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ポンダ  作者: 後藤章倫
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⑥大和

 調べる、とシンゴに言ったものの、コウノさんはアパートへ毎日帰って来る訳では無かった。ジュンさんとの関係もいまいち分からない。夫婦と言われればそうなのかもしれないけど、男女の関係とかそういうものは感じられない。ジュンさんの保護者がコウノさんで、コウノさんの身の回りの世話をしているのがジュンさん。そんな感じだ。俺はジュンさんと毎日のように店で働いた。ジュンさんと同じところに住んでいるのに、家では殆んど顔を合わせる事もなく、食事も別々にとっていた。今では、店に行く前にヤグチでご飯を食べてから出勤するのがルーティンとなっていた。

「はいよ、唐揚げ定食な」

北村が運んできた唐揚げ定食は、いつもより盛りが良かった。この時間帯、ヤグチに客が居る事は少ない。

「マスターがサービスだと」

そう言う北村の顔が少し窶れて見えた。髪をピンクにしているのに、北村はいつもヤグチで働いている。本当はバンドをやりたい筈なのに、いつまで経ってもそうはならない気がした。まさかこのままヤグチで働き続け、この店を継ぐなんて事にはならないと思うけど、北村はどうしたいのだろう?でもそれは、俺もそうだ。成り行きでこの街に来て、成り行きで今の生活をしている。唐揚げ定食を食いながら、この先の展開を想像してみたけど、直ぐに分からなくなった。

「ごちそうさんでした。今日も旨かったっす」

会計の時、厨房にいるマスターまで聞こえるように声を張った。今ではマスターとも、忙しい時間に手伝いにくる奥さんとも顔馴染みになっていて、北村も働いているヤグチは妙な家庭感があった。

 店に着くと、丁度ジュンさんも来たところだった。二人で開店準備を始めた時に、今じゃなくてもいい事を言ってしまった。

「俺、部屋を借りようと思って、だからアパート出て行くんで」

「エッ、ナンカアッタノ?」

「いや、何もないけど、いつまでも居る訳にはいかないかなって。あ、仕事は続けます」

と、言ったものの、そうなんだっけ?とも思った。俺は次の休みに、北村が教えてくれたユルい不動産屋で部屋を借りた。住所でいうと中野区なんだけど、、アズミちゃんがやっている美容室デストロイもある大和町だから、高円寺までは歩いて直ぐだ。結局、引っ越しまでコウノさんと会う事はなかったけど、その日は久しぶりに閉店間際にコウノさんがやって来て、カウンターへ腰をおろした。

「コウノさん、お礼も言わないまま出て行ってすんませんでした」

コウノさんは左手を少し挙げて笑みを見せた。

「ちょっと仕事ば、やってもらうけん」

そう言えば、初めてこの店でコウノさんに会ったあの夜、コウノさんとジュンさんの部屋で仕事の事を言われたけど、あれから数ヶ月経った今まで、店以外の仕事を指示された事はなかった。そして、矢張りコウノさんは俺の田舎のイントネーションだ。

「明後日、大和に行って貰う。詳しい事は、明日の夜にここで言うけん」

俺にはその仕事をやらなければいけない義理があるのだろうか?あの夜、一緒に住んで良いなんて言われて、そのまま数ヶ月を過ごしたのだから、やらなきゃいけないのだろう。

「大和って、横浜の方の?」

「そう、知っとるのか」

大和という地名を聞いたら、急にシンゴの顔が思い浮かんだ。翌日、コウノさんはいつもより早い時間に店にやって来て、そのまま厨房の奥にある食品庫へ入っていった。店は結構混んでいたけど、ジュンさんが俺に目配せをしたから、コウノさんが入った食品庫へ向かった。食品庫といっても畳二畳程の狭いところで、裸電球が上から吊り下がっているだけの空間だ。コウノさんは業務用油の入った一斗缶に腰を下ろしていた。

