私が男爵令嬢をイジメているという理由で婚約破棄宣言したものの、徐々に「あれ、これ、男爵令嬢に騙されたんじゃね?」となったけど今更後に引けなくなってる王太子殿下哀れだわ
「ジュリア、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「……!」
煌びやかな夜会の最中、私の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるダリル殿下が、唐突にそう宣言した。
……やれやれ。
「どういうことでしょうか殿下? 私たちの婚約は、国が決めた重要な政略結婚です。殿下の一存でそう簡単に破棄できるものではないことは、殿下もよくご存知では?」
「フン! そうやって煙に巻こうとしても無駄だぞ! 君が裏でキャシーに陰湿な嫌がらせをしていることはバレているのだからな!」
「嗚呼、ダリル様」
男爵令嬢のキャシー嬢が、悲愴感漂う表情を浮かべながら殿下にしなだれかかる。
「嫌がらせ? まったく身に覚えはございませんが。そもそも私、キャシー嬢とお話ししたことも数えるほどしかありませんよ」
「いーや、もう調べはついているんだ! 複数の令嬢から、君がキャシーをイジメている現場を目撃したという証言も得ている! 挙げ句の果てにはキャシーを階段から突き落とすとはッ! これは立派な殺人未遂だ! 君のような犯罪者は、僕の婚約者に相応しくないッ!」
「ダリル様、私、本当に死ぬかと思いました……」
「嗚呼キャシー! 可哀想に!」
殿下はキャシー嬢の右腕に仰々しく巻かれた包帯を撫でながら、キャシー嬢を抱きしめた。
「今すぐ僕が、この悪鬼羅刹を断罪してあげるからね! ……そうしたら僕と二人で、真実の愛を築こう」
「ダリル様……! 私、嬉しいです!」
二人の背景には、フワフワしたお花畑が広がっている。
あれもキャシー嬢の自作自演で、勝手に一人で階段から落ちていったのだけれど(しかもちゃっかり受け身は取ってたし)。
まあいいわ。
「セバス」
「はい、お嬢様」
私は横に立っている専属執事のセバスに、前を向いたまま指示を出す。
セバスは女性かと見紛うほどの美しい顔にかかっているモノクルをクイと上げてから、パンパンと二回手を叩いた。
――すると。
「む? どうしたんだ君たち?」
「――!」
殿下とキャシー嬢の前に、五名の令嬢が気まずそうな顔をしながら歩いてきた。
「お嬢様がキャシー嬢をイジメたという証言をなさったのは、こちらのご令嬢の方々で間違いございませんね?」
セバスが無表情なまま殿下に訊く。
「そ、そうだが……」
「すいませんでしたッ!」
「っ!?」
その中の令嬢の一人が、唐突に深く頭を下げた。
「私たち、キャシーに頼まれて、う、嘘の証言をしていたんです……」
「な……なにィ!?」
「ちょっと! あなたたちッ!?」
うふふ、流石セバスだわ。
どんな手を使ったのかわからないけど、令嬢たちをちゃぁんと調教してくれてたのね。
あの怯えた表情。
余程怖い思いをしたのでしょうね。
「どうです? これでお嬢様に対する濡れ衣は晴れましたでしょうか」
「くっ……! だ、だが、キャシーを階段から突き落としたのは事実だろうッ! 現にキャシーはこうして、怪我もしているんだからな!」
「そ、そうですそうです!」
まあ、そうくるわよね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
私はセバスに、前を向いたまま指示を出す。
セバスはモノクルをクイと上げてから、パンパンと二回手を叩いた。
――すると。
「む? 何だ貴様は?」
今度は腰の曲がった初老の男性が現れた。
「この方は魔紋鑑定官のシゲさんです」
「どうもどうも、シゲともうしやす」
セバスが無表情なまま男性を紹介する。
「魔紋鑑定官??」
「はい、まだ一般にはあまり知られていないことではありますが、人が何かに触った際は、魔力の痕跡である魔紋が付着するのです」
「――!」
「シゲさんはその魔紋を鑑定するスペシャリストというわけです」
「いやあ、恐縮なこってす」
「そ、その魔紋鑑定官とやらが何の用だ」
「はい、もしもお嬢様がキャシー嬢を階段から突き落としたのなら、キャシー嬢のドレスにはお嬢様の魔紋が付着しているはずだと思いまして」
「「――!!」」
途端、キャシー嬢の顔がこれでもかと青ざめた。
「僭越ながらキャシー嬢のご実家に許可を取り、ドレスをシゲさんに鑑定していただきました」
「な、何を勝手なことをしているのよッ!」
いやいや、実家に許可を取ったって言ったでしょう?
