第四話
王太子の執務室は、あらゆるところに宝石が散りばめられ、無駄にキラキラと輝いており眩しかった。
その中央、優美な長椅子に腰を下ろす青年こそが、ヘザー様の婚約者にして王太子、デルロイ殿下だ。
「デュアン・パテル、馳せ参じました」
「ご苦労。そこの椅子にでも座ってくれ。紅茶は好きなだけ飲んでいい」
俺は言われた通りに用意されていた椅子に腰を下ろす。
テーブルの上には茶器が並べられており、芳しい。しかし俺は出された最高級品の紅茶に手をつけようとしなかった。
「はい。……ですがその前に、どうしてもお伝えしたいことがございます」
「何だ」
俺は言わなくてはならない。
たとえただの護衛騎士に過ぎない俺の意見が聞き入れられる可能性が低いとわかっていても。
「聖女ヘザー様は王太子妃に相応しくありません。……お願いします。どうか、彼女を解放してあげてください」
だってあのままでは、きっとヘザー様の心はすり減ってしまう。
元より彼女はただの平民で、妃など努められる器ではないのだ。それをあれほどまで無理して頑張って、心を殺して生きようとしている。
そんなのはあまりに痛々しくて、見てられなかったから。
「ヘザー様には無理です。あの方は優しいし強いし可愛い。でも、それだけの、普通の女の子なんです」
俺の必死な訴えを受け、王太子は思案げに片目を閉じた。
しかしそれはほんの一瞬のこと。すぐに手で指示し、控えていた使用人を皆退出させると、正面にいる俺でも聞き取れるかどうかという声で言った。
「なら問おう。君は、ヘザー嬢と婚姻する気はあるか」
――――。
この男は何を言い出しているのだろう?
不敬にも俺はそう思ってしまった。
しかしそんな俺はお構いなしで、王太子は話し続ける。
「元々その案件について話したくて呼び出したんだ、君もその気なら手っ取り早い。
君の言う通り、ヘザー嬢は王太子妃、そして王妃の器ではない。この国の中でもっとも王太子妃として相応しい者、それは我が元婚約者である侯爵令嬢シャンタル・ドマネーだ。彼女は十年間、妃教育を受けていた。それを今更無駄にするようなことはできないし、彼女より妃を完璧に務められる者は他にいないだろう。
つまらないしきたりに従うのは、僕はどうにも気に入らなくてね。なので、全て覆してやろうと思っている」
それから語られたのは、とても壮大な計画。
この国を揺るがしかねない――いや、間違いなく揺るがすことになる話だった。
まさか俺の言い分を聞いてくれるどころか、王太子がすでにヘザー様との婚約解消を目論んでいるとは思ってもみなかった。
驚き、目を見開きつつも、俺はどうにか最後まで話を聞き終えた。
その上で、再度問われる。
「君はヘザー嬢を娶る気があるか、デュアン・パテル?」
俺は首を振って拒絶を示した。
冗談じゃない。俺がヘザー様と結ばれたところで、彼女の笑顔は見られないだろう。
彼女を幸せにできるのは、この世界でたった一人だけ。
「聖騎士リチャード・オールマンと聖女ヘザーの婚姻を望みます。両片想いの二人を邪魔する男にはなりたくないので」
「……そうか。まさか『氷の騎士』が。わかった、君の希望、聞き入れよう。本人たちには伝えないでおくが、いいか?」
王太子は、悪巧みする子供のような悪戯っぽい笑みを見せていた。
「ありがとうございます。ありがとうございます、本当に」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数日後。
王太子デルロイ・リー・ユーバンクと聖女ヘザーの婚約を祝うための式典が王城のホールにて開かれていた。
主役の一人であるヘザー様は、ピンクのふわふわとした可愛らしい髪を軽く結い上げリボンで飾り、白地に薔薇の飾りのついたドレスを纏っている。
彼女はパーティー参加者たちの視線を一気に引きつけた。
――護衛として周囲に目を光らせていたリチャードさえも、息を呑んでいた。
しかし、王太子が口を開くまでの短い間のことだ。
ヘザー様をエスコートして現れた彼は、皆を黙らせると、朗々とした声で言う。
