第五話
元々、この国において、妾やら愛人やらというのは禁止されている。
どうしても子が生まれない場合、王族に限り側妃を娶ることは可能だが、それもあまり好ましいとはされていない。正規の手続きで離縁し、それから再婚するのが通例だ。
それだというのに国王は、王妃以外の女性――とある伯爵家の夫人とうっかり関係を持ってしまった。
そのままずるずると続けていたらしいが、そのことが伯爵に露呈してしまい、妻と国王の浮気を公にする代わりに今代聖女と王太子を無理にでも結婚させろと迫った。
結婚する暁には、聖女の後ろ盾となって上手い汁を吸うつもりで。
実はこの婚約発表パーティーで、伯爵夫妻がヘザー様を引き取り、養子にする計画だったという。
しかしそれは王太子デルロイ殿下のせいでこうしてぶち壊しになったわけだが。
会場の隅で出番を待ち構えていた伯爵夫妻が顔色を紙のようにしていた。
「浮気者の父上にはこれ以上国王は任せられない。すでに調べはついているんだ」
侯爵令嬢を抱き寄せながらの彼の言葉に、国王は「痴れ者め!!」と怒鳴り、掴み掛かろうとした。
まったく、どちらが痴れ者なのだろうかわからない。そう思いながら俺は、国王の脚に風魔法の刃を叩きつけ、盛大に転ばせる。
「何をするッ」
「パーティーの中に乱暴者がいたので、拘束させてもらうだけですよ」
パーティーの裏から静かに出てきた俺は、水魔法を手の中に生み出し、縄状にして、転んだ国王の両手両足を丁寧に縛っていく。
もう少し大人しくしてくれていればここまでする必要はなかったのだが、仕方がない。そしてその間に会場から逃げて行こうとした伯爵夫妻に向かって電撃魔法を飛ばして気絶させておいた。
火魔法も、水魔法も、風魔法も、電撃魔法も。
魔法騎士の中でもヘザー様の護衛に選ばれるほど優秀な部類である俺は、光魔法を除く全ての属性の魔法を扱うことができる。
だからこそ王太子はこの作戦の協力者として俺を選んだ。
なんなら国王の浮気の証拠になる光景も映像魔法で上映しようかという話になっていたのだが、さすがに刺激が強過ぎるしあっさり国王自身が認めるような態度を示したのでその必要がなくなり、こっそり安堵していたりする。
衛兵たちがゾロゾロと会場入りし、国王と気絶している伯爵夫妻を捕らえ、出て行った。
参加者たちにとってはまさに嵐のような展開だっただろう。しかし王太子はそれに構わず、続ける。
「本日より僕が王となる。聖女ヘザーと僕の婚約は解消。どちらにも責はなく、罪があるとすれば父上……先代国王のみである。
そしてここに初めの王命を――」
「お待ちください、王太子殿下。いいえ、国王陛下」
王太子改め新国王の言葉の最中、割り込んだのは『氷の騎士』リチャードだった。
彼はヘザー様の背後に回り、新国王を冷たく睨みつけた。
「それでは聖女様はどうなるのです。この方は、嫁ぎ先を持たなくなってしまうではないですか。
聖女の身分に釣り合うのは唯一王族のみ。であるというのに、陛下が婚約を解消なさるとすれば、聖女様は得られたはずの幸せを失ってしまう。
それはあまりにも身勝手ではありませんか」
リチャードは本気で怒っているようだ。
愛しの聖女様がこうも容易く捨てられてしまったことが許せないのだろう。
しかしそれに反論したのは新国王デルロイ陛下ではなく、その隣に立つヘザー様だった。
「リチャードさん、怒らないでくださいませ。わたくし……いや、王太子様の婚約者じゃないからもうこの口調もしなくていいのか。あたしね、リチャードさんのことが好きだよ」
「――――」
「だからね、今とっても嬉しいの。こうして告白の機会を得られた、それだけでも。
リチャードさん、あたしと結婚してください」
……まさかここで告白をぶち込んでくるとは。
公衆の面前、普通なら赤面必至なのに、ヘザー様は真面目な顔でリチャードに向き合っている。
本当は三つ目のサプライズとして王命で二人の婚約を命じるはずだったが、どうやらその必要はなかったらしい。
俺と新国王は視線を交わし、静かに頷き合った。
「聖女様、このような場で何をおっしゃっているのです」
「あたしは本気です。だってあたし、どうせどこかに嫁がなきゃいけないんでしょ。リチャードさんなら家柄的にも問題ない。それに、誰よりもあたしに優しくしてくれますから」
ヘザー様はふにゃりと微笑んだ。
それは久しぶりに見る彼女の笑顔だった。
「私は、あなた様に相応しくございません。公爵家の生まれといえ、聖女様の護衛騎士の一人に過ぎません」
リチャードはできるだけ『氷の騎士』らしさを装ってそう言っていたが、動揺しているのがバレバレだ。
