継母と義理の妹にイジメられている侯爵令嬢は幼い頃に一緒に遊んだ男の子が第一王子であることを知らない
「あはは、マリアお姉様ったら本当に使えないのね。銀貨一枚で雇えるような貧民でも、もう少しまともな働きをするわよ」
そういって私を馬鹿にしたように笑うのは、義理の妹であるミーシャだった。
彼女は母を亡くした父が八年前に再婚した際にできた新しい家族だった。
当時は私も姉として相応しい人間になろうと思ったものだ。
けれど現実は非情だった。
新しい母であるローザさんとミーシャは私のどこが気に食わなかったのか、事あるごとに嫌がらせをしてくるようになった。
「まあ、なんてはしたない着物なんでしょう。豪奢を見せびらかすようで品に欠けますわ」
「服に着られるとはまさにこのことね。衣装より先に身なりを整えた方がいいんじゃないかしら」
そうして、まずは衣服に制限がかかった。
母から貰った綺麗な衣服はもちろん、いつか着られるようにと贈られた形見のドレスすら取り上げられてしまった。
どれだけ返してほしいと頼んでも聞き届けてはもらえなかった。
遂には涙さえ流れたが、彼女たちにとっては、ただ目から水が溢れただけの現象でしかなかった。
「あらお姉様、こんなところで何をしていらっしゃるの?お暇なら私のために何か美味しいお菓子でも持ってきてくださると嬉しいのだけど」
「は、はい……」
そうして次に、まるで侍女のような扱いを受けるようになった。
従わなければ厳しい折檻が待ち受けている。
反抗しようなんて考えは無駄だった。
この家に私の味方は誰もいなかったからだ。
今まで家に仕えてくれていた使用人さんたちは、全員彼女たちの手によって新しい者達へと入れ替えられていた。
父は母を亡くして落ち込んでいたところに現れたローザさんに夢中のようで、何を言っても無駄だった。
お前が悪い。
お前がどうにかしろ。
その一点張りだった。
一度、もう耐えられないと泣きついたこともあった。
けれど父は憤怒に顔を歪め、罵詈雑言の言葉を浴びせてきた。
「私にローザを捨てろと言うのか!?あの地獄から私を救ってくれたローザを!?何の役にも立たん貴様のような娘など、彼女に比べれば銅貨一枚分の価値もない!!文句があるなら今すぐこの家から出ていけ!!」
そうして、この家から私の居場所が消えた。
いつ家から追い出されてしまわないか、その恐怖に耐えながら過ごす日々を送った。
家の仕事も、使用人さんに混ざって私がこなすようになった。
そんな私を見て、使用人さんたちは次第に態度が変わっていった。
ミーシャたちの態度に当てられたのか、はたまた貴族の娘とは思えない見窄らしい見た目をした私を心底蔑んでいたのか。
分からないが、余計な仕事を押し付けられるようになった。
そして今日もまた、私は庭の手入れを押し付けられていた。
「はあ、はあ……」
当時12の私にとっては過酷な重労働だった。
しかも冬を超えたばかりで、まだ肌寒さの残る季節。
白い息を吐きながら作業に勤しんでいると、不意にガサガサと草木の揺れる音がした。
一体何だろう。
ふと見てみると、一人の男の子が現れた。
「ふう!ここなら誰もいないだろう!……ん?」
「あ、その、えっと……」
その男の子はとても綺麗な衣服を着ていて、それに見合うだけの端正な顔立ちをしていた。
陽の光に照らされて輝く黄金の髪。
透き通るような青い瞳。
思わず目を奪われてしまったのも、仕方のないことだった。
「君は誰だ?どうして君のように小さく可憐な娘が、庭師のやるような仕事をしているんだ?」
「あ、あの、私は……」
「いや待て。いい、分かったぞ。君はそのような幼い見た目をしていながら、実は熟練の庭師顔負けの腕を持っているのだな!」
「いえ、ただ母からやるようにと命じられて……私は何の技術も持たない、ただの小娘です」
「む、そうだったか」
