第三話 これまでとこれから
約束の品が出来上がったのは、あれからちょうど三日後の昼だった。コツを掴むまでに二回ほど失敗して材料を無駄にしてしまった。なんとか換えの利かない最後の部分は一度で仕上げられ、ほっと胸を撫で下ろした。見栄えを確かめて、これでいいと思える出来になったけど、あの方は気に入ってくれるのだろうか。
この三日間、月華様とは食事の時ぐらいしか顔を合わせていない。いつものように身の回りのお世話をしようとしても、月華様が「本当に三日で出来るのか?」とか「俺のことはいい。お前には他の仕事があるだろう」とか、話すたびにそわそわしているのが伝わってくるので、私は自分の部屋で黙々と手を動かすしかなかったのだ。
「月華様」
どきどきしながら、仕事部屋の戸を開けたが、そこに月華様の姿はなかった。他も探してみたけど、私が知るどの部屋にもいなかったので、もしかしたら庭にいるのかもしれないと、出てみた。
月の宮を上から見ると、北に私たちがいつも過ごしている本殿があり、南に庭が広がっている。庭の中央には細かな砂利の敷かれた広い道があり、道の東にはある花園が設けられている。四季折々の花で彩られた園の中程に四阿があり、以前月華様はその四阿で一服するのが好きだと話していた。この反対側の西にあるのは稽古場で、月華様は最近よく此方で鍛錬されているのだとか。
どちらにいらっしゃるだろうと悩んでいると、稽古場の方から音が聞こえ、窓から人影が動くのが見えた。月華様だ。私は稽古の邪魔をしないようにと、そっと戸を開けて中に入った。脇には木刀や畳が立てかけてあり、奥には木彫りの像があるのが見えた。
月華様は中央で神楽を舞っていた。扇を持ち、切れのある動きを繰り返して移動したり、時にかけ声とともに高く跳び上がったりする。その様は、目を見張るほど美しく、心をとらえて離さないほど魅力があった。
動きが少し緩やかになったかと思ったら、立ち止まってふーっと長く息を吐いて扇を仕舞い、奥の像に一礼をした。神楽を終えられたようだ。
「真那」
手拭いを取り出して、汗を拭きながら月華様がこちらに歩いてくる。私が入ってきたのはわかっていたみたいだ。
「あの、約束の物が出来上がりました」
そう口にしてから、自分のやらかしに気がついた。仮にも婚姻の印の品だというのに、箱や袋にも入れず、むき出しの状態で持ってきてしまっていた。
「そうか、すぐに付けられる物か?」
月華様は稽古の後ということもあってか、いつにも増して気分が高揚しているようだった。
「まず気に入っていただける出来かどうか、見てみてください」
「なぜ」
月華様は可笑しそうに言った。
「なぜって」
「お前が心を込めて用意した物だろう。受け取らぬ理由はないと、言っておいたはずだが?」
自信がないわけではないけれど、それでも趣味に合わない物だったらどうするつもりなんだろう。嫌ではないのだろうか。
「それで? どのようなものを拵えたのだ」
わくわく、という表現がとても似つかわしい表情で、月華様に覗き込まれ、私は緊張しつつ、そっと手の中の物を見せた。
「ほう、真珠を使った耳飾りか」
もらった指輪の色と、私がたまたま持っていた真珠の色が似ていたから、真珠で何か作るのはすぐに思いついた。目立つものを、という月華様からの言葉で、耳飾りになったのはいいけれど。
「なるべく男性が付けても見劣りしないよう、房など付けて工夫はしましたが…」
先ほどの神楽ような大きな動きの際には、外れてしまうかもしれない。
「なるほど、少し触るぞ」
月華様がすっと耳飾りの金具部分に指先を添えると、釣り針のような形に変わった。王の力というのは大したものだ。でも、これをどうするのだろう。
「ああ、じっくり見せたことはなかったな」
そう言って屈み、自身の左耳を見せてくださった。
「これは古傷ですか?」
耳たぶに針で刺したような穴が一つ見えた。
「傷ではない。ここに…」
と言って、先ほど耳飾りに付け足した針のようなものをするりと穴に通した。
「どうだ、様になるか?」
月華様が背筋を伸ばすと、耳元でゆるりと動き、柔らかく光を返す真珠が、その下につけた濃紺の房が、目立つでもなく馴染んでいた。私は耳飾りが月華様を引き立てていると、こくこくと二度頷いた。
「では、これで良いな」
そう言って、再び指先に神力を込め、釣り針のようだった金具を輪のように繋げてしまった。
「え!」
「なんだ」
月華様はわかっていて聞いてくる。憎らしいほど、いい笑顔だもの。
「それ、ちゃんと取り外せます?」
「外す必要がどこにある?」
いろいろと不便があるでしょう。寝る時など邪魔にならないと思ってらっしゃるのだろうか。