後もう一押しだ、と俺は心の中で叫んだ。
「そんなことはどうでもいいの! あたしが聞きたいのは一つだけ。リチャードさんがあたしを好きかどうか。結婚してくれる気があるかどうかです!」
薔薇のドレスを引きずりながらヘザー様は、リチャードに飛びついた。
きゃああ、と、令嬢たちからの悲鳴とも歓声ともわからぬ声が上がる。彼に言いよる令嬢は数多くいたが、人前でそんなに破廉恥なことをする者は今まで誰もいなかった。
普通なら、振り払われるところだ。
しかしリチャードはそうしなかった。ほんの少し顔を困惑に歪めてヘザー様を見下ろすだけだ。
「私の気持ちがどうあれ、聖女様と婚姻など、できかねます」
「他に恋人、いるの? 好きな人でも婚約者でもいるの?」
「……それは」
「なら、いいよね」
次の瞬間、何が起こったかわからないという風にリチャードの目が見開かれた。
小柄なヘザー様がリチャードの体にしがみつき、無理矢理顔の高さを合わせてから彼へ口付けたのだった。その強引さにはさすがに俺も驚いた。
「好きです。あたしが聖女だとか、リチャードさんが騎士だとか、関係ない」
聞いていて俺まで顔が赤くなってきた。
可愛い。可愛くて勇ましい。こんな女の子に惚れない男などいないだろう。王太子殿下は侯爵令嬢にぞっこんなのでヘザー様の良さがわからないらしいが、もしもリチャードとヘザー様が両片想いでなければ俺が告白したいくらいだ。
グイグイ押された結果、リチャードは。
仕方がないなという風に息を吐き、言った。
「わかりました。そこまでおっしゃるのなら――その求婚、お受けいたしましょう」
「唇を奪われたからじゃないよね?」
先ほどの勇ましさとは一転、少し不安そうな顔で訊くヘザー様。
無言で頷いたリチャードは、彼女をそっと抱きしめ返した。
「その程度の理由で頷くほど、愚か者ではありませんよ」
愛してるの一言でも言えばいいのに、本当に不器用な奴だと思う。
二人の心が通じ合ったのを見て、デルロイ陛下が宣言した。
「聖女ヘザーと聖騎士リチャード・オールドマンの婚約を王の名において認可する」
これでもう誰にもこの婚約は覆せない。
「……ようやくカップル成立だな」
ポツリと呟いた俺は、もう一度花吹雪を起こした。
花吹雪の中のヘザー様とリチャードは非常に絵になった。令嬢たちの悲鳴がさらに大きくなり、失意のあまり気絶する者までいたが、それらが気にならないほどに美しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後、前王が離宮に幽閉され新国王デルロイ陛下に代替わりしたおかげで色々と国の内情は変化し、俺たちの立ち位置はそれ以前と大して変わらなかった。
聖女様とその護衛騎士二人。リチャードが護衛騎士兼婚約者になったくらいなものだ。
けれど、交わされている会話はとろけてしまいそうな甘々なものばかりだ。
「リチャードさん、今日はどこにデート行きます?」
「デートばかりしていたら聖女の務めが疎かになってしまいますよ」
「そんなことないです。聖女の力を出すにはリチャードさんの成分がたっぷり必要なの! ねえ、チューして!」
「デュアンが見ているのでできかねます」
「むぅ〜。なら恋人繋ぎでもいいよ?」
今日もヘザー様の笑顔が眩しい。
彼女とリチャードがイチャイチャしているのを俺は横目に見ていた。
最近はずっとこんな調子だ。
ヘザー様は初めての恋が実ったことに浮かれ上がって、隙さえあればリチャードの隣にいる。人目も憚らずキスだの抱き合ったりだのしようとばかりする。リチャードが弁えない人間なら相当なバカップルになっていると思う。
もちろん今まで通り俺にも友人のような気軽さで接してくれはするのだが、なんだか寂しいというのが本音だ。
何はともあれ、本当に良かったと思う。
ヘザー様の心からの笑顔が毎日見られるようになって。リチャードの初恋が無事に叶って。
幸せそうな二人を見ていると微笑ましい気分になる。
もちろん、羨ましくもあるのだが。
俺も早くいい人を見つけなきゃなぁと思うが、ヘザー様より魅力的な令嬢や女騎士がなかなか見つからず悩んでいる。
同僚の騎士とお仕えする聖女様を見守りながら独身のまま一生を終えるのも悪くないかも知れないが、どうなるかはまだわからなかった。
〜完〜
これにて完結です。最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございました。
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