「小田急の大和駅を出て右へ行くと、四階建ての茶色い雑居ビルがある。そこの二階にある男用の便所に四時半きっかりに行って欲しか」

「そこで、なんばするとですか?」

「S.A.って奴が居るから、そいつから封筒ば受け取って、それを新宿まで届けてくれ」

「エスエー?」

「鬼束梵次って言えば良いけん。新宿のライブハウス、ノックアウトの前に七時な」

まさかコウノさんの口から、ライブハウスとかノックアウトって言葉が出てくるとは思わなかった。


 翌日、少し早めに高円寺を出た。大和を出て右、茶色のビル、二階の便所、四時半と繰り返しながら、新宿で小田急線に乗った。何となく犯罪に片足を踏み入れたような感覚がしたけど、テレビや映画じゃあるまいしと思い直し、急行片瀬江ノ島行きの車窓から世田谷あたりの街並みを見ていた。それにしてもエスエーという人物は、どんな奴なんだろう。ウトウトしていたと思ったら、しっかりと寝ていたみたいで、電車は相模大野を出たところだった。大和で下車すると、時間はまだ午後三時前だった。前に乗り換えで使っていた駅だけど、初めて大和という街へ降り立った。とりあえず右へ歩くと、直ぐに茶色の雑居ビルが見えた。そのビルをやり過ごし、カレー屋の隣の昔ながらの喫茶店へ入った。店内を軽く見渡すと、あのフォルムが目に入ってきた。忘れもしないあの感じ、後ろ向きなのに確実性があった。そこで幼い女の子と向き合っていたのは、Yだった。

 あいつ独身やよな?そもそもあんなのと一緒になろうなんて人類は居らん。あの子なに?やけど、あいつはYで間違いない。

 適当に、Yの顔が見える席へ座る。やっぱりYだ。コーヒーを注文して、暫く動向を伺っていると、女の子の母親らしい人が席へと戻ってきた。まさかYがこの人と、アッチャフンアッチャフンして出来た子でもないだろう。女の人を見てみると、啜ったコーヒーを吹き出しそうになった。フォルムがYと一緒で、髪も天然パーマでヤバかった。どう見てもYの兄妹だ。てか、あいつ、普通に生きとるやんけ。もっかい傘で突いてやりたくなる。あの子を壊すと、あいつ発狂するやろな。変な考えが憎さのあまり顔を出す。でも、あの子も母親も関係ないしなぁ、いや、あの母親はYとそっくりやし、育ってきた環境も同じやろうしと、次々に考えが進む。Yに対する憎悪が、ここまで大きかったのかと再確認した。

 Y達が席を立つ、俺の横を通り過ぎる時に一瞬目が合った気がしたけど、Yは気付いていないみたいだった。まぁ、勘弁したるわ。そう思ってまたコーヒーを啜った。時間は四時を過ぎようとしていた。ここから、あの茶色い雑居ビルまでは直ぐだけど、余裕を持って行こうと会計を済ませ店を出たところで、肩を組んでくる者が居た。

「痛いんだけど」

Yはそう言って自分の腹を手で覆った。

「痛い?」

「お前が突いたじゃーん、傘で突いたじゃーん、警察呼ぶぞぉ」

こんな奴に構っている場合じゃない。

「俺、急いでいるから」

Yを交わして進もうとすると、後ろから腕を掴んできた。数軒先の本屋の店先に、女の子と母親が楽しそうにしている。俺はYの手を振り払って本屋を指差した。

「かわいい子だね、あんまりしつこいと」

「お前、何言ってんの?」

「そういう事、じゃ急ぐんで」


 Yのせいで、時間が迫っていた。茶色い雑居ビルは直ぐそこだ。早歩きでビルの中へ入り、階段で二階へ向かった。二階に着くと、トイレは階段の直ぐ脇にあった。四時二十八分、コウノさんは四時半きっかりにと言っていたけど、早い分には問題無いだろうと男子便所へ入った。小便器が五台、等間隔に並んでいて、その向かいにパーティションで仕切られた大便器用のスペースが三ヶ所あって、真ん中の扉だけ閉じていた。つまり人が居るという事で、今ここへエスエーという奴が入ってきたらマズイんじゃないかと思った。水を流す音がして、その扉が開いた。出てきた人間は、良く知る者だった。