「皆の者、本日は参加いただき感謝する。
さて、この式典が聖女ヘザーと僕の婚約祝いであることは誰もが知っていることだろう。予定調和ではつまらないので、僕はいくつかサプライズを用意させてもらった」
サプライズと聞いて参加者たちがざわめく。
ヘザー様はこてんと首を傾げ、リチャードはというと眉を顰めていた。
一方俺はニヤニヤを隠せない。
これからお楽しみの時間が始まるのだから。
王太子もきっと俺と同じ気持ちで、とてもにこやかな表情で告げた。
「僕、デルロイ・リー・ユーバンクはここに宣言する。僕の伴侶となる女性は、我が最愛、侯爵令嬢シャンタル・ドマネーの他にいないと」
ざわつきはさらに大きなものとなり、パーティーは大混乱に陥った。
当然である。婚約発表パーティーで他の者への愛を語るなど、前代未聞にも程があった。
デルロイ王太子に呼ばれ、シャンタル・ドマネー侯爵令嬢がすぅっと前に出てきて、王太子の正面に立って淑女の礼をする。
その所作は十年も妃教育を受けていただけあって完璧だったし、ヘザー様に負けず劣らず魅力的な美しさを持っていた。
「デルロイ様、最愛とのお言葉、誠に光栄でございます。私もデルロイ様のことを心からお慕いいたしております」
「ありがとう、シャンタル」
そしてその場で抱き合い、口付け合っていた。
そこにどこからともなく花吹雪が舞い散り、二人を祝福する。まるで演劇のラストシーンかのように。
――ちなみに、降らせているのは俺で、あらかじめこっそりと仕込んでおいた花びらを風魔法を使って降らせているのだったが、誰も気づいていなかった。
傍目に見ていた貴族たちの感想としては、「何を見せられているのだろう」といったところか。王太子のすぐ傍に突っ立つヘザー様は口をあんぐり開けるばかりで、状況についていけない様子である。
「殿下がご乱心だぞ」
「それにシャンタル嬢も」
「王命に背くんじゃないのか?」
「まあ、なんてことですの」
ざわめきが広がっていく。
「――何を言っておるのだ、デルロイ」
そして、喧騒の中でもはっきりと響く声で王太子を咎めたのは、パーティーの主催である国王だった。
国王は自分の席を離れて立ち上がると、屹と息子を睨みつける。
「サプライズだと。聖女がどれほど尊き存在なのかお前はわかっておるのか。婚約者の目前で他の女と口付けることが、サプライズだというのか!」
「ええ、そうです父上。これが僕からのサプライズだ。
ヘザー嬢は百年に一度現れる聖女で、国民から高い人気を得ている。……ですが、だから何だというのです?」
王太子の声は冷たかった。今まで誰も聞いたことがないほどに。
「僕は最愛の彼女……シャンタルから無理矢理引き離されて激怒しているのですよ。
自分はふしだらな愛に溺れていながら、不純な理由で聖女と僕の縁を結ばせたいがために、古いしきたりにかこつけて僕とヘザー嬢に誰からも望まれざる婚姻を押し付けた父上にね」
二つ目のサプライズが幕を開ける。
それは、王太子による国王の断罪。もちろん目的は王命である婚約を無効にすることだった。
平民であるヘザー様が聖女であると発覚するまでにはかなりの時間がかかり、デルロイ様が十五歳になっても伴侶となるべく相手の聖女が見つかっていなかった。
いい加減潮時だということで婚約者を作ることを望んだデルロイ様。その相手はドマネー侯爵家の令嬢シャンタルだった。
ドマネー侯爵家はどうせ聖女が現れれば解消される婚約になど乗り気ではなかったらしいが、互いに何か問題が起こらない限り、たとえ後になってどこからか聖女が現れたとしても決して解消しないとの取り決めのもと、婚約の旨を呑んだらしい。
それからシャンタル嬢とデルロイ殿下は数年をかけて関係を深めていき、すっかり両想いになったところへ、突然の婚約解消。
当然、話が違うではないかと侯爵家は抗議したが国王は全く聞き入れようとせず、婚約締結当時の契約書は抹消され事実を有耶無耶にされたのだとか。
そこまでして国王が息子である王太子と聖女を無理矢理くっつけようとしたのには意味がある。
ずばり、国王の浮気騒動を誤魔化すためであった。