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大切な時間  作者: 桜 叶
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ザッザッ パキ カサ…


山道を歩く音。澄んだ空気の中だからか、日常の音とは違って研ぎ澄まされた響く音で聞こえる。

二人で並んで歩く…家族や友達とも違う距離感。

きっと私に合わせて歩いてくれている。


「空気が美味しいって、こういうことなんですね。街中にいて、こういうところに来るとよく分かりますよね」

「本当にそうですね。いるだけで、心を洗ってくれている気がします」

「心を洗うか…素敵な言葉ですね」

「でしょう?命の洗濯…昔、若い頃に読んだエッセイの中にあった言葉で、この言葉に惹き付けられました。それからは、この言葉、命の洗濯ができる場所や行動を意識してるんです」

「……たくさんできましたか?命の洗濯」

「どうかな…でもきっと、たくさんあったと思います。意識していたからかもしれませんけど」

「どんなことが?」

「え…どんな…急に言われても出てこないな……あ…ありふれてるけど、今みたいな空気の綺麗な場所で、自然やお花を見ている時や、出かけた先で知らない人とたまたま話すことになったりした、一期一会の空間とか」

「一期一会か…どんな話をするんですか?」

「近所の人と話すような、何でもない話です。知らない、たまたま隣にいる人と、綺麗ねとか、どうしたらこうなるのかとか。

子供がいる時なら可愛いね、何歳とか、ふふ。

たまに自分が関わることのないような、世界を話してくれる人に会うこともありました。子供を連れてカフェで休憩していたら、隣に座ってたご婦人がバイオリンケースのようなの持っていらして、音楽家なのかと思っていたら、その人が、子供を見て話しかけてくれて。で、チャンスとばかりに何の楽器を演奏されてるんですかって聞いてみたら、これ何の楽器か分かるか聞かれて、バイオリンと思って答えたら、みんなそう思うけど、ビオラっていう楽器だって。その時、初めてビオラという楽器を知って、また色々聞かせてもらって、楽しかったなぁ。自分に栄養をもらった気持ちで…」


あの頃の気持ちを、思い出しながら得難い貴重な経験を、たくさんもらえたな、と振り返った。


「あっ!ごめんなさい!べらべらと…」


ついつい話しすぎた気がして、落ち込む。年のいった自分の話を、若者に聞かせてる自分に自己嫌悪。


「謝らないでください、素敵な話です。僕も嬉しい気分ですよ」


なんて優しい人。いたわってくれてる。

そんな優しさが、今の私には暖かい。


「自分が触れていない世界を、見せてもらったり聞かせてもらったり、それが自分にとっての命の洗濯なんですね。僕もそんな経験いっぱいしたかったなぁ」

「何を言ってるんですか?これからたくさんあるでしょう?あなたはまだまだ若いんですから」


不思議な言い方だと思ったけど、言葉の使い方がたまたまそうなったのかとも思った。謙遜の一種なのかもとも思った。


「…そうですね、これからあるように…人との出会いを大切にします。…子供さんがいたことで、余計に人と触れ合う機会が増えたんですね」

「ええ、本当にその通りです。親の私が与えるより、あの子達から与えてもらったことの方が、たくさん素晴らしいものだったと思います。あの子達がいたから、なんとか生きてこれましたし…あ、いえ…あなたもこれからいい出会いがありますように」


慌てて別の言葉を付け加えて、ごまかした。でも本当に、彼にも素敵な出会いがありますようにと、思うから。

なんとか生きてこれたなんて、苦労話のようなものを聞かせるつもりもないし、同情してほしいわけでもない。つい振り返りすぎてしまった。

この自然の空気と彼の雰囲気で、感傷に浸ってしまっていた。


「ありがとうございます。でもこうしてお会いできたのも素敵ないい出会いの一つです」


優しい彼は、私の心を慮ってくれた。


「こちらこそありがとうございます。そんな風に言ってもらって」


最大のお世辞でもいい。嬉しい。


「お身体何かあるんですか?あ、すいません、立ち入ったことを」

「ああ、いえ、そんな…私が振ってしまったんです。気にしないでください。気を遣わせてごめんなさい。…もう半分くらい歩いたかな」


これ以上気を遣わせたくない、せっかく一緒に歩いてくれてるのに、気を悪くしてほしくなくて話を変えた。


「あっ、もうそんなに?早いな、楽しく話してると。やっぱり早いですね、あの…もしよかったら」

「ん?はい」


なんだろう


「もし、嫌でなければ、あなたの話を聞かせてもらえませんか?子供さんや、あなたの体のこと…ご主人のことも。あ!俺怪しいやつじゃないので!それを知って、慰めて何か売ろうとか、そんなんじゃないので!」

「えっ」


売りつける?どうしてそんな話に?