男の子はとても快活そうな喋り方をしていて、どこか天然なところがある性格の人だった。
「しかし酷いものだな。君のような娘にこんな仕事を押し付けるとは。よし、その母とやらはどこにいる?私が異を唱えてきてやろう!」
「そ、そんな滅相もありません!」
そんなことをされたら後でどんな折檻が待ち受けているか。
想像するだけで恐怖が悪寒となって走り抜けるようだった。
「そうか……ならば私が代わりにやってやろう。これでも庭師の仕事を見るのは好きでな、多分大丈夫だ!」
「え、えぇ……」
男の子は自信満々な様子で私から鋏を取ると、いそいそと草葉を刈り取り始めた。
恐らく、父の知り合いである貴族のご令息なのだろう。
腕白で、奔放で、きっと両親から愛されて生きてきたのだろうと、そう思った。
「むう、意外と難しい……君、なにかコツはあるか?」
「え!?そ、そう仰られましても……と、とにかく頑張ること、でしょうか……?」
「なるほど!理解した!」
助言の体もなしていない言葉だというのに、男の子は一切文句も言わずに黙々と庭の手入れを再開した。
いや、黙々というには少し独り言が激しかったかもしれないけれど。
そうして数時間が経った頃。
庭の手入れは終わり、男の子は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「常日頃眺めていたが、実際にやってみると案外難しいものだな。君は毎日これをやっているのか?」
「いえ、普段は家の使用人たちと一緒にお洗濯などを……」
「?君はこの家の娘ではないのか?」
「そう、なのですが……」
どうしよう。正直に話すべきか。でも話してしまうのは、なんだか恥ずかしくて仕方がなかった。
口にすべきか迷っていると、男の子は首を振った。
「いや、言わなくていい。そんなのは瑣末なことだ。わざわざ気にするほどのことでもない」
「は、はい」
「それよりもこの屋敷の探検をしよう。父上が懇意にしている侯爵邸に挨拶に来たはいいが、退屈で仕方がなかったのだ。君、案内役としてついてきてくれないか?」
「え、えっ」
「よし、では行こう!」
男の子の手に引かれて、私は勝手知ったる我が家の探検に乗り出すことになった。
それはこれまで冷遇され、周囲から塵芥のように扱われてきた私にとっては夢のような時間だった。
「こういう貴族の邸宅には隠し部屋や隠し階段があると聞く。心当たりはないか?」
「え?その……わ、分かりません」
「ふむ。私が伝え聞いたところによると、本棚の裏にあるのが定番らしい。よし書斎に行ってみよう!案内せよ!」
「は、はい」
「ほう、これは中々の蔵書量だ。そういえばこういった場所には子供が見てはいけない本があると聞いたことがある。君、何か心当たりはないか?」
「え!?わ、分かりかねます……」
「そうか、残念だ」
「結局書斎に隠し扉の類はなかったな。それでは裏庭の方へ行こうか。脱出通路があるとしたらやはりそこだろう」
「あ、あの、もう少しゆっくり……!」
幼い頃から引っ込み思案で友達の多い方ではなかった私にとって、それは初めての同年代の子供との遊びだった。
遊び、というには少々お転婆がすぎたかもしれないけれど。
私にとっては忘れられない大切な思い出だった。
やがて、どのくらいの時間が経っただろうか。
すっかり日も傾いた頃、その瞬間は訪れた。
「ふう、一通り回り終えたな。結局秘密の通路は見つけられなかったが楽しかったぞ!」
「あ、ありがとうございます……」
「このままもっと君と交流を深めたいところだが、そろそろ別れの時間だ。父上もこれ以上は堪忍袋の尾が切れる!」
もうお別れなんて、そんなの嫌だ。
そう言いたかったけれど、口から出てはこなかった。
それは、私には過ぎた願いだと分かっていたから。
「……案ずることはない。またそう遠くないうちに会いに来る。家名に誓って約束しよう」
そうして、私たちは別れた。
