無音の追跡
「何してんだ、俺。」
福田を見失わないように距離を保ちながら、ぼそりとつぶやいた。ライブハウスで彼を見つけてから、もう一週間が過ぎている。気づけば、俺の“日課”は福田を追いかけることになっていた。
最初は偶然だった。福田を見た瞬間、目を疑った。ライブハウスなんて場所、あいつがいるはずない。どちらかと言えば、こういう騒がしい場所を嫌うタイプだったから。彼が好きだったのは、静かで落ち着いた空間。俺と正反対の嗜好を持つ彼を、ライブハウスで見かけるなんて想像すらしなかった。
だから、「別人だ」と一度は思った。けれど、出口に向かって歩く彼の背中を見たとき、確信に変わった。福田だ。間違いない。あの細い肩のライン、歩き方、そして時折見せる癖のある仕草――すべてが、俺の記憶の中の福田そのものだった。
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翌日、俺は意識せず福田を追いかけていた。彼が何をしているのか、何を考えているのか、それが気になって仕方がなかった。幽霊になった俺ができることなんて限られている。だが、せめて彼の様子を見ることくらいは許されるだろうと、自分を納得させながら彼の後ろを歩き続けた。
福田の変化に気づいたのは、それから数日が経ったころだった。朝、彼は早く起きるようになっていた。身支度を整える姿を透明な俺は遠くから見ているだけだが、その表情に微笑みはない。鏡に向かって無心で髪を整え、無造作に服を選ぶ。
以前なら、「配信で何着たらウケるかな?」なんて俺に冗談めかして相談してきたのに。もうその頃の福田はいないのかもしれない、と胸が締め付けられるようだった。
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外に出た福田は、カフェや図書館、あるいは街の中を彷徨うように歩き回る。その様子を見ながら、俺はひとりごちる。
「お前、何してるんだ?」
けれど、その問いかけに答えは返ってこない。福田は周囲の何かを意識するでもなく、ただ無表情で歩き続けるだけだ。
ある日、福田は古びたカフェに入った。木製の扉を押し、ふわりと漂うコーヒーの香りの中に消えていく。その背中を追いかけて店内に足を踏み入れると、福田は窓際の席に腰を下ろし、静かにホットコーヒーを注文していた。
「お前、コーヒーなんて飲むのか?」
驚いた。俺が知っている福田は、甘いもの好きで、カフェオレやホットチョコレートを頼むことが多かった。彼がブラックコーヒーを飲むなんて見たことがない。
コーヒーカップに手を伸ばす福田だったが、ほとんど口をつけないままテーブルに置き直す。そして、じっと窓の外を見つめる。
その視線の先には何もない。ただの街路樹と通り過ぎる人々だけ。福田は何を考えているのだろうか。
「お前、本当にどうしちまったんだよ……」
答えのない問いかけが増えるばかりだった。
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夜、福田は街の公園に足を向けた。そこは俺たちがよく遊びに来ていた場所だった。昼間とは違って人影も少なく、街灯がぼんやりと光を落としている。
福田はベンチに腰を下ろし、ポケットから手帳を取り出した。それは、俺が彼に誕生日プレゼントとして渡したものだった。
「それ、まだ持ってるのかよ……」
胸の奥がざわつく感覚に襲われる。福田が手帳にペンを走らせる音が、静かな夜の空気に微かに響いた。何を書いているのか、俺にはわからない。ただ、その姿はどこか苦しげで、見るに堪えなかった。
「なあ、福田……どうして俺がいないのに、そんな顔をするんだよ」
書き終えた手帳を閉じると、福田はため息をついて立ち上がった。その顔には、俺が一度も見たことのない、深い陰りが漂っていた。
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一週間が経つ間、福田の行動はいつも同じだった。外出を繰り返し、何かを探しているように街を歩き回る。家にこもることが多かった彼は、もうどこにもいない。
「なあ、福田。お前、本当に変わっちまったんだな」
そう思わざるを得なかった。それが彼の新しい生き方なら、それを受け入れるべきなのかもしれない。だけど、俺はまだ納得できない。彼がこんなにも変わってしまった理由を、どうしても知りたいと思ってしまうのだ。
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ある晩、福田が手帳を広げたままその場でうとうとしているのを見つけた。珍しいことに、彼はカフェの隅で居眠りをしていた。
「福田……?」
そっと近づいてみると、開かれたページにはびっしりと文字が書き込まれていた。俺の名前――いや、俺に関することばかりが記されていた。「五十嵐との思い出」「彼との約束」「言いそびれたこと」……それらが次々と目に飛び込んでくる。
「なんだよ、これ……」
驚きと戸惑いが混ざり合う。そこに書かれているのは、俺が生きていた頃に見せなかった福田の一面だった。どうやら彼は、俺に対して何か伝えきれない想いを抱えていたらしい。
だが、その詳細を読み取る前に、福田が目を覚ました。急いでその場を離れる俺。彼はぼんやりとした目で周囲を見回し、再び手帳を閉じた。
「くそ……」
俺はどうしていいかわからず、その場を立ち尽くしていた。