「やっぱお前やったか、あいつが来るかもとも思ったけど、来る筈ないわな」

「シンゴ、何でお前がここに?」

「S.A.」

「エスエーて、え?お前がエスエーなん?」

「で、お前が鬼束梵次やろ」

「一体どがんなっとるとか?シンゴ、ん?あ、アカマツ。シンゴアカマツか」

便所の入り口が勢い良く開いて、息を切らした奴が特殊警棒片手に入ってきた。

「おまえぇ、もう逃がさねぇかんな」

「誰これ?」

シンゴが知らないのは当然だけど、説明しているような状況でもなかった。Yの目はイッていた。すぐさま俺を目掛けて特殊警棒を振り下ろしてくる。シンゴがYの後ろへ回り込み羽交い締めた。

「はなせ、はなせ、何だお前は?」

Yは、みっともなくバタバタとしていた。手にはまだ特殊警棒が握られてはいたけど、その効力を発揮する事はできない。俺は躊躇なくYの肝臓あたりを思い切り複数回殴った。便所の床に乾いた音がして、特殊警棒が転がり、Yも崩れ落ちた。

「なんやこいつは?」

「前の職場の、なんちゅうか先輩なんやけど」

俺はシンゴに、コレの事をどう説明していいのか分からなかった。それからYを、シンゴが出てきた真ん中の便所へ引きずり入れ、中から鍵をかけてパーティションを乗り越えた。

「俺な、仕事中で、もう行かんとやから」

シンゴはそう言って俺に封筒を渡した。俺もこんなところでYに関わるのはゴメンだったから、封筒を受け取り、二人で便所を出た。シンゴはそのまま階段を駆け上がり上の階へ、俺は下って大和の駅へと向かった。


 Yの介入でシンゴと話が出来なかった。それに、この渡された封筒は何なのだろう。シンゴは何の仕事をしているのだろう。コウノさんとシンゴは繋がっているのか?いや、そんなわけは無いと思うけど、コウノさんが鬼束梵次だとしたら、義理の親子という事か。ただでさえ訳が分からないのに、Yが絡んできたものだから更にこんがらがってしまった。


 ノックアウトの前に居たのは、コウノさんではなかった。見た目は普通のサラリーマンが二人、俺に気付くと、「鬼束梵次さんですか?」と尋ねてきた。俺が頷くと、コウノという人から頼まれて封筒を取りに来たと手短に言いながら、周りを気にしている様子だった。俺から封筒を受け取った二人組は、パーキングに停めてあった白のセダンに乗り込みノックアウトをあとにした。七時までは、あと五分くらいあった。一応コウノさんに言われた仕事は終わったみたいだから新宿駅へ向かおうと歩き始めたところで、黒いスーツを着たコウノさんが向かいから走ってきた。

「おい、封筒」

息を切らしながら、いきなりそう言うコウノさんが少し焦っているのが分かった。

「さっき、コウノさんに頼まれたって二人組に」

「渡したとか?」

無言でいる俺の態度で察したのか、コウノさんは、「馬鹿タレが」と悔しさを滲ませたような声で言ってから、今度は駅と逆の方へ走って行った。俺は一体何に巻き込まれているのだろう。

 遅くなったけど店に行くと、普通にジュンさんがいて、普通にお客さんがいて、早い時間からやっている常連客から、「ボンちゃん遅刻だぞ」なんて声をかけられた。

「シゴト、ドウダッタ?」

ジュンさんが聞いて来たけど、曖昧な返事しかできなかった。夕方からのゴタゴタとは違い、いつもの時間が俺を落ち着かせた。


 俺の中での昨日のことが噓だったように、今日も店は営業を始めて、松さんやタキさん達の常連客で賑わい、そして営業を終え、店を閉めた。コウノさんの事が気になってジュンさんに聞いてみたけど、昨夜も帰っては来なかったらしい。