それにもし、私に何かあったらどうするのだろうか。婚姻したとは言え、従者からの贈り物をそんなに目立つ場所に付けて。ちょっとやそっとでは取れないようにして。私の命は、どう抗っても王である月華様の命より、ずっと軽いというのに。
額を押さえていた私の手を引いて、月華様が抱き寄せる。
「これで名実ともに夫婦になったわけだ」
「月華様って、私のことだいぶお好きですよね」
耳に当たる胸の鼓動が、とくんと大きくなった気がしたのは、たぶん本当。
「この際、聞いておきたいんですけど、懐かしい香りの人ってどなたですか」
ぴくっと小さく肩が跳ねた。
「まあ、何を言っても、もう私はあなたのもので、あなたは私のものですけど、ね」
月華様の背に腕を回すと、月華様はぎゅーっと抱きしめ返してくる。
「気になると言うなら、今夜にでも話すが…」
珍しく歯切れの悪い言い方をするので、私はなぐさめるようにその背中をぽんぽんと打った。
「楽しみにしています」
そう言う私の頬に月華様が触れ、見上げると目を細めているので、私はそっと目を閉じて口付けを受けたのだった。
夜になり、月華様の寝所へ参じると、月華様は飲み物を乗せた盆を持って廊下に出た。そして隣りの部屋に入るよう、私に目配せした。
いつもは何も恐れるものなしと言わんばかりに、毅然としているこの方が、夜は柔らかな落ち着いた表情で私を迎えてくれる。この夜の、どこか甘い雰囲気の月華様を見ると、私は胸が苦しくなって、そわそわしてしまう。特に今日は横顔を見ても目尻に色香が滲んでいて、気を抜くと、ほうっと息がもれそうになる。いけない、いけないと自分の頬を手で挟んでいると。
「さて、何から話すか」
月華様は部屋の窓際にあった低めの長椅子に腰かけ、足を組んだ。夜着から筋肉質な足がのぞく。私は隣りに座るか、盆の置いてある机を挟んで正面に座るか考え、思い切って隣りに腰かけた。甘い匂いが、月華様の手にある杯から鼻先をくすぐった。酒の匂いも混じっているところから、果実酒ではないかと見当をつける。
「長くなるが、俺の出自から話すか」
私をそっと見下ろしてくる月華様の瞳に、儚さを覚えた。単なる気のせいかもしれないけど。
「俺の父も母も王だが、月華の王ではない」
「……」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「?!」
一拍遅れた私の反応に、月華様は苦笑いを浮かべる。王同士で関係を持つことも珍しいけど、どちらも月華の王ではないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。
「父は光華の王、母は海洋の王だ。俺は望まれぬ子だった。見かねた先代の月華が、俺を引き取り育て、今際の際に自分の跡を継ぐよう、俺に言った」
私は間抜けにも口を半開きにしたまま固まってしまった。先代の月華の王が、別の王の子を次代の王に据えたということだ。摂理が曲がらないか、何か不穏なことが起きないか、王のことをさほど知らない私などは、そんなふうに考えてしまう。
「あ、もしかしてこの宮に従者がいないのは…」
月華様は「うむ」と頷いた。
「俺が王になると聞くや否や、何が起こるかわからん、恐ろしいと、皆出ていった」
あきらめたような、少し呆れたような様子で月華様は肩をすくめた。
「どうして、一人も引き止めなかったんです?」
引き止められれば残る従者もいただろう。月華様が何もしなかったから全員が出ていかなければならなくなったのではないだろうか。そう考えるのは、浅はかだろうか。
「月華の王として、十分な力を示したかったのが一番の理由だな。正直、従者など飾りだと思っていた」
月華様をよく知らない人なら、その言い分で十分納得できただろう。けれど、私はこの方を他のどの王よりも、従者よりも、近い場所で今まで見てきた。
「本当のところ、月華様にも何が起こるかわからなかったんじゃないですか。だから、なるべく人を遠ざけたのでしょう?」
私は月華様の胸に手を添えて言った。月華様はその手をとって口付けを落とす。
「どうだろうな」
私は思った。この方は他人に興味がないのではない。自分に興味がないのだ。
「お前がここに来て、あの夜俺に告げるまで、俺は俺というものを知らなかった。わかっているつもりでいた」
表情を見られまいとするかのように、そっと抱きしめてくる月華様。贈った耳飾りが私の頬に当たった。
「お前に再び巡り会って、俺は自分が見えるようになった」
私は「え?」と聞き返した。月華様は顔が見えるようにし、こう私に尋ねた。
「王の力の話を覚えているか」
それは、まあだいたい覚えている。たしか、そのものの本質を感じとることができるという話だったはずだ。
