
私は、私たちは、これからどうすればいいのでしょう…。
…
「奥さん…辛そうでしたね…」
「そりゃあなあ、今はまだ色々受け止められないだろう」
「旦那さんが不倫してて、問い詰める間もなく…ですもんねぇ」
「あぁ、よし次は現場に行くぞ」
「はぁーい」
…
-現場付近での聞き込み調査-
『増田誠太の同僚』
ああ、あいつは会社でも仕事ができるって評判でしたよ。
それがあの子と不倫してたなんてびっくりですよ。
そういえば奥さんとお子さんの話は、あんまり聞かなかったですね。
ああ、社内でも不倫のことは誰も知らなかったんじゃないですか?
聞いたことなかったですし、あの2人が仕事外で一緒にいることなんて、僕も見たことないですから。
『百瀬優里の同僚』
あー優里ちゃんのことですか?可哀想ですよね。
知らない間に不倫相手にされてて、しかも今回の事故…。
もうかける言葉も出ないですよ…グズッ!
あぁ、すみません、彼女の心中を思うと涙が…。
許せないですよね!女心を弄ぶなんて…。
でも、死んじゃったらどうにもならないですし、なんだか本当にやるせない…。
『第1発見者・増田誠太の上司』
ああ、彼のことですか。
…すみません、私もまだ少しショックで…。
ああ、大丈夫です、お気遣いありがとうございます。
そうですね、彼はその日、出張先から直帰の予定でした。
なので会社にいることも今思えば…まあ、彼女に会うためだったのでしょうかね…。
言い争っていた内容ですか?
うーん内容は聞き取れなかったですが、増田の声は…そういえば聞こえませんでしたね。
彼女の方は次第に声が大きくなっていったので…少しだけ聞こえはしました。
でも何を言っていたか、わかりません。
最後の「危ない」だけは、はっきり聞こえました。
彼女も彼がああなったことは、ショックだったんじゃないですかね。
私が駆けつけた時、泣きながら揺り起こそうとしてましたし。
…
「増田も百瀬も、会社では普通の社員…どころか結構いい人って感じでしたね」
「2人の関係を誰も知らなかったな」
「隠してたんじゃないですか?」
「結構長く付き合ってるのになぁ」
「そうっすねぇ、でもそういう人もいるんじゃないっすか?」
「そんなもんか…」
…
-ボイスレコーダーに記録された音声-
今から録音、します。
誠太さん、私に独身って嘘、ついてたんですか…?
え?どういうこと?
とぼけないでください。
誠太さんの携帯を使って奥さんが連絡くれました。
…ずっと嘘ついてたんですね。
えぇー?そういうこと言う?面倒くさいなぁ。
黙って続けてたらいいじゃん。
それに優里も薄々わかってたんじゃないの?
で?俺が既婚者で何か困ることある?
結婚しようって、言ってくれたじゃないですか!
ああ!盛り上げるために言ったな!
…それが何?お前も楽しんでたじゃん。
…そんな…。
話は終わり?じゃ、帰るわ。
ま、待って!!!
…ピ
-ここで音声は終了している-
「このあと、一緒に階段から落ちたんですかね?」
「…あの非常階段でこんなに綺麗に音声が録れるか?」
「え?」
「外なら、少なからず雑音が入るもんじゃないか?」
「ああ!たしかに!風の音はわかんなかったっすね!」
「なんか引っかかるな…」
…
-百瀬優里の携帯-
事件の前日、午後9時までは普通のカップルのようなメッセージのやり取りがされている。
しかし9時以降、増田誠太が「ただいま」「おーい」「どした?」と送って以降、事件当日までは何のやりとりもされていない。
そして事件当日の8時13分…増田誠太から百瀬優里に「非常階段に来てほしい」とメッセージ。
その数分後百瀬優里から「わかった!」と絵文字付きで返信されている。
それが2人のメッセージの最後だった。
…
-司法解剖の結果-
死亡時刻はおそらく事件当日の午後4時から午後9時。
死因は胸部を先端が鋭利なもので突かれたことで心臓に損傷、そこからの出血性ショック死。
後頭部を打った跡があるが死因とは無関係。
凶器は先端が鋭利なものである可能性が高い。
ただしボールペンの刺突痕より他にもっと細いものの刺突痕あり。
死因は後者によるものであり、ボールペンが死因の凶器ではない。
「おいおいおいおい…」
「吉沢さん!これって…」
「どうやら、今回は事故じゃないかもしれないな…」
「もう一度、病院にいる百瀬優里に話を聞くか」
…
-当事者・百瀬優里の証言-
あの日何をしていたか、ですか?
