第2話 魔王のいない世界の勇者
俺は、ヒカリに手を引かれて石畳の廊下を走っていた。
前方からは、魔女のような老婆フィオナの「急げ!」という鋭い声が響いている。フィオナの足音は、見た目に反してやけに速かった。
(ふざけるな。俺が勇者?)
頭の中は、先ほどの出来事から一歩も前に進めていない。
――贄。
――貧弱。覇気もない。
――『不釣り合いな対比』。
自分の身に起こったことを現実として受け止められない。俺が「違う世界に行きたい」と願った結果が、他人の命を踏みにじるという、この血腥い現実だった。ユウという人間が、どこまでも呪われた存在であるかのように感じられた。
目の前の光景も、手に負えない現実だ。命を奪った魔法陣、いまだ微かに残るお香のような異様な匂い、そして隣を走るヒカリの力強い横顔。彼女の腕は細いが、握られた手のひらから伝わる体温と力が、俺を無理やりこの非日常へと引っ張り込んでいるようだった。
異世界に来てまで、俺はヒカリの背中を追いかけている。
いや、それ以上に最悪だ。俺は、他人の命を奪う「勇者」という名の災いとしてこの世界に来てしまった。
「ユウ、どうしたの?足が止まってる!」
ヒカリが心配そうに振り返る。俺は小さく首を横に振ることしかできなかった。何も言い返せない。こんな状況でさえ、俺は自分の足で立つことさえもできず、ヒカリに依存している。
(この世界で、俺は何の価値があるというんだ……。どうせ俺は、ヒカリの光を引き立てるだけの、ただの影だ)
フィオナに連れられ、巨大な石造りの建物の中を駆け抜ける。重厚な石壁には、複雑な魔術的な紋様が彫り込まれており、それがこの都市の歴史と異質さを物語っていた。
通路の窓からは、ゴツゴツとした岩のような体躯を持つ魔獣が、上空を編隊を組んで飛行している影と、それを迎え撃つ魔法使いたちが放つ、青や赤の光の奔流が垣間見えた。
「ガアアア!」という異形の咆哮と、魔法が炸裂する衝撃音が、石造りの壁に反響し、胃の腑にまで響き渡る。
俺たち二人は、建物の中心にある、一番広く扉の数が多い食堂に連れていかれた。ここは、一時的な避難場所だという。食堂と言っても、日本の学校のそれとは違い、石と木で造られた荘厳なホールのような場所だった。
「ユウ。大丈夫だから。いざとなったら私が守るから」
ヒカリはそう強がっていたが、魔獣の咆哮を間近で聞き、その肩は小さく震えていた。彼女がどんなに強くても、目の前の現実はあまりにも非日常的だ。
俺はこういう時なんて言ってあげればいいんだ。
(一緒にいるから大丈夫。俺に任せろ。俺も勇者だ守ってやる)
そんなセリフは、成績優秀で運動神経抜群、何でもこなすヒカリにこそ似合う。口から出るのは、情けない沈黙だけ。なんでいざという時何も言えないんだ。自分が情けない。
怯えて、薄暗い食堂の隅で数時間が経った。外の騒がしかった魔獣の咆哮や魔法の爆音は、まるで誰かが音量を絞ったかのように、急速に静かになっていった。まさか、防衛線が敗れたのか?それとも――。
俺は意を決して食堂を出て、外の様子を窺うと、たくさんの魔法使いが地面に座り込み、疲れ果てていた。危機が去った、その安堵感が広がる中、俺の全身にぞくりとした鳥肌が立った。
言葉では説明できない、何か強烈な力が、俺の存在そのものを根こそぎ「引きつけようとする」ような、意識とは無関係な生理的な感覚。
あの召喚時にフィオナが言った「何か引き付けられるものがある」という違和感と同じだ。
体が勝手に、その違和感の方向を向いた。遥か上空、黒い雲を突き破って、神々しい黄金の光が、夜空を貫いていた。その光はあまりに巨大で、この魔術都市全体を照らすほどだった。あれが、この世界の英雄なのか。
次の瞬間、俺の全身を支配していた「引きつけられる」感覚は、唐突に糸が切れたように霧散し、魔獣の脅威も完全に消え去った。何もかもが、一瞬で終わったのだ。
