第三話:状態異常
状態異常
「……蜂か……」
ドラクリアが片手で捕まえた大きな蜂は、多分毒性の強いものだけどどうとも思っていないようで、ぴっと弾いて窓の外に放り出していた。この研究所は品種改良の研究も行なっているから、普通の生き物だと思ったら異様に危険、というケースがたくさんある。怖くないのだろうかと思うけど形状と飛び方から普通の蜂の範囲を出ない、とドラクリア的には断定できたらしい。たまに毒液を飛ばしたり異様に針が伸びる場合があるから、それさえ気をつければいい、という考えらしかった。この研究所には一定数のマッドサイエンティストがいるから過去にはちょっと危ないことをしていた時もある。研究員の中の派閥争いが、全体の方針に影響する。こういう場所に出入りしている人たちだから、他の場所では働けないということも多い。研究員たちには、研究内容より同僚とのいがみあいが怖いという人もたくさんいるから、職場として問題があるのだろう。
ドラクリアは動体視力がいい。蜂を手で捕まえるなんて普通は集中しないとできないはずだけどつまらなさそうにパッと掴んでどうとも思っていないらしい。毒物への耐性があるのかなあと何となく思っていたけど、「普通よりは強い程度だから駆除業者を呼んでくれ」と不満そうだった。この辺は私たちと感覚が同じだ。延命のために改造を受けたのだから「余計なことはしてない」なんて当たり前だけど、この研究所だから「せっかくだししちゃおうぜ」とかあったのかと思っていた。
ドラクリアが中庭でパッと飛び上がって木の枝を掴み、ぐいっと登っていった。あの枝ってジャンプしたら届くんだね!!と驚いていたら「届くわけねーだろ!!」と周りの人に怒られた。常識でわかることがわからなくなっているのは研究所が非常識だからだ。ドラクリアからしたら運動の一種らしく、走るとか鍛える以外に立体的な体の使い方をして、上にも下にもつかみどころがある中をどう渡るか、というのが大事な技術らしい。しばらくの間、枝の中を泳ぐように渡っていた。
「オオイヌくん。いいかい?」
……研究所の偉い人に声をかけられた。偉い人というか、管理部署のさらに上には複数の企業があって、どこから何を受注して研究対象にする、という話がある。少し前に管理部署の一つが交渉を間違えたらしくて、企業同士のパワーバランスが崩れているらしい。兄さんがいた頃は、ああいう兄さんだから偉い人が来ても睨みつけたりして、偉い人の方が怖がって帰っていく、みたいなのをよく見た。でも、兄さんはしばらくここにいないから今は怖がっていない。何ですか?と聞き返すと、君に頼みたいことがある、と言っていた。
非常に才能に溢れた君の能力に惚れ込んだ、ぜひ我々のために働いてほしい、と「人違いじゃないですか?」と思うことをたくさん言っていた。でも、褒められて嫌な気はあまりしないから、だんだんその気になって、自分でも浮ついているのがわかるくらいの時に、木の上からドラクリアが降りてきて、割り込んだ。
「兄貴に取り入るのが才能か?」
……お前らがデカい顔をしようと思ったら、オオイヌを黙らせれば話が早い。現場から用心棒がいなくなるのと同じだからな。……そう言われた偉い人たちは怒って帰ってしまった。ハナ、とドラクリアが怖い顔をした。今は俺が兄貴の代わりだが、自分で見分けるように。……ドラクリアはこういうのをわざと言っているのだろうか。私はそれが気になって、何を言われたかはわかっていなかった。
※
「ポイズン・ビーの研究が、いよいよ大詰めなの」
毒蜂なんて研究しなくてもブンブン飛んでいそうだけど、そういう名前をしているだけで毒蜂ではない。蜂たちの毒性にバリエーションを作って、必要な成分を適宜抽出しよう、というもの。敵を弱らせる「毒」、捕獲する「麻痺」、即時性のある攻撃「火傷」、という各種の毒以外に、栄養素や強心剤の代わりになる成分を持たせられれば、この蜂をどう運用する、という話に発展させられる。今、毒の成分を変化させてかなり限定的だけどショック療法に使えるのではないか、というところまで辿り着いたらしい。毒を変化させてショック療法なんだからイメージほど進んでいない。この辺は私がズレているのかもしれないからあまり言わなかった。でも、この研究のスポンサーが、ちょっと気になるところだった。
