著書
「ああ。これ、ぼくの著書だよ。一応、最新刊も入っている。まだ発売はされていないんだけど、よければ読んでほしいと思って」
彼はローテーブル上の紙袋を、こちらにすべらせてきた。
「何巻まで出ているの?」
「最新刊を合わせれば、七巻まで。八巻目を改稿中で、同時に九巻目のプロットを練っているところだよ。きみは?」
「五巻まで。六巻は、まだ手許に届いていないの。七巻目がもう間もなく執筆が終るかなっていう予定。あくまでも、予定だけど。わたしのは、本棚にあるから。取ってくるから紅茶とクッキーをどうぞ」
「ありがとう」
わたしが立ち上がるまでに、彼はカップを持ち上げ紅茶のにおいを堪能した。
「ローズティーだね。いい香りだ」
「ありがとう。バラの栽培をしているご近所さんにわけてもらって、カルラと作ってみたの」
本棚に向かいながら説明した。
「うまい。ローズティー、大好きなんだ」
本棚から本を取り出していると、彼がクッキーを食べているのを背中で感じる。
「クッキーもうまい。もしかして、このクッキーもきみが?」
「ええ」
本を胸元に抱え、長椅子へと戻る。
「カルラに習いながらだけど。彼女は何でも出来るから、教わることが多いの」
「ほんとうにうまいよ。街のスイーツの店より、きみのクッキーの方がずっとうまい」
アレックス、いくらなんでもおおげさよ。こんなところでも、小説のまんま大絶賛しなくてもいいわ。
過度な褒め言葉は、かえって嫌味になるから。
「料理やスイーツとか何かを作るのって、だれかのことを想っていればいいものが出来るよね」
彼は、わたしが長椅子に腰をおろしたタイミングでそう言った。
「想いさえこもっていたら、たとえ茹でただけの卵だってうまく感じられる。どんな有名な料理人の料理だって、想いがこもっていなかったらうまく感じられない。そう思わないかい?」
「そうね。あなたの言う通りよ」
「小説だってそうだろう?読者のことをかんがえてしまう。どういう展開を期待しているのか。どういうシチュエーションだったらよろこんでもらえるのか。どんな主人公や登場人物だったら共感してもらえたり、腹が立ったり悲しんだりうれしく思ってもらえるのか……」
「ええ。日々、かんがえているわ。だけど、それがうまくいかないから焦ったり落ち込んだりしてしまう」
思わず、大きくうなずいてしまった。
「ぼくもそうだよ。読者の期待に応えられていないいないんじゃないのか。期待を裏切ってばかりいるんじゃないか。いつも不安で不安で仕方がない。しまいには、自分はこれ以上ムリなんじゃないのかって絶望してしまう」
よかった。そんな思いをしているのは、わたしだけじゃないのね。
美貌を見つめつつ、心からホッとした。
「おっとすまない。つい愚痴のようになってしまった。きみだからかな?アニバルにはぜったいに言えないようなことも、きみだったら話せる気がする」
出たわ。「きみにしか」とか「きみだから」、あるいは「あなたにしか」とか「あなただから」攻撃ね。
恋愛小説だけでなく、バイオレンス系やハードボイルド系でも使えるフレーズよ。
「きっと同業者だから、よ」
そう。通常は恋愛関係で使うフレーズなんだけど、いまの場合は同じ小説家どうしだから、話せるということよね。
「愚痴でも文句でも弱音でも強がりでもなんでもきくわよ。もちろん、わたしもきいてもらいたいし。これはわたしたちにしかわからないし、感じられないことでしょう?こんなことを言える相手が出来て、わたしたちって幸運よね」
「ああ、そうだね。幸運だよ。それに、そんなふうに言ってもらえて光栄だよ」
「わたしもよ」
「おっと、話はズレてしまったけど、とにかくきみが心をこめて作ってくれたクッキー。それと、淹れてくれたローズティー。どちらも最高にうまいってことを言いたかったんだ」
「ありがとう。社交辞令だとしてもうれしいわ。褒めてもらうなんて、そうそうないから」
「社交辞令だなんて、ぼくはそんなに器用じゃないよ」
彼のやわらかい笑みに、こちらも笑みを返す。