魔獣の脅威が消え去り、数日後、一報が届いた。「黄の国の王が魔獣を放ち暴走。英雄アレスにより撃退。以降英雄の逆鱗と呼ぶ」
こうして勇者二人の魔王討伐という大役は、英雄アレスの活躍によって、俺たちが何もできないまま、あっけなく無くなってしまった。
芝生の上で空を見上げながら、ユウとヒカリは語り合っていた。周囲には、戦いの痕跡が残るものの、魔獣の襲撃があったなんて、嘘のような賑やかさだった。まるで元の世界の学校に戻ったようだ。
「なあ、俺たちどうなるんだ?」
ユウはこの後自分たちの身がどうなるか、極度に心配していた。
「ん~どうだろう。用もないし、追い出されちゃうのかな」
ヒカリは冷静だったが、その瞳の奥には不安の色が滲んでいた。
フィオナが心配そうに近寄って来る。
「ホッホホ。何を心配するか。このまま魔術都市で面倒を見るわ。二人を帰そうにも、転移魔術の刻印が消えてしまって、どの世界から来たか。わからんのじゃ」
「ちょっと待ってくれ。俺たち元の世界に帰れないのか。一生このまま……」
元の世界。毎日繰り返される補習と、ヒカリの背中を追うだけの退屈な日々。それでも、そこには見慣れた自室、母さんの小言、隣のヒカリの家があった。
もう二度と、あの場所に戻れない。その事実が、ユウの心臓を握り潰した。
故郷を奪われ、他人の命の犠牲の上に立たされ、役目も失った。俺たちは、ただの異物だ。
フィオナの言い分はわかる。だけど、知らない世界に落とされて、魔王はもういません。あとはご自由にって。そんなのってあまりに無責任すぎる。
絶望に打ちひしがれるユウの隣で、ヒカリはまっすぐフィオナを見据え、一歩前に出てお願いする。
「あの……ここって魔法や魔術の学校なんですよね。私たちに、入学させていただくことは出来ますか?」
ヒカリの瞳は、デザイナーになるという夢を持っていた時のように、強く輝いていた。
フィオナは笑って返した。
「もちろん。二人ともいいぞ。学んでその後の人生を決めるといい。キャンバス大陸は広い。いずれ世界を見て回るもよし、この都市で魔法を極めるもよし」
ユウの心に、わずかに光明が差した。帰れなくても、この世界でヒカリと一緒なら、魔法を学べば、何かできるかもしれない。彼女の隣に並び立つ力が、もし手に入るのなら――。
こうして二人の勇者は、魔王討伐から一転、魔術都市での学園生活を始めることになった。
まず、学校の施設で清潔な衣服が支給され、教科書も無料でもらえた。制服は日本と少し似ていた。男は学ランにローブ、女はセーラー服にローブを羽織るといったものだ。
授業に参加する前に、フィオナにこの世界の常識を教わっていた。
能力を持つ人間は、物理的な破壊を伴う放出系、自己の身体能力を極限まで高める強化系、獣の特性を得る獣化系、空間を捻じ曲げる空間系、未来予知や読心術の念視系、物質を生成する物質系の六つの系統に分かれること。
そして、ユウの能力をフィオナが鑑定した結果、念視系の「魅了」であることがわかった。
「念視系?…魅了?」
ユウは絶句した。
「まさか、あの光に引き付けられたのは…俺の能力の片鱗だったのか?」
「そうじゃ。稀有な能力じゃが……戦闘には全く向かん。お主らしいといえばお主らしいのう」
フィオナは困ったように笑った。
勇者のようなすごい能力じゃない。「魅了」なんて、一体どうやって魔王を倒すつもりだったんだ。もし魔王が生きていたら、俺は「魔王を魅了して降参させる」とでも言うのだろうか。希望が砕け散る音を聞いた。
一方、ヒカリはというと、どの六大系統にも属さない「錬金術」の才能があることが判明した。これは、通常一族からしか派生しない特殊な特異な能力で、古代の文献にしか記録がないほど希少だという。
出たよ。ここでも希少で優秀な能力をゲットしちゃうんですか。
せっかく異世界のチート能力生活が始まると思ったのに、あっという間に差を付けられた。
ユウとヒカリの、不本意な異世界学園生活が、今、幕を開けた。