人の話はちゃんと聞いておいたほうがいいと思うわよ。
「そ、それで、鑑定結果は?」
「ええ、ドレスから魔紋は一切検出されやせんでした」
「「――!!」」
シゲさんがおでこをペシリと叩きながらそう答える。
「シゲさん、わざわざご足労いただきありがとうございました」
「いえいえ、ではあっしはこれで」
シゲさんは曲がった腰のまま、ひょこひょこした足取りで帰っていった。
「――さて、これで今度こそお嬢様に対する濡れ衣は晴れましたね?」
「そ、それは……」
「ダリル様ッ! こんな連中と私、どっちを信じるんですか!? 私たちは、真実の愛で結ばれてるんですよね!?」
「っ!」
殿下の腕に、キャシー嬢が縋るように抱きつく。
さて、どうしますか殿下?
今なら全裸で土下座すれば、許すことを前向きに検討することもやぶさかではありませんよ?
もう内心では、キャシー嬢に騙されてたことに薄々感付いてるんですよね?
「――ぼ、僕は騙されないぞッ!」
「ダリル様――!」
殿下は私たちに向けて、冷や汗交じりにそう吠えた。
あらあら。
「魔紋だとかいう眉唾物で煙に巻こうとしても無駄だ! キャシーの証言のほうが正しいに決まっている! こんなに純粋なキャシーが、噓をつくはずがないのだからなッ!」
「ダリル様ぁ!」
いやいや、魔紋は今や学会で認められた正式なものですよ。
まあ、不勉強な殿下はご存知ないかもしれませんが。
それにしても、これでは埒が明かないわね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
私はセバスに、前を向いたまま指示を出す。
セバスはモノクルをクイと上げてから、おもむろにキャシー嬢の前に立った。
「な、何よあなた……」
「失礼いたします」
「「――!?」」
セバスは懐から取り出したナイフで、キャシー嬢の豊満な胸をズタズタに斬り裂いた。
あらあら。
「きゃあああッ!!?」
「何をするんだ貴様ぁあああッ!!! …………あれ?」
が、キャシー嬢の胸からは一滴の血も流れなかった。
「キャシー、それは……」
そこには十重二十重の胸パッドの残骸があった。
胸パッドがなくなった今、ただただなだらかな平原が広がっているばかりだった。
「あ、あーこれは、乙女の嗜みというか何というか……。でも、ダリル様は胸の大きさなんかで女性を判断する方ではないですよね!?」
「う……うん」
露骨にテンションが下がる殿下。
さて、では、次でとどめかしらね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
私はセバスに、前を向いたまま指示を出す。
セバスはモノクルをクイと上げてから、傍らに置かれていたグラスワインの中身をキャシー嬢の顔面にブッ掛けた。
あらあら。
「ブベッ!?」
「なっ!? キャシーの可愛い顔に何をするんだ貴様ぁ!!」
「おっと、これは失礼」
セバスは懐から取り出したハンカチで、キャシー嬢の顔をゴシゴシと拭く。
「むぐぐぐぐ!?」
「オイッ! もっと丁寧に扱わないか! …………あれ?」
が、メイクが落ちたキャシー嬢のスッピンを見た殿下は、ポカンと口を開けた。
――その顔はまるで別人だった。
目は針金のように細く、肌はガサガサ。
まるでお化け屋敷に出てくる幽霊みたい。
まあ、最近のメイク技術は日進月歩だものね。
このくらいのビフォーアフターはよくあることなのかもしれないわね。
私はいつも最低限のメイクしかしてないけど。
「こ、これはあの……メイクも乙女の嗜みですから!」
「…………」
乙女の嗜み一本槍ねあなた。
虚言で婚約者を寝取るのも、乙女の嗜みなのかしらね?