確かに、私のようなおばさんの話を、聞きたがるなんて怪しいしかないけど、でも…


「あはははっ」


笑ってしまった。

ずっと落ち着いて、優しく保たれていたイケメンが焦り出して、言い訳のように……おかしかった。


「ごめんなさいね。バカにしてるとかじゃないんです。とても落ち着いてたあなたが、年相応の青年らしさが見られて、可愛いなと思って…」

「可愛い…」

「あっ、ごめんなさい、可愛いなんて…男性に失礼ですね」

「いえいえ!全く嫌じゃなかったです。本当に…」


照れたように笑ってくれた。よかった気分も悪くさせていないようだ。


「…何でもない、誰にでもある道だったから、感動するとか、勉強になるようなことはないわ」

「教えを乞いたいわけではないです。あなたを知りたいと思って…」

「……」


私を?知りたい?切なくなった。

私のことを気にかけてくれてるということが、こんなにも嬉しいと思わせてくれるなんて。

もちろん、子供達は私を気遣ってくれてた。でもそれは家族だから。他人の、しかもさっき出会ったばかりの人に、そんな風に言ってもらえるなんて。

もしかしたら、本当に何か裏があるのかもしれない。 次の日に、こんな変なおばさんいたんだと、笑い話にされるのかもしれない。でも今まで見せてくれている彼は、そんな人じゃないと思える。

もし、それでも…それでもいいと思った。

今、この人の私をまっすぐ見る眼差しと優しい顔は、私の心を満たしてくれていたから。


「普通に結婚して子供ができて、子供が自立したら夫婦二人になったら、趣味などしながら過ごしていくと思ってました。でも10年ほど前に体調を崩してしまい、全てが思っていたのと変わってしまっていて…初めは何が起こってるかわからず、体にいろんな症状が出始めて、今は大丈夫でも数分先、急に悪くなったりということもあって、外へ出るのが怖くなりました。でも時間と共に、自分も調べたり慣れたりもあって、なんとか過ごしていたんです。

ただやっぱり、子供には以前よりはるかに遠くへ出かけるとか、遊びに連れて行ってあげるとかできなくなって可哀想なことをしました。

ある程度大きくなったら、友達と遊びに行ったりもしていましたが、娘は私に、推し活の場所へ一緒に行ってほしいと望んでくれて…どうにかそれくらいはしてあげたいと頑張って行ってました。食事をする時はたいてい娘だけ食べて、私はお茶だけとかして。それに、それは自分にも自信になったし、楽しくもありました。

息子は男の子なので、そう付いてきてとかはなかったけれど、旅行へ出かけるというのも、ほとんど減ってしまってやっぱり不満はあったんじゃないかと思います。

二人とも何の問題もないと言ってくれたんですが、自分に負い目がある分、本当は違うはずって思ってたので、常に申し訳ないって…」


「辛かったですね…でもあなたの言うように、子供さん達にもっとこうできたらというのもあったかもしれないですが、あなたへのいたわりもあったし、頑張ってしてくれていたことも、ちゃんと愛をもらっていると分かってたはずだ。だからこそ、お二人とも立派に自立されてるし、今もあなたを慕ってる」


歩きながら話をしていたけれど、私の歩幅に合わせてくれていて、そっと私の背に手を添えてくれた、その部分が暖かかった。

とても。

だから、だから気づかなかった。

どうして、子供達がちゃんと自立して、わたしを慕ってるとわかるのか……


「ええ…素直で優しい子に育ってくれました。ありがとうございます。でも…こうなったことで…子供のことが満足にできなくなって、自分にとってあの子達が、どれほど大切か、今この時間がどれほど貴重か思い知らされました。

あの子達をちゃんと愛してた。それからはちゃんと愛情が伝わるように、言葉でも態度でも表してきたつもりです。ふふ、鬱陶しかったかもしれないけれど…

このことを知れたから、この体でも感謝するとか、そんな神様みたいなことは思えない。やっぱりなりたくなかった。でも気づけてよかったくらいは言えるかな」


立ち止まって、彼にそう告げた。

彼は優しく微笑んでくれてる。

誰かに聞いてもらえることは、癒しでもあり自分の心の整理にもなる。

話しに飽きてないか確認したくて歩きを止めて、彼を見上げれば、話の続きを待ってくれているのがわかった。

ゆっくり歩き始めた。


「友達とパン巡りもできなくなったり、少し遠い美術館へもなかなか行けなくなってしまって、周りの人が羨ましかった。当たり前と思ってた、日常も未来も当たり前じゃなくなって。