バミューダ・コーポレーション。先日の偉い人たちと同じ系列の会社で、複合企業体の並びを見れば錚々たる企業ばかり。こんなにすごい会社ならポイズン・ビーなんて作らなくてもどこかの下請けにドローンでも作ってもらえばいいのに!!って同僚のルミは言っていた。私はその辺りが少しだけわかるから、「ドローンとポイズン・ビーでは機動性が全然違う」というのを知っているけど、ルミも知ってて言っているのかもしれないから黙っていた。
バミューダ・コーポレーションは、普通のスズメバチよりも数段大きいサイズのポイズン・ビーに強心剤に近い成分を持たせて、災害救助に役立てたいらしい。役に立つのかな、それ。私は疑問だったけど、プレゼンに立ち会う段取りが組まれていた。バミューダ・コーポレーションの人たちは、成分表と薬効、水槽の中で飛び交うポイズン・ビーの動きに、目を光らせているような、いないような……失礼、と偉い人の一人が、何かの機械を持ち出した。発せられたオレンジ色の光がポイズン・ビーを照らすと、その動きが活発化したのがわかった。火災現場で運用するなら、光はこのようなもので……と説明されて、それもそうか、と思ったんだけど。
ガシャン!という音がして何かと思ったら、バミューダ・コーポレーションの社員の一人が消化器を持ち出して水槽に投げつけたらしい。水槽に大きなヒビが入り、中にいる異常行動を始めたポイズン・ビーは隙間から這い出てきてもおかしくない。その社員は全然落ち着かない様子で、周りの人たちに殴りかかった。こんな状態で、人がぶつかったらポイズン・ビーがなだれ出てしまう。こんな状況を想定していないから、対処法を誰も思いつかない。社員の一人が、水槽に突っ込みそうになったのを止めたのは、ドラクリア。物音を聞きつけて実験室の扉を蹴破って社員を受け止めて、くだらねえことをしやがる、と他の社員が持っていたオレンジ色の光線源を取り上げた。ドラクリアにとっては、見たことのある装置。くだらない悪戯でしかないという。
ポイズン・ビーをどうやって制御するという技術は研究の初期段階もいいところ、このままでは暴れるか大人しくするかの二択しかない。暴れさせようとすれば暴れるのかといえば、やってみないとわからない。そのための光線源は、ポイズン・ビーには一定の効果を見せた。そして、体質によっては人間にも影響すると今実証された。「混乱」という状態は、個人差によっては人間の自律神経を逆転させ、暴れるべきでない時に暴れさせる。スイッチした交感神経と副交感神経は、落ち着こうという者ほど激しく暴れる選択肢を取りかねない。ドラクリアは、暴れる社員の後ろに回るとビシリと首筋に手刀を入れて、膝をついて崩れた相手の肩を掴んで膝で背中を押した。ごきっという音と共に、その社員は白目をむいて動かなくなり、医務室に運ばれた。
※
ドラクリアは、バミューダ・コーポレーションの社員たちを責めるつもりがないらしい。自分たちが危ない目に遭ってまで試すことではなく、これで照らしてみろと渡されてこのザマというケースしかない。迂闊すぎる、というこの点は否定のしようもないが、気をつけろバカ、とだけ言っておけば取引先でこの失態をした者に対するペナルティとしては十分らしい。私は普通の会社を知らないけど、多分そういうものなんだろう。私も、おかしいと思ったんだ!!ってドラクリアに言ったら、怒られた。
「もっと自信を持て」
お前は研究者なんだ。おかしいと思ったら自制するのも、素養のうち。見切り発車するうちは、まだまだだ。……私は今のやり方しか知らないから、しばらくドラクリアのお世話になる。本人も、兄さんの代わりのつもりらしいから。