その後も約束通り、男の子は何度も会いに来てくれた。
けれど、やがて一年も経つ頃には来てくれなくなった。
飽きてしまったのだろう。
私のような退屈な人間と一緒にいても、得るものなんてなにもない。
彼もそのことに気がついたのだ。
名前も知らない男の子との記憶は、母を失ってからの人生の中で唯一宝物のような思い出として、私の中で眠り続けるのだった。
……そこで話は終わり。
以降は私の転落人生が果てしなく続いていくだけ。
そのはず、だったのに。
「──随分と待たせてしまい申し訳ない。久しいな、我が君よ」
「へ」
思い出の中の男の子は、現実では随分と成長していて。
側には随分とお偉そうな召使いさんたちがいて。
なんというか、お貴族様を通り越して王子様とでも呼べるような豪奢な衣装に身を包んでいた。
「こ、これは一体どういうことですマルクス殿下!突然押しかけてきたかと思えば、そんな下女に声をかけるなど!」
「おや、貴殿は自分の娘に対して下女などという品のない言葉をかけるのか。礼節に名高いテレジア家の品格も落ちたものですな?」
「くっ……!」
まるで訳が分からなかった。
突然現れたかと思えば父と言い争いをしていた、しかも殿下だなんて、頭が沸騰してしまいそうだった。
父に代わり、ローザさんが異論の声を上げた。
「お、お言葉ですが殿下!その娘はロクに教育も受けていない貴族の恥晒し……!御身の御前に晒すには余りにも分不相応な娘にございます!」
「構わない。今の私は王族ではなくただの一般国民としてここに立っている。そら、何も問題ないであろう?」
「そ、そのようなお姿で……?」
「何か問題でも?」
一般国民と仰られるには少々服装が豪華すぎると思います。
そう言いたくなった。
ローザさんの次はミーシャだった。
彼女は煌びやかなドレスに身を包んでいた。
「お待ちになって、マルクス殿下!貴方はこの人に騙されています!」
「騙すとは、また人聞きの悪いことを」
「だってそうでしょう?失礼ながらお姉様ときたら、生まれてこの方何の役にも立ったことのない使用人以下の存在。そんな人が殿下のご慈悲を賜るなど、おかしいに決まってますもの!」
「ほう、つまり私がその子に誑かされていると?」
「どのような接点があったかは存じ上げませんが、そうに違いありません!」
ミーシャの言葉に、胸がキュッと苦しくなった。
確かに彼女の言う通りだ。私は他の使用人さんに比べて仕事もできないし、誰かの役に立ったことなど一度もない。
ローザさんの言葉も正しかった。
私は貴族として相応しい教育も受けていない、普通の人達と何ら変わりない人間でしかないのだ。
だというのに何故、この人は私なんかを求めてここまでやってきたのだろうか。
「接点、か。ならば聞くがよい、私とこの者の繋がりを!」
殿下の──いえ、あの時の男の子の青い瞳がまっすぐに私を見つめていた。
そして、言った。
「──その姿を一目見た時から好きでした。どうか私と結婚を前提とした関係を結んではもらえないでしょうか、我が君よ」
「え……えぇぇぇ……!?」
恭しく膝をついた彼は、手の甲に軽い口付けをしてきた。
なにこれなにこれなにこれ。
思考が堂々巡りのループ状態だった。
「ふう、ようやく言えた。あの後父上から留学を言い渡されて中々会いに来れなかったのだ。許してほしい」
「あ、あの」
「だがこれで長年秘していた想いは口にできた。後は君次第だが……受けてくれますか、我が君?」
余りにも急すぎる展開についていけない頭が遂に限界を迎えた。
きっと私の顔は真っ赤に熟れた林檎のようになっているんだろうなぁ。
そんなことを思いながら、意識を手放すのだった。
こういう幼い頃の淡い恋の始まりみたいなやつは結構好物だったりします
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