さて、殿下がどこまで真実の愛とやらを貫き通せるのか、見物ねこれは。
「――ハーハッハッハッハッハッハ!」
「「「――!?」」」
その時だった。
唐突に殿下が高笑いをした。
殿下?
「どうだいジュリア、この余興は楽しんでもらえたかな?」
「ダリル様!?」
うわぁ、そうきたか。
「もちろん僕は最初からこの女狐が君を陥れようとしていることには気付いていたよ。でもそれをただ断罪しても面白味がないだろ? だからこうして敢えて騙されたフリをして、場を盛り上げようとしたんだよ!」
「そんな! あんまりですダリル様ッ! あんなに私に対して、甘い言葉を何度も掛けてくださったじゃないですかッ!」
「えぇい黙れ黙れこの痴れ者め! あんなもの全部演技に決まっているだろうが! 汚い顔を僕に向けるなこの化け物がッ!!」
「ひ、酷い……」
うーん、流石にこれはちょっっっとだけキャシー嬢が可哀想かも。
「もうよい」
「「「――!!」」」
その時だった。
ずっとこの茶番を静観されていた国王陛下が、やっとその重い腰を上げた。
やれやれ。
「前々から貴様はバカだバカだと思っていたが、今日のことで完全に呆れたわ」
「っ!? お待ちください父上ッ! 僕は本当に、ちょっとした余興のつもりで――!」
「黙れ」
「――!」
「もう貴様の戯言など二度と聞きたくもない。――今この時をもって貴様の王位継承権を剥奪し、国外へ追放処分とする」
「そんなッ!? 父上ぇッ!!?」
「――そちらの女狐も、ジュリア嬢を陥れようとした罪はしっかりと償ってもらうぞ」
「ヒィッ!?」
「……連れて行け」
「「「ハッ」」」
「父上、お願いですから僕の話を聞いてくださいッ!! 父上ぇぇッッ!!!」
「いやああああああああ!!!!」
必死にもがく二人は、屈強な兵士たちの手で連行されていった。
やれやれ、これで一件落着ね。
「ジュリア嬢、うちの愚息が迷惑をかけたな。本当にすまなかった」
陛下自ら、私に向かって深く頭を下げた。
あらあら。
「いえいえ、私としてもバカな男と縁が切れて、却って助かりましたわ」
迷惑をかけられたのは事実だから、これくらい言ってもバチは当たらないわよね。
「フフ、耳が痛いな」
陛下は鷹揚に顎を撫でられる。
「それでは私は失礼いたします、陛下」
私はうやうやしくカーテシーを取った。
「うむ、息災でな」
「セバス」
「はい、お嬢様」
私はセバスに、前を向いたまま指示を出す。
セバスはモノクルをクイと上げてから、私に左手を差し出してきた。
私はその手にそっと右手を置き、会場を後にした。
「お嬢様、ご覧ください、今夜は月が綺麗ですよ」
「え? ああ、本当ね」
会場を出ると、煌々と輝く満月が私たち二人を照らしていた。
確かに綺麗だわ。
……月の光は善人だろうと罪人だろうと、誰にでも平等に降り注ぐのね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
私はセバスに、前を向いたまま声を掛ける。
セバスはモノクルをクイと上げてから、じっと私を見つめてくる。
「今日で私、傷物になってしまったわ」
「……」
「だからセバス」
「はい、お嬢様」
「これからはあなたが、生涯かけて私を幸せにしなさい」
「フッ、承知いたしました、お嬢様」
普段は滅多に表情を変えないセバスが、ほんの少しだけ口角を上げた。
手を繋ぎながら並んで歩く私たちを、満月だけがやれやれといった顔で見ていた。
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