 翌日、開店準備をしているところに、スーツや制服らしいものを着た数人が入ってきた。その中には、いつも着古したスエットの上下で店にやって来る常連の松さんの顔があった。先頭切って入って来た奴が、ジュンさんの目の前に書類をかざした。ジュンは何も言わない。

「松さん、なにやってんの?」

俺の呼び掛けに、いつもと全く違う表情の松さんが、いつもと全く違う声のトーンで言った。

「前からマークしていたから」

松さんが着ているその制服には、法務省という文字があった。女の職員に両側を固められ、ジュンさんは抵抗する事なく連れて行かれた。

「ちょっと、松さんどういう事よ?」

松さんは何も言わず他の職員達と店を出て行った。松さんの事が腹立たしかったけど、突然の事に頭が追い付かない。ジュンさんはどうなるのか?少し前まで一緒に暮らしていた北斗荘へ行ってみると、辛うじて北斗荘と読める門扉のところに警察官が二人立っていて、アパートの中でも何かが行われている様子だった。昨日、俺は大変なミスをしでかしたのではないか?あの封筒は相当重要なものだったのではないか?俺のせいでジュンさんは連れていかれたのではないか?心臓が動きを早くした。


 ココロケア(被害者支援センター大和)という名称だと、シンゴが口を開いた。場所は、あの茶色いビル雑居ビルの四階だという。

「母ちゃんの事もあったし、そういうDVの被害者を支援したり、シェルターへの入居を手助けしたり、自立の後押しをする仕事たい」

俺はシンゴが何か良くない事をしているのかもしれないと、少しだけ疑っていたことを恥じた。

「いや、まて、そんならあの封筒はなんや?」

「あれはな」

シンゴが口を閉ざす。それから口を開けた。

「偽造書類」

「は?」

「あのな、」

そこまで言って、シンゴは何か考えているみたいだった。

「こういう仕事はな、綺麗事だけでは上手くいかん事もあるとよ」

「俺な、アレをコウノさんに渡さんといけんかったのに、スーツの二人組に渡してしもて、そうしたら次の次の日に店に七人くらい来て、ジュンさんが、あ、ジュンさんていうのがコウノさんと暮らしていた中国の人な。あの時に言うたっけ、そのジュンさんが連れて行かれて」

「そういう事やったのか」

シンゴは何だか府に落ちたみたいだったけど、俺はさっぱり分からなかった。

「丁度、俺が出た電話やった。そいつは鬼束梵次って名乗ったもんやから、直ぐにピンときた。苦虫のライブのあと、お前と話してたから良かった。その贋鬼束梵次は、そういう仕事をする時のS.A.を知っとった」

「シンゴ、お前何しよる?スパイ映画みたいやん」

「中国人の女を匿っているって、そう聞いた時に、俺は助けんばって思った。そもそも母ちゃんの事で、そういう人を助けるような仕事に就こうて、それで今の職場ば見つけたと。ココロケアはな、真っ当なとこやけん、ばってんな、仕事ばしていくうちに、どうにもならん事ともぶち当たって」

「どうにもならん事ってなんや?」

「DVとかやりよる奴が全員堅気やと思うか?」

俺は言葉が出なかった。

「そんなのの相手ばするには、あまりにも何も出来んかったわけよ。それで」

俺なんかが工場で空回りを繰り返している時、シンゴは成長していた。成長という言葉が適当なのか分からないけど、シンゴは俺の知らない別のレベルへ達しているみたいだ。そして、これ以上シンゴのそういう部分に触れるのは止めとこうと思った。

「あれは、在留資格認定証明書と在留期間延長の、」

またシンゴの口が閉じた。それから。

「偽造書類」

「偽造て?」

「本当は本人が大使館に行って手続きをやらんといけんのやけど、そうもいかんかったんやろ。だけん鬼束梵次は、そのコウノっちゅう奴はS.A.に連絡してきたんやろ」

「そんなら、俺が封筒を渡した二人組は?」

「入管の職員かなんかやろ」

俺の部屋で、ようやくシンゴとゆっくり話が出来たのだけど、それは、こどもの頃の思い出話なんかではなかった。


                 つづく

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