どうして自分がって…でも、ひとしきり泣いて、落ち込んだりしたら、メンタルはなぜかしっかりとして、これがダメだったら、次夢中になれるものを見つけようって。

だから、好きだった紅茶をもっと詳しく知っていったり、なんとか行けた美術館で、今までより貪欲に見入ったり。

出かけられたんだから、前もって調べてた紅茶の美味しいカフェに行って、余韻に浸ったり……

小説を読むのも好きになって、自分でも書いてみようと

。だってもし家にずっといるようになったら、何かできることが必要だと考えてたり。

フフ…落ち込む割には、自分が完全にダメにならないために何かをって、すぐ思えたりするんです。こういう時は、そういう自分はいいなと思ってました」


「あなたを見てると、一生懸命まっすぐ生きているのを強く感じます。素敵です」


どう返していいか、戸惑っていると続けて聞かれた


「ご主人は?」

「あの人は……私がこうなった始めは、色々やってくれたりしていたと思います。でもいつまでも治らなくて、私は不安でたまりなくなり、子供がいないところで思いを泣きながら伝えたら、なんで心療内科に行かないのかと苛立ったように言われました。凄く突き放された思いでした。

……でも仕方ないとも思います、いつまでも病人のような状態だったから、いつまでこうしていないと、いけないのかっていう気持ちにもなるのも…」


私の背に添えられた手は、そのままでけれど、動いて大丈夫という風に、さすってくれた。


「私に対して怠けてるとか気が緩んでるとか、そんな責める言葉を、一切言わないでいてくれたことには感謝しています。

心では、働いてほしいと思ってたかもとは思うんです。申し訳なかったと…こんなはずじゃなかっただろうなぁと。

…でも寄り添ってくれることもなくて。

心が辛くて怖くてどうしようもなくなった時だけ、その思いを…あの人に口にしてしまうんですが……何も言わず、少し長くなると、もう切り上げたそうにしていて…」

「悲しいですね……」

「なんと言えばいいかわからない、というのもあったと思います。私が勝手にそういう気持ちだろうと思い込んでる部分もあるかも。

でも、その後何か言ってくれるでも、態度で示してくれるでもなくて……ふふ…私って何様なのかしらね」

「え?」

「ごめんなさい。話してて、いかに自分が可哀想なのかをアピールしてるみたいだなって。そんなつもりじゃないの」

「…はい、わかってます。あなたはそんなつもりじゃないのは伝わってます。大丈夫です」

「ありがとう」

「ただ、ただ…そばでこんな風にして欲しかったですよね」


そう言いながら私の背を、優しくゆっくり撫でてくれている。

そう……そうだった。涙を止める事が出来なくなった。彼から渡されたハンカチで、受け止める。

それを見た彼は私を、休憩用の大きな岩にタオルを敷き、座るよう促してくれた。

彼はずっと私の背中を、優しく温めてくれていた。

私のこの苦しみをわかってとか、そんなことは思わなかった。だって、この辛さや傷みは、経験していないと分からないって知ってたから。たとえ同じような思いをしても、やっぱり人によって違うから。


「そう…でも私より辛い人は、たくさんいて、私よりしっかり受け入れて、前向きに生きている人はたくさんいて。

私なんか、まだまだ幸せな方だということもわかってるつもりだったんですけど」


わかってた。

テレビや他の情報系で、命の終わりを迎えようとしている人や、大変な病気、情勢に巻き込まれてる人達……もっと辛い人はいるから、自分はこれぐらいのことで表だって辛いっていうのは、おこがましいと。

それに、こんな体になったから、わかる気持ちもあった。

人の優しさとか、とても心に入ってきてありがたかったこと。今までよりしっかり感じられて、心からありがたいと思えた。


「それでもしんどいなら、しんどいと言っていいんですよ」

「……」


ポンと背中を優しく叩いて告げてくれた。


「誰彼に言う訳じゃない。あなたがもたれられる人に言うのは、何も悪いことじゃない。

あなたも泣いていいんだ。生きてるんだから」


私をまっすぐ見て、許していいと、許されると言ってくれた。

私がずっと欲しかったこの気持ち。

寄り添ってくれるという安心。

でも、本当はわかってる。人は結局、一人なんだ。誰かに縋りたくなって、縋ってしまったとしても……その辛さ傷みを乗り越えるのは、自分のちからでないと乗り越えられない。誰に変わってもらう事もできない、自分だから……

また自然と涙が溢れ出した。止められなくて…そんな私にいいんだと頷いてくれ、片方の手は変わらず背中を撫でてくれ、もう片方の手は、膝の上に置いている私の手を、優しくそっと包んでくれた。

その手は暖かかった。

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