「長い時間のどこだったのかは俺も覚えてはいないが、俺が俺になる前、そしてお前もまだ今のお前ではなかった頃に、俺たちは会っている」
いつになく真剣に、月華様が告げる。
「俺が懐かしさを覚えたのは、お前の魂から香る、以前のお前の気配だ」
また私はしばらく黙って月華様の話してくださったことを飲み込もうとした。
「つまり、その…」
何か言わなければと言葉を探していると。
「お前が生まれる前の自分など自分ではないと言うなら、仕方がないな」
月華様がくすっと笑う。
「その嫉妬、俺は楽しませてもらおう」
「し、嫉妬…っ?」
声が裏返り、顔が火照る。私は嫉妬していたのか。しかも過去の自分に。パクパクと口を動かしていると、月華様はぽんぽんと私の背中を打って落ち着かせようとした。けれどその夜は、月華様の顔を見ることができないまま、自分の部屋に逃げ帰ったのだった。
翌日、やっとどうにか落ち着いて、いつも通りにしようと心頭滅却しつつ、食事の片付けをしている時だった。
「ところで、この真珠は誰から受け取った物だ?」
月華様が尋ねた。端から私に真珠を渡した人物がいるとわかっているような口ぶりが、少し不思議だった。けど、月華様は何か知っているのかもしれないと思い直した。あの真珠は、桜花様の母である先代の桜花の王からいただいた物だった。
あるとき突然、先代が倒れられ、私が枕元に呼ばれた。なぜ一介の従者だった私が呼ばれたのか、今でもわからないが、「あの子をお願いね」という言葉とともに託されたのが、あの小さな真珠一粒だ。先代はその後すぐ意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。
思い返しながら月華様に説明すると、「なるほど」と呟いて、しばらく黙った。自分の指先に視線を落とし、ゆっくりと瞬く。どうやら、それがこの方の考えている時の癖のようだ。
不意に顔を上げ、湯呑みを手に取ったと思ったら、お茶を飲んだ。
「一度、創世宮に足を運ぶか」
まるで何事もなかったかのように、月華様が言った。
私がここに来てから、月華様は一度も創生宮に足を向けていない。気がつけば、二つの季節が過ぎようとしていた。
そもそも、桜花様のように月に何度も創世宮に通う王が珍しいのだ。それなりに姿を見せる王でも年に二、三度で、月華様のお母上だという海洋様や時空間を司る次元様などは、お姿を拝見した記憶がない。私が桜の宮の従者として創世宮に参じるようになったのが、意識をもってから五年ほど経った頃なので、少なくとも十五年以上、創世宮に来ていないということになる。王によって寿命も違うようなので、時の感覚も違うのかもしれないけれど。
そこまで考えて、私はある懸念を抱いた。
「あの、月華様…」
急に青ざめた私を心配するように、月華様は近くまで来て体を支えた。
「もしかして月華様のご寿命は海洋様のように長いのですか」
思いもかけない問いだったようで、月華様は目を見開いた。
「それは…考えたことがなかったな」
心臓が嫌なふうにどくどくと打った。海洋様の寿命がどれほど長いかは知らないけれど、月華様のお父上である光華様より年上だと聞いたことがある。光華様は今年、還暦を迎えられる。何度か創世宮でお見かけしたことがあるが、体のがっしりした年相応の男性という感じだった。
海洋様のことは、噂でしか知らないけど、月華様や雪花様と同じようなご年齢に見えるらしかった。
「俺の寿命が長いと、不都合があるのか?」
不都合、という言葉に、違うと思った。私は、きっと嫌なのだ。月華様と夫婦になったから。ただでさえ、一緒に生きてゆくのが難しいほど身分が違うのに、私にもしものことがあれば、月華様は長い時間を過ごしてゆくことになる。私が知る術のない、長い時を。その間に、私が知らない誰かが月華様と添うことだって…。
「わかった。そのことを調べるためにも、創世宮へ行く」
月華様ははっきりとした口調で私に告げた。
「明日、何名かの王に文を出す。創世宮に来られたし、と。実際に姿を見せるかわからないが、何か聞けることはあるだろう」
月華様がちゅっと音を立てて私の唇に自分のそれを合わせる。温かい吐息と確かな感触に、不安がわずかに薄れるのがわかった。
「ごめんなさい」
私は自分の勝手さを恥じた。月華様は聞こえていない振りをし、私を抱き寄せ温めるように、優しく背中を撫でていた。
いかがでしたでしょうか。
次回の第四話は「再び創世宮へ」となります。
今回、建物の名称や呼び方を調べるのが大変でした。
まだまだ知らないことがたくさんあるなぁと思いました。
では、また次の物語でお会いいたしましょう。