あの日は5時まで仕事をしていました。
そこから彼と話そうとしたんですが見つけられなくて…会社近くをウロウロしていました…。
8時頃彼から非常階段で会おうって連絡が来て…。
歩いて会社の非常階段に行きました。
そこで話をして…あとは前にお話した通りです。
…すみません、まだちょっとやっぱり彼が亡くなったのがショックで…。
…9年近く彼が既婚者であることに気付かなかったのか…ですか?
そうですね…少し、おかしいな、とは、思って…ました。
でも、彼を、…あぁすみません。
…彼を信じたかったんです。
でも、結局は裏切られた、ようなものでしたけどね。
…普段どこで会っていたかですか?
会社ではほとんど会わなかったです。
彼はプライベートなことは会社にバレたくないって言ってました。
普段は…会社から少し離れたカフェで待ち合わせが多かったです。
…なんで、信じちゃったんでしょうね。
すみません、今日はもう、勘弁していただけますか…。
え?家宅捜索…ですか?
…ああ、手続きがいるんですね。
私はこの通り、まだ入院中なので…
荒らさないのであれば…はい、どうぞ。
…
「百瀬さんも辛そうでしたね」
「…前島はどう思う?」
「え?うーん何とも言えないっす!」
「お前なぁ…でもそうだよな」
「まだ何とも言えないよな…」
…
-百瀬優里の自宅-
百瀬優里は会社から徒歩20分ほどのマンションに一人暮らし。
室内をパッと見では特に目立つものはなかったが、写真立てが伏せられた状態で置かれていた。
ひと通り目につくところは調べ、引き出しを調べていった。
最後に写真立てが飾られていた棚を調べた。
写真立ての中には、増田誠太と百瀬優里が寄り添い笑い合っている写真が入っていた。
そして棚の一番上の引き出しには、根元付近に血の付いたアイスピックが雑に押し入れられていた。
アイスピックは押収し、鑑識に回した。
百瀬優里の自宅で押収したものは、このアイスピックだけだった。
「吉沢さぁん、あれってもしかして…」
「さぁな、鑑識結果が出るまでは、わからんさ」
「…そうっすね…なんであそこにあったんすかね」
「それは百瀬優里に聞かないと俺にはわからんな…」
-アイスピック鑑識の結果-
根元の血液は被害者のものと一致。
指紋は百瀬優里のものだけだった。
被害者のもう一つの刺突痕とも形状は一致。
鑑識、司法解剖の結果を照らし合わせると、限りなく凶器だと言える状態だった。
「あぁあ…なんてこった」
「吉沢さん…」
「…本当の事件現場を探すぞ」
「…はい!」
-会社内の捜索-
推定事件現場の社内を徹底的に捜索。
社員より事件現場の階にある会議室から変な匂いがすると報告があった。
現場鑑識を連れ入ると、たしかに何かにおいがする。
…洗剤の匂い…だろうか?
少しツンとした匂いがする。
会議室中を隈なく調べていくと、机の奥に血痕があった。血痕の手前までは、少し拭き取ったかのような跡があった。
鑑識の結果、血痕は被害者のものと一致。
…事件はどうやら、この会議室で起きていたようだ。
「…吉沢さん」
「なんだ」
「これ…彼女…」
「…」
「あぁ、明日退院だって言ってたな…」
「…前島、行くか」
「…はい、吉沢さん」
…
「退院早々、取り調べに呼ばれるとは思いませんでしたよ」
そう話す百瀬の表情は柔らかい。
「いやぁすまないね、どうしても聞かなきゃならんことがあってな」
そんな百瀬に吉沢は優しい声色で謝罪した。
「早速だが、君に聞きたい」
「君はあの日、5階の会議室に行ったか?」
吉沢はゆっくり、しかしはっきりと百瀬に尋ねた。
「…どうでしょう、覚えていません」
百瀬はやや口角を上げながらも穏やかに言った。
「そうか…じゃあもう1つ聞きたいんだが…」
「君は、このアイスピックで、彼を殺したかい?」
そう言いながら、吉沢は袋に入れた証拠品のアイスピックを、百瀬に見せた。
それを見て、百瀬は笑みを深くした。
「なんだ、もう見つかってたんですね」
それは、とても綺麗な笑顔だった。
「ええ、そうです」
「私が彼を殺しました」
そう、百瀬はとても綺麗な笑顔で、柔らかい声色で言い切った。
そんな百瀬に、取り調べ室にいた者たちが、息を呑んだ。
それから百瀬優里は、笑顔のまま堰を切ったように話し出した。
「でも、彼が悪いんですよ?」
「私ずっと騙されてました」
「だから悲しくて、SNSで皆に相談したんです」
「そうしたら皆、彼は酷い、私が可哀想、彼は死んだほうがいいって言ってたんです」
「だから、殺しました」
「奥さんだってそうすれば私を許してくれるはずです」
「だって一番悪い彼を、私が殺しましたから」
「でも、殺人は悪いことですよね?」
「でも私だけが悪いんじゃない」
「だから事故ってことにして罪を軽くしようと思ったんです!」
「だって私だけが悪い訳じゃない」
「彼が悪いんです」
「私は奥さんに悪いことをしてしまいました」
「だから彼を殺したんです」
「そして私は罰を受けるつもりです」
「だって殺したから!」
「でも減刑されるべきだと思ったんです」
「だって彼は死んだほうが良かったから」
「だって私も被害者だったから」
「ね?吉沢さんもそう思いますよね?」
百瀬優里は吉沢を真っ直ぐ、でもどこか縋るような目で見た。
そして吉沢は悲しむような、哀れむような表情をして、口を開いた。
「それでも、いくら憎くても、悲しくても」
「殺していいわけじゃない」
その言葉を聞いた途端、笑顔だった百瀬優里は無表情になり、そして
「じゃあ、私はどうすればよかったんですか…?」
そう言いながら涙を流した。
答える者は、誰もいなかった。
そうして百瀬優里は取り調べ室から連れて行かれた。
-容疑者・百瀬優里の証言-
彼とは、普段付箋でやりとりしていました。
私がピンク、彼が青。
それに私は赤い丸、彼は四角を書いて、秘密の暗号にしてたんです。
それで、その付箋があったら、仕事が終わったらあの会議室に集合の合図でした。
9年間ずっとやってきたんです。
馬鹿ですよね、ええ馬鹿でした。
それで、奥さんから連絡があった次の日に、彼を刺しました。
あぁ、ボイスレコーダーの音声はあの会議室で録りました。
あの音声を録ったあと、私は持っていたアイスピックで彼を刺しました。
それで、床を家から持ってきたクリーナーで綺麗にして…。
あのクリーナーはよく落ちましたね。
でも匂いが残るのは良くないですね。ご迷惑をおかけしました。
ああ、メッセージですか?
あれは私が彼の携帯で打ちました。
彼、すごく重かったですよ。
運ぶの、大変でした。
その前に家にも帰ってアイスピック隠さなきゃいけなかったし。
色々やってるときは、見つからなくてラッキーだったんですけどね。
ボールペンは、事前に同じところに刺しておきました。
落ちたあとすぐ、彼の上司が見つけてくれて良かったです。
疲れてましたから…。
慣れないことはするもんじゃないですね。
…他に聞きたいことは?
…私が、奥さんに言いたいことですか…?
そうですね、すみませんでした…とだけ、ですね。
…
「そうですか、彼女が主人を…」
吉沢と前島は、増田誠太の妻・慈の元に事件のあらましを伝えに来ていた。
彼女は話を聞き、しばらく泣いていた。
やがて、ゆっくりと話し出した。
「…彼女も、たしかに被害者だったのでしょうけど」
「私はどうしても、もう彼女のことは許せません…」
「死んだら…主人を責めることもできませんから…」
彼女はしばらく黙っていたが、ゆっくりと顔をあげた。
「吉沢さん、前島さん、ありがとうございました」
「親子2人、これから、何とか生きていきますね…」
増田家からの帰り道。
吉沢と前島は少し俯きながら、ゆっくりと帰っていた。
「吉沢さん、今回の事件…なんかやるせないっす」
「百瀬さんはああなる前に、なんとかならなかったんすかね」
「…それは、そうだなぁ。ああなる前にどうにかできるのが一番良い」
「事件を起こす前に、何とかできるのが一番いいんだ」
「…そうっすね」
2人は夕陽に照らされ歩く。
彼らの後ろには長い長い